232.お別れの時(2)
夕日が水平線に消えていく。空と海は赤く染まり、穏やかな海のさざ波が聞こえる。その音に混じり、子供たちの賑やかな声も聞こえていた。
砂浜に座った私たちは沈んでいく夕日を見ていた。
「綺麗だね」
「はい、綺麗です」
「綺麗だな」
これが最後の海の夕日。目に焼き付けようと並んで見ていた。段々と沈んでいき、空が暗くなってくる。
「そろそろ帰らなきゃ!」
誰かがそう言った。すると、他の子供たちも同じように声を上げる。そっか、もう帰る時間なのか。
「ノア! 明日、お見送りに行くよ」
「一緒に遊んでくれて楽しかったぜ。また、遊ぼうぜ!」
「ノアがいなくなるのは寂しいけど、また会えるよね?」
散らばっていた子供たちが私たちの周りに集まってきた。明るく話す子、寂しそうに顔を伏せる子。子供たちは色んな反応を見せた。それを見ていて、胸が熱くなるのを感じる。
「うん、また一緒に遊べるよ。今度はもっと楽しいことをしようね」
「そうだよな! じゃあな!」
「明日、見送りに行くねー!」
「ノア、バイバイ!」
子供たちは色んな言葉を置いて、この場を去って行った。遠ざかっていく姿を見ると、寂しさがこみ上げてきた。心は大人だと思っていたのにこんなに動揺するなんてね、精神年齢が体の年齢に引っ張られている証拠かな?
次々と子供たちがいなくなり、その度に私は言葉を交わしてお別れの挨拶をする。そんな私の隣では、二組が名残惜しそうにしていた。
「じゃあ、クレハ。明日は見送りに行くからな!」
「来てくれるのか? 嬉しいぞ!」
「もちろんだ。それにとびっきりのお土産、渡すから期待しててくれよ!」
「お土産! なんだ、気になる!」
「それは明日のお楽しみだ。じゃあな!」
クレハと約束をしたトールは駆け足でこの場を去って行った。もう一組のイリスとケイオスはというと……。
「その……明日渡すものがある」
「今日じゃダメなんですか?」
「まだ完成してなくて」
「完成? 何か作っているんですか?」
「あっ、いや! じゃ、じゃあ! また明日!」
意味深な言葉を残してケイオスは走り去っていってしまった。残されたイリスは不思議そうな顔でケイオスの後姿を見ている。こっちも最後に何か渡すものがあるのかな?
気づいたら砂浜には私たちしか残されていなかった。空を見上げると、赤かった空が暗い青に染まっていて、一番星が輝いている。
「私たちも帰ろうか」
「そうだな」
「はい」
持ち物を片づけると、砂浜を後にする。最後にちょっとだけ振り向いて、夕日に染まる海を目に焼き付けた。
「ここを離れるのは名残惜しいですね」
「うん。一か月があっという間だったよ」
「この光景ともお別れかー」
三人で立ち止まって、広がる海を見つめる。さっきも散々目に焼き付けたのに、全然足りない。しばらくはここには来れないだろう、それが分かっているから離れがたく感じてしまった。
「海の中、綺麗だったな!」
「岩のところとか凄かったですよね」
「日中と夕方で全然印象が違ったよね」
「ノアの水中呼吸の魔法があったから、沢山海の中を堪能できたぞ」
「色んな魚が泳いでいて、とても綺麗でしたね。その魚と一緒に泳ぐと、私も魚になったような感じがして気持ち良かったです」
「魔法を練習したかいがあったよ。十分に海を堪能できたね」
思い出すのは海の中の景色。地上では決して味わえない世界が広がっていて、その光景はずっと脳裏に焼き付いている。目を閉じても簡単に思い出すことができる光景だ。
青い世界に差す日の光。そこに大小様々な魚が自由に泳いでいる。色も形も違っていて、青い世界を鮮やかに彩ってくれる。まるで、絵の中に入り込んだような感覚だ。
「それに夕日がこんなに素敵だったなんて知りませんでした」
「キラキラしていて綺麗だよな!」
「うん、海だからこそ見れる光景だね」
「夕日がある海の中も素敵でした。昼間とは違う景色で新しい世界に入り込んだ気がします」
「海の色って変わるんだな。初めて知った時は驚いたぞ」
「海は空の色を写しているからね、そのお陰で空の色が変わると色も変わるんだよね」
昼間の青い世界、夕日に照らされた赤い世界。両方の世界を体験できたのはとても貴重だ。知らない世界を知ることで感性が豊かになったように思える。いつもと違う景色を見るだけで成長できるなんて思いもしなかった。
三人で沈んでいく夕日を眺める。宿屋に戻らないといけないのは分かっているのに、中々足が進まなかった。
「ふふ、帰ろうって言ってから大分経ちましたけど、帰れませんね」
「なんかな、離れがたいよな」
「これで最後って思っちゃうとね」
「また、この景色が見れるでしょうか?」
「ノア、また来るんだろう?」
「もちろん、また来るよ。あ、じゃー最後じゃないね。しばらくお別れってことで」
最後じゃない、また来れる。その言葉を口にすると、ちょっとだけ重かった心が少し軽くなったようだ。そうだよ、また来れるんだ。
「お腹も空いたし、もう行こうか」
「そうですね」
「ウチはお腹ペコペコだぞー」
私たちはようやく足を動かして宿屋へと向かっていく。海の夕日、しばらくお別れだね。
◇
宿屋に戻ってきて、私たちは食堂に入っていった。すると、目に飛び込んできたのはテーブルには様々な料理が並べられた光景だ。
「わっ! なんだこれ!」
「よぉ、ようやく戻ってきたか!」
「こんなに沢山の料理、どうしたんですか?」
「さぁ、どうしてだと思う?」
「ハインさんとガイルさんもいる……」
テーブルには沢山の料理が並べられていて、いつもはまだ働いているハインさんとガイルさんもいる。珍しい光景に私たちが戸惑っていると、エリックお兄ちゃんが厨房から出てきた。
「今日はお前らの最後の夜だからな、ご馳走を作って待っていたわけだ」
「それに人数は多い方が楽しいだろう? だから、いつもよりも早く私たちが戻ってきたわけだ」
「……人数が多いほうが賑やかだからな」
「私たちのために……」
エリックお兄ちゃんたちは最後の夜に豪勢な食事を用意して、みんなで楽しく過ごすひと時を作り出してくれたみたいだ。突然のサプライズに私たちはしばらく呆けていた。
「さぁ、席に座れ! 今日は腹いっぱい、食わしてやるからな!」
そんな私たちの背をエリックお兄ちゃんが押した。私たちは顔を見合わせ、にっこりと笑い合った。
「こんなに沢山の料理、食べきれるでしょうか?」
「ウチは食べきれるぞ! いや、絶対に食べてみせる!」
「どれも美味しそう」
私たちは笑顔で席に着くと、エリックお兄ちゃんも一緒に席に着いた。すると、コップを手に取ったハインさんがまるで宴会のはじまりの挨拶のような言葉を口にする。
「一か月間、この村を堪能してくれてありがとう。お前たちが来てくれたお陰で、この夏は退屈しなかった。楽しい日々をありがとう。じゃあ、乾杯!」
その言葉に私たちは慌ててコップを手に取ると、一緒に乾杯をした。それからコップの中身を飲むと、甘い味がした。この辺で採れる果実のジュースみたいだ。
「この飲み物、甘いな!」
「はい! こんな飲み物もあるんですね」
「今まで出てこなかったよね」
「それはようやく収穫できた果実から絞ったものだ。間に合って良かったよ」
「へー、そうなのか! 間に合って良かったぞ!」
「この村のこと、まだまだ知らないことがありそうですね」
「そうだね。まだまだ知らないことがいっぱいありそうだよ」
「さぁ、思う存分食ってくれ! 足りなかったら、まだ作ってやるからな!」
エリックお兄ちゃんの言葉に私たちは食事に手をつけ始める。やっぱり、ここにいる時は魚が食べたい。唐揚げになった魚を食べると、サクサクとした食感に魚のうま味が口いっぱいに広がった。
「うーん、やっぱり魚だよね! 向こうに戻ると魚が食べられなくなるから、それが本当に残念」
「お土産で貰った魚も数に限りがありますからね」
「魚もいいけど、ウチは肉が食べたいぞ!」
「クレハはそうだよね。戻ったら、お腹いっぱいお肉を食べさせてあげるね」
「わーい、やったぁ!」
「私はパンがいいです。ノアの作った色んなパンが食べたいです!」
「ここに来てから、パンを作ることもほとんどなかったし……うん。イリスにはパンを沢山作ってあげるね」
クレハには肉料理、イリスにはパン。帰ったらこの二つを重点的に作る約束をすると、それだけで二人は喜んでくれた。
「ノアがエリックみたいに料理をするんだね。料理は大変だろう?」
「大変だけど、楽しいよ。二人とも、いつも美味しいって食べてくれるので作りがいがある」
「だよな。食べてくれる人の笑顔が料理を作る気にさせてくれるよな。はー、お前たちがいなくなったら、こんな笑顔が見れなくなると思うと俺は寂しい。お前たちが来てから、料理するのが楽しかったんだけどな」
そっか、私たちがいなくなると他のお客さんがいないから寂しくなるね。
「あー、すまん。ちょっと寂しい感じなっちゃったな。食べている時は楽しくないとな! 今日あったことを話してくれ」
「今日は、みんなで浜辺で大はしゃぎだったんだぞ!」
「海の中も入りましたね」
「いつものレモネードも飲んだよね」
エリックお兄ちゃんが仕切り直すと、私たちは今日あったことを次々に話していく。それだけで、食堂内は明るくなり、楽しい声がいつまでも木霊した。
最後の夜は美味しくて楽しいひと時だ。




