70.
我の誕生日は近かった。故に家族は残念がった。
だが我は出陣である。
もう待てない。この一日が、リラティヴィステットの生死を分ける一日かもしれない。百本矢を持っているからと言って、一本の矢を侮るなかれ。その一本が、生死を分ける最期の一本かもしれないのだ。
我は号令する。建築作業の基礎はなされている。上物を建てる引継ぎをちゃちゃっと済ませると、我等は帝国の甲高いビューグルを吹き鳴らし、磨き上げた鎧兜は春の陽光を煌めかせた。そして我等は堂々と行軍を開始する。雪はまだ完全に解けきってはいないが、越冬した逞しい草花が冷たい露を払って勇ましく我等を見送ってくれている。
もはや帝都に拠る暇も惜しい。
前回は買い入れがあった為に帝都側へ迂回したが、今度はかつて我が雪冠る山脈からパヴルス男爵領へ帰郷した最短経路を辿る。道は知っている。相次ぐ引っ越しで少し寂れたかつての田舎道も、我と知って桜花道を用意してくれていた。第十軍はもはや全員同期の桜である。羊がメーと言っている。そんなかつての故郷を抜ければルキウス卿の居城を掠めて我等は突き進む。
忘れかけていた。飲んだくれの親戚ディディア男爵アンブロシウス卿は威風堂々と行軍する上司ルキウス卿を笑顔で見つけると、胸壁の上に登って葡萄酒を撒き散らし戦勝を謡い出した。が、寝起きにして早々出来上がっており、下のお召し物を履き忘れていた……。
「閣下! 戦勝を祈願してますぞ! フォォォォ!」
「──おいっ! アンブロシウス! 下を履き忘れてるぞ!?」
「ハッハ~! ……あれ? あっ、あれぇ!? 履いてなくないっ!?」
ふんどし丸出しに第十軍は笑った。
「ファルマ卿……。ジョークとスカートは短ければ短い程良いって言うが、男の見たくも無いモノはやはり見たくもないな……」
「まぁルキウス卿、馬鹿と煙は高い所が好きっていうし」
「うはは」
「──フォォォォ!」
アンブロシウス卿は戦勝を祈願して水堀に身を投げた。もしもの場合に下に駆け付けた従者達は急いでそれを救出する。そしてシスターメルはその不埒にヤレヤレとしたが、第十軍は勇気づけられた。
さて、いよいよ国境である。我等が第十軍の訓練は行き届いていて自身に満ち満ちている。
しかし、出来るだけは戦わずして勝つを上策とする。母エミリアを悲しませたくない。出来るだけ殺傷は避けて、リラティヴィステットラントを乱世から救い出さなければならない。状況によるが……。
ルキウス卿が我に言う。
「ファルマ卿。冒険者パーティーがこちらに来るぞ?」
「よし、早々に来たか。やはりウィザードフレグルの風は早い」
「ウィザードフレグル?」
我は第十軍に命令する。
「あの冒険者達は味方だ! 迎い入れよ!」
もはやこの地域では珍しくなったのであろうウィザードの存在に、第十軍もルキウス卿も釘付けとなる。ウィザードフレグルはサービス精神旺盛で、鳥の大群を兵士の兜の上にチチチッとさせた。おおっと沸く第十軍に、ローニおじさんは誇らしげに笑い、父カラドクーは相変わらず澄まし顔でルキウス卿に挨拶する。
しかし自己紹介もさることながら、早々に敵軍に気を付けるよう伝えてくるウィザードフレグル。
「ファルマ殿。そしてお初にお目にかかるルキウス殿。敵はもうすぐそこまで来ておるでの」
「──敵?」
「帝国の干渉を嫌う弱小貴族が事もあろうに賊の残党と結託して、この軍隊を迎撃しようと既にこちらを補足しておるのだ」
「なるほど」
ルキウス卿は自身の顎に手をやる。我は言う。
「戦闘は出来るだけ避けたい。話し合いでどうにかなる勝算はありそうか?」
しかしウィザードフレグルやローニおじさんはおろか、父カラドクーでさえも難色を示す。
「──無理だな。奴らはもはやルールなどないこの国の天下を、武をもって統一すると血気盛んだ。もし奴らに外交的に解決する糸口があるのならば、この先に見える森でこの軍を待ち伏せたりはしないだろう」
マジか……。我は先にある森を眺めた。
言われてみれば森らしからぬ空気。カラスがカーカーと騒ぎ立てている。ルキウス卿は面白くないと胴甲を叩く。オークでさえ拙い外交儀礼をすると言うのに、アイツらは鼻っから対話する気が無いと言う訳である。
それもそのはず……。思えば貴族ならば、結果として我がせっついた事になった民主化運動は頗る面白くない。賊は、散々我等にボコされてその人権を否定されている。相当恨みを持っていても仕方がなかった。
情けは味方、仇は敵……か。武田信玄はこれを恐れて戒めを詠んだと言う事である。“人は城、人は石垣、人は堀。情けは味方、仇は敵なり”
我は思案する。仮に奇襲に気付いてるぞと教えてやって打って出させて、無理やり交渉の場を設けたとしても、どうやって説き伏せる? 戦わずに勝つ?
向こうからすれば我等は異国の軍隊。侵略者とみて正解だろうし、ましてや解放軍とは思わないだろう。彼らの目的は天下布武であるから、それを想定して利害を一致させる方法は武力が妥当だろう。しかし仮に我等が味方に付くぞと言えば、だいぶ待たせている長方形の街の民を裏切る事になってしまう。
そもそも官と賊は水と油。本来は相容れないモノなのに、それが結託して我等を迎え撃つと言う事は、我等は相当悪い意味で乳化剤状態である。そうさせる程に我等は彼らにとって共通の敵として認知されてしまっていると言う事なのである。
戦わずして勝つは無理か? で、あるならば、此方の被害を最小限に抑えて勝つ方法はやはり……。我は落胆しながらも仕方なく決心した。鳴かぬなら、殺してしまえホトトギス。是非に及ばず。今回は織田信長路線で行く!
「奴らはもはや軍隊ではない。刺客である! やらねば此方がやられるだろう。そもそもあの賊と組んだ貴族など、どんな奴らかは想像するに容易い。故に、もはや活かす必要はない! 逆に奇襲するぞ!」
「──よし来た!」
ローニおじさんは馴れ馴れしくルキウス卿の肩を叩いた。ルキウス卿は決心して頷いた。




