5.
しかし鉄床戦術には弱点がある。
それは兵力の分散である。今回は機動力の無い歩兵と機動力のある猪騎兵に分けた。全体の数は互角であったから、それを分けて対応したと言う事は、最初に歩兵が戦った敵の数はこちらを圧倒していたと言える。故に守りに徹してとにかく騎兵が後方へ迂回し優位にたてる時間を作ったのだ。十分リスクはあった。
兵力を分散すると局地的な兵力差が生まれ、数の上で不利になってしまう。それを逆に利用する戦術が各個撃破戦術である。
“戦は数ではない”
古今東西よくそう言われてきた。様々な作品にも登場する言葉でもある。だが現実的に見れば、数は重要な要素であることに変わりはない。安易無策にこの言葉を言う奴は嘘つきである。それを成すには、それを言える状況をこちらから意図して作り出してやらねばならないのが最低条件なのだ。
例えば同じ強さの喧嘩屋が一人で、同じ力量の喧嘩屋数人を同時に相手出来るだろうか? もし無策であったなら、間違いなく負けてしまうであろう。故に、数は重要である。それを覆せるほどの十分な策が無ければ数は重要なファクターなのだ。それはあるに越したことはないのだ。
しかし人は慢心する。
“数の有利”を体現するには、“戦は数ではない”と同様、きっちり数の有利を活かす策が必要になる。なのに数の多さ、その有利さに安易に慢心し、数の劣勢にびびって頭使う策士に散々な目にあうのだ。そうやって“戦は数ではない”物語が作られるのだ……。
我は倒した敵から装備や物資を直ちに略奪する。降伏した敵は捕らえて説得し味方にする。そして勝利に喜ぶ暇など与えずに軍の整頓を始める。今すぐやらねばならぬことが山済みである。暇はない。時間と情報は大事な戦略資源である。我はまずボアファイター二騎一組を二十組ほど作り、周囲十数キロを全力で偵察させ取り敢えずの安全、つまりささやかな時間を確保する。
つけ焼き刃ではあるが、鉄床戦術はこれからもやるであろう。故に、局地的な数的不利にも立ち向かえる頑強な歩兵戦力の整備と戦闘技術の教示が急務である。
そこで盾がある程度あれば簡単に出来る戦術がある。それは“シールドウォール”である。盾で壁を作る盾壁である。盾持ちは武器で戦うよりも、その盾でとにかく盾壁を保持する事が重要である。これで飛び道具にある程度対応できるし、敵の猛攻に耐える時間を作れる。ここが優秀であれば、騎兵が迂回する時間も作れるし、反転攻勢に出る後詰兵士達の体力も温存できるのだ。
槍持ちには“ファランクス戦術”を教えたいところだが、これは簡単な訓練ですぐに獲得できるような代物ではない。なので盾壁が守ったあと、反転攻勢に出る際の軽装の後詰アタッカーと今はしておく。
盾持ちは間違いなく猛攻に晒されるので、鎧兜の配備は優先される。長物は軽装後詰アタッカーへ配備する。ボアファイターの装備はボアファイターへ。そして死んだ獣は今晩の鍋である。
勝利を導いた我はやはり戦神ウガウガオの子、救世主イエア様としてその地位を確固たるものにしたようだ。群れのボスはおろか、下々の末端に至るまで我にひれ伏すオーク共。ひと段落し、日が暮れる古戦場。我には勝利の貢物として、猪の最も美味しい部位を、あらゆるオーク料理として我に贈呈される。
意外に美味である。
見た目は荒々しい。が、美味である。猪はうまいと聞いたが、本当の様だ。この猪も例外ではないようである。
オーク飯と想像したらモザイク料理かとも思ったが、そういうゲテモノはオークヒエラルキー末端の糧食であるようだ。例えば死んだ敵の肉とか……。因みに強かった戦死者の肉は、ヒエラルキー上位の儀式的な意味を持つ飯となるらしい。
……ちょっとまて。
我の箸が止まる。いや、手づかみなので箸は無いが、慣用句として箸が止まる。
すると我の所に、頭かち割って脳みそ丸出しとなった“丸焼き敵将の頭”が贈呈される。我は無表情で内心嫌悪した。これはさすがに食う気になれない。我にそういう文化は無いのだ。故に、ボスらしきにその名を問う。
「貴様、名は何という?」
「イエアイエアッ! 俺の名は神の拳!」
「よし、ゴッズフィストよ。これから我が右腕として精進せよ」
「イエアイエアッ!」
「故にこの敵将の首、貴様にくれてやる」
「よ、良いのですか!? 有難き幸せっ!」
我はその丸焼き頭料理をこう命名する。それは“焼首”。ゴッズフィストは焼首を嬉しそうに皆に見える様に掲げると、猛々しい歓声が沸き起こる。そうしてさっそく脳みそに素手でがっつくゴッズフィスト。叫ぶゴッズフィスト。他のオーク共も叫ぶ……。なんとも。
しかし神の拳……。感慨深い名だ。我は神の子か。我は自身の左手のシワを眺める。我の左手のシワは、不思議と一筆書きで書きなぐった様な五芒星状になっており、そして中心のシワは目の様にも見える。どこかで見覚えが有るような無いような模様である。自身には何らかの使命でもあるのだろうか? 異世界転生もその為か? それともこれは、臨死体験の夢でしかないのか……? 我はさしの入った霜降り猪肉を嗜む……。箸かフォークが欲しい……。
とまれ、オーク社会は腕力こそが正義で、喧嘩、プロレス、殺し合いによって勝ったものが上位になる。そして良い物を食って勝者はさらに強くなり、雑魚は雑魚飯でさらに雑魚になる。貧困によってハングリー精神を育み、そして戦場で発散させて叩き上げる。それが野蛮さ粗暴さ凶暴さと、凶悪な強さを誇るオーク社会の原動力となっているようだ。