39.赤煉瓦の戦い
そこは、渓谷の入り口。
「何故ここなんだ?」
ルキウス閣下は我に問う。しかし我が答える前にボンガーが答える。
「グフゥィァ! ゴブリンは退路を必ず作る。ゴブリンは狭い所大好き。戦ってヤバそうならすぐ大好きな狭い所逃げるつもりだ!」
「なるほど。しかし戦術的とは思えないけどな……」
我は渓谷の入り口の、崖の上を見てから答える。
「入り口から少し入った崖の上に何かが潜伏している。証拠にそこに巣があるのであろう鳥が慌ただしく崖の上を旋回している」
「なるほど!」
「つまり、追ったらやられる」
我は渓谷だけに警告した。兄アルネスは言う。
「あー、しかしー……。一戦しても逃げられてしまったらな……」
我は解決策を提示する。
「我等も崖の上から奇襲すればよい」
「え?」
「ここは入口も出口も一つずつの渓谷。場所はもう少し先になるが退路を塞ぐように、出来れば落とせる岩が多い場所で、物理的に退路を潰せるような場所で隠れて待てば……」
「よしわかった!」
ルキウス閣下は直ちに部下の騎士を呼び寄せ別動隊を編成し派遣する。
ただ一発殴って従わせるより、一発殴られて逃げた先で、さらに奇襲にあった方が降伏に至る心理的インパクトはデカいだろう。所謂ボクシングで言う所のワンツーパンチである。立て続けに二発殴るあれだ。そして崖の上の潜伏者を叩きのめした後、敵本隊をリングのコーナーに詰めれば、ボンガーの言うゴブリン屈服の条件が揃う。
問題はコボルトがそれに従うかだが、だからこそ一発余計なワンツーパンチの二重の追い詰め方式なのである。あとは、一応敵には、最初に降伏すれば雇用と住処を提供するぞと示唆しておく。そうすれば、いざ戦うとなった時にそれに心がグラついてこちらが有利になる可能性があるし、素直に降伏に至る可能性も増大させるだろう。
だがこれは大前提として、初戦の勝利が絶対である。
では敵の陣容を見てみよう。
この地はローテツダッハの街で使われる赤い瓦やレンガの原材料である赤粘土の一大産出地である。その脇を流れる川は現在、無視できるほどに浅く、草原の草は膝下までしかない。天候は晴れで視界は良好。戦日和である。
そして敵は戦素人丸出しである。
その総数は此方を上回っている様だが陣形は無いに等しく、兵種ぐちゃぐちゃな無形の陣となってしまっている。これなら奇襲要因を出して分散してしまっている我等でも、舐め過ぎなければどうにかなるだろう。
とはいえ、鉄床戦術で容赦なく本気で包囲してしまっては敵の退路を奪ってしまう。そうなると、逃げれないとわかったゴブリンは何するかわかったものではない。なのであくまで半包囲までにしなければならない。
一から教え込まなくてはならなかったオークの時とは違い、蓋を開けてみたら、人間の軍はシールドウォールをそれなりに仕えるレベルにはあった。よって少し訓練しただけで、盾と槍を合わせたギリシア式ファランクスに似た隊形が可能になった。
ギリシア式ファランクスとは、後期に表れた長槍を使ったマケドニア式ファランクスとは違い、ザ・元祖のファランクスである。ギリシアのアテネやスパルタがその使用者として有名である。
これは、密集隊形の盾壁で前面を守りつつ、その盾と盾の間から槍の穂先を出すと言う防御型準突撃反射系密集隊形で、持久戦、肉薄白兵戦防御、対飛び道具や対歩兵及び対騎兵突撃に対してまでも万能的に高い防御力を有している非常に強力な隊形である。
機動性や突進力、総合的な攻撃力はその分やや劣るが、それでもその扱いやすさから、その後の盾と槍を装備した兵科では当たり前の様に使われる戦術と言ってもいいかもしれない。
であれば……。我は思案する。
相手は数こそ多いが、装備が軽装な上、体格に劣るゴブリンやコボルト達で、こちらは頑強な防御戦術を扱える。……これはハンニバルのカンナエの戦いの一部を再現すれば勝てるだろう。
──ハンニバルの弓なり戦術。
我が勝手にそう命名したそれは、言い換えるなら“弧弦戦術”だ。
相手は無形の陣となって同心円状の円形陣になってしまっている。つまりこれは、それとぶつかれば中央への圧迫が予想され、それを利用して自然と中央を後退させ湾曲させ、圧迫の少ない両翼で敵を包み込んで半包囲を作るという戦術である。八陣に無理やり該当させるならば、偃月の陣だろうか?
キーとなるのは頑強な中央歩兵戦列だけではなく、両翼の戦力である。両翼は敵の側面を最終的に包囲するのであるから、攻撃力の高いアタッカー兵科が望ましい。つまり、両翼には徒歩でも強力で攻撃的な戦闘が出来る騎士を配置して決戦打開戦力としたい。
なので両翼の騎兵、騎士は馬から降ろして歩兵両翼を補強する。従士ならともかく、騎士は馬から降ろされることを最初渋ったが、作戦意図の理解と、ルキウス閣下の圧に最後まで抗える者は誰一人いなかった。
これでこちらは良し。
次に陣形再編と、迂回する我等の奇襲部隊が配置につく時間を作らねばならない。その為、ルキウス閣下とボンガーに、外交官を目指す兄アルネスは敵陣近くに行き、例の条件での降伏を呼び掛け時間稼ぎをする。
我も過去に戦神ウガウガオの子イエアと呼ばれていた訳で、それを理由に交渉を有利に進めたかったが、ゴブリンは信用ならないと母はそれを絶対に許してくれなかった。それに配慮したのか、ルキウス閣下までも我には後方にいていざって時を任せると言ってきた。ならば仕方ない……。
交渉するボンガーとゴブリンの長の声はここまで聞こえて来た。
「──降伏して戦神ウガウガオの申し子イエア様の軍門に下れ! さもないと皆殺しにするぞ!」
「ああっ! またオークか! 何が軍門に下れだ! 散々我々ゴブリン一族を虐め倒しておいて全く笑える! ブラックレフトアッパーのクソが暴れまわるせいで、俺達は居場所を失ったんだ!」
「ブラックレフトアッパーは殺した! 今はゴッズフィストがキングボスだ!」
「どっちにせオ変わらんだろ! どうせ我々は奴隷扱いに違いない! だれが進んで奴隷生活になんかに戻るもんか!」
「イエア様は寛大だ! ゴッズフィストもそれに倣う! 軍門に下ればコヨウとセイカツは保証される!」
「信用できねぇ!」
「じゃあ皆殺しにするぞ!」
「はっ! 俺たちは必至だぞ!? やれるもんならやってみろやクソが!」
ルキウス閣下はすかさず参加する。
「まてっ! ここは我等の地だ! 我等は我等の地をお前らに踏み荒らされて怒っている! だから本気でお前たちを潰す為にここへ来た! だが寛大さは忘れてはいない! 則ち、直ちに降伏し従えば、ボンガーの言った通りに、我等人間でも雇用と生活を保障する事を約束しよう! 聞けば、ゴッズフィスト王は既にゴブリンの一団を平等に雇用しており、その評判はすこぶる良い! お前達のやった道中の略奪は本来であれば全員死刑だが、今回は特例としてこれを一切不問とする! さらに! ゴッズフィスト王の地へ安全に護送する事も約束しよう!」
これに対してはコボルトの親分らしきが笑い吠えるように返す。
「ウバッバッバゥッ! それは有難いね! だがそんな罠に易々とかかるとでも思ったか!? ニンゲン共! ニンゲン共はそうやってすぐ嘘八百を並び立てて騙してくる! 我々俺達は、初心者冒険者の経験値稼ぎとして一方的に種族浄化されてきた歴史を絶対に忘れないぞ!」
「く、言ってくれる……!」
我の知る限りでは事実である。ルキウス閣下はそれを知っていたのか、言葉を詰まらせてしまった。しかし続いて兄アルネスは彼なりに頑張ってみる。
「黒い森に居たと聞くあなた達が、何故ここにいるかは分からないが、酷い目に会っていたと言うは過去の話じゃないのか!? 今はそもそも接触事態そんなにないだろう!? 我々は戦いたくない! 君たちもそうなんじゃないのか!? お互い腹を割って話せばきっと分かり合えるはずだ!」
「はぁ!? 何言ってんだこいつ! ケツの青いガキはすっこんでろ!」
「なぁっ!?」
「──噛み殺してやる! バウバウッ!」
コボルトの親分らしきは手に持っていた手斧を交渉団へと投げつけた。
「う、うわっ──」
「──ふんがぁッ!」
兄アルネスの所へ飛んでくる手斧をカキーンとボンガーが易々と剣で払う。彼を乗せる猪は戦の臭いにブヒィッと荒ぶった。ゴブリンコボルト連合軍は怒りのあまり野次を飛ばしてガヤガヤしてる。それらにボンガーは激しく言い放つ。
「なら交渉決裂だな! ──ぶっ殺す!」
交渉は決裂。交渉団は色々投げ付けられながらも無事に撤退した。兄アルネスは必死にかつ悔しそうに逃げ帰ってくる。その顔面は真っ青で、目にはうっすら涙を蓄えていように見えた。多分ブルブル震えているに違いない。ポンコツ兄貴よ、それでもよく頑張った。帰って来た兄を、我を抱っこする母エミリアはなだめる。
「ぐ、ぐすっ……駄目だったよ母さん、ファルマ……」
「問題ない。想定内だ。それより怪我はないか?」
「多分大丈夫……」
「良く頑張ったわねアルネス! 何より無事でよかったわ!」
気が気でなかった母エミリアは、兄の無事に胸をなでおろす。そしてルキウス閣下は、すぐさま居ても立っても居られなかった騎士達に包囲護衛されながら、我の所へ戻り残念そうに言った。
「あ~アルネス。駄目だったな。あいつらのは根深いものがあるぞ……」
しかしボンガーが大笑いして言い放つ。
「ガッハッハ! あいつらはいつだってああ言う! だが一発殴ればコロッと手のひら返すから大丈夫だ! ガッハッハ!」
「ふぅ~、頼もしいなボンガーは……」
笑うボンガーに対してルキウス閣下は、何かを含むようにそう呟いた。我は言う。
「グリーンスキンにはグリーンスキンの流儀がある。彼らは直情的で慣れれば実にわかりやすい」
「そうなのか、覚えておこう……」
とか話していると、敵陣から汚い角笛の音が聞こえてくる。怒りを抑えきれなかったのか、敵が前進を開始してきたのだ。
ルキウス閣下はすぐさま指揮を取る。
「よし! 作戦通りだ! 恐れるな! 装備、体格差、練度は全て俺たちが優勢だ! だが気は引き締めろ! 気を引き締めていけばなんて事はないはずだ! ──経験値稼ぎをするぞっ!」
「ウオォー!」
「声が小さいぞっ! もっと腹から出せっ!!」
「ウオオオォォォォオオオオオ!!」
ギリシア式ファランクスで構える戦列歩兵中央。
敵の突撃は最初凄まじいものがあったが、まるで堤防にぶつかる小波の様に、盾の壁によって砕けた。第一撃はいなした。だが秒で盾壁の前は敵で埋まってしまう。
そして我等は体格的に優位であるにも拘らず、敵の無茶な圧迫で我等の中央歩兵戦列はすぐに押され始める。盾と槍と、そして非金属の鎧でしか身を守っていない賦役徴兵の歩兵では無理もない。
だがボンガーが中央で無双し、ギリシア式ファランクスを新しく会得して実行していると言う自負と、直後には我等を守る精鋭の護衛が居ると言う安心感が、何とか戦列及び士気を持ち堪えさせていた。ギリギリだが。
そして、それに合わせるように両脇の歩兵戦列は次々と敵陣へと接触し、戦線は湾曲し始める。
敵はウリャリャと全力圧迫してくる。
細々チマチマと小賢しい声に、野犬の様な吠える声が人の怒号に交じって決死の戦闘を繰り広げる。だがそこへ最両翼から敵陣を摘まむように、下馬騎士がギャンギャンと手慣れた武器で敵を屠り始めた。
ゴブリンコボルトの武器では板金の鎧を貫徹する事は容易ではなく苦戦。対する下馬騎士達の武器は、高級な鍛造剣、両手剣、両手斧、モーニングスター、ルツェルンハンマー等の狂暴凶悪な武器で容易に敵を叩きのめす。下馬騎士たちは言われずとも敵を圧倒しはじめた。
敵陣は最初横長の楕円形であったのだが、左右からの圧迫で徐々に情けなく萎んでいく。
そして一割か、二割ほど被害が出た所で敵は敗走を開始した。しかしそこに恐怖等の表情は無く、ボンガーの言う通り、まるで最初からそうする腹積もりだったかの様に渓谷の退路へと全面撤退しは始めた。我等はそれを作戦通り見逃して撤退させてやる。
──まるで背水の陣の逆である。
例えるなら“敗走の陣”だろうか?
背水の陣は意図して退路を無くす事で必死に戦う心理的な土壌を作るが、これは逆に退路がある安心感のせいで、最後まで必死になって戦えない。最初は良くても、何かあればすぐ気分を変えて撤退に至る図である。
敵が撤退しきった所で我等は追う。だが深追いはしない。敵の伏兵が崖の上で奇襲しようと待ち伏せている為だ。
そこへ、左翼を担当していたプリエクエス伯軍属の下馬騎士達はローテツダッハの歩兵を2ユニット程引き連れて敵の伏兵している森を強襲する。
弓だけの部隊では、凶悪な騎士達の攻撃を防ぎきれる訳もなく、殆ど打ち取られた所で敵の残兵は蜘蛛の子を散らすように潰走した。
これで渓谷の安全が確保されたので敵を追い詰めるべく本隊は渓谷へ余裕の進軍を開始した。
どうやら我等の迂回部隊は撤退する敵の先頭へ投石し、矢の雨を降らせる事に成功した様だ。ゴロゴロと退路へ転がる岩は、敵がそこを通行するのを大いに躊躇わせた。
そして敵の最後尾に追いついた本体は、1、2、1、2と足踏みを合わせて、ドスッドスッと超威圧的に行軍する。奇襲に失敗、退路の封鎖、そして絶対絶望の包囲。敵の表情は名状しがたい程クシャクシャの恐怖顔となった。
ボンガーは猪を駆けて敵陣へ突進し罵声を上げる。
「──ウゴァァァァアアアアアア!! 降伏しろ糞共がぁぁぁぁあ!!」
ゴブリンコボルト連合軍はその発言に茫然自失であるが、ボンガーが見せしめに最寄りのゴブリン数匹を完膚なきまでにボコボコにすると敵はビビって一斉に武装解除した。
「わ、わかった! 降伏する! 降伏するからぁぁぁぁああ!」
「ああ……。ああ……。終わった……」
「いつだってこれが現実なんだ……」
ゴブリンコボルト連合軍はそう呟いて俯いた。
それを確認したルキウス閣下は剣を掲げ、馬を嘶かせると叫んだ。
「──勝鬨を上げよ!」
我が軍の士気は天を仰ぎ見て、その最高潮を迎えた。
「ウゥゥォォォォォォオオオオオオオオオ!!」