序章2
人形機動兵器エクリプスとは、かつてアニメーションに憧れた人類が初めて作り上げた巨大ロボットの事だ。
開発当初はようやく二足歩行が出来る程度の出来だったが、実際に実用化にまで至るようになると、その有用性の高さから、思わぬ戦争の火種を生み出す結果となってしまった。
第三次世界大戦が勃発したのである。
世界大戦は250年続き、人口は千分の一にまで減少し、世界が疲弊した。
人形機動兵器エクリプスが人類滅亡の一端を担っていたと言っても過言ではないだろう。
そんな人類が始めて開発した人型機動兵器エクリプスであるが、誕生から早300年が経ち、その間に大きく分けて25回のアップデートが行われた。
その大型アップデートは後にアルファ遷移と呼ばれ、大幅に機体の性能が増していく事となる。
そして26回目の最終アップデートによって誕生したのが、エクリプス至上最高傑作と言われた機動兵器、Zシリーズだった。
その中でも稀代の英雄として謳われたナルクの駆るZは世界最強、アルティメットワンと称され、その数々の伝説からZの中のZ、通称〝Z1〟と呼ばれるようになったが、このZ1の力を持ってしても人類の滅びの運命は避けられなかった。
そこで二人は最後の希望として月に目を付けた。
究極のエクリプス・Z1は月の裏側に実在した“月の天使”の遺体から造られた。
Z1の持つ力はまさに人の領域を超え、過去への逆行を可能にした。
ナルクにこの世界の心残りはもはやない。
生き残った人類はおらず、ナルクを残して人類は完全に滅びていった。
その最後の別れを思い浮かべたナルクは静かに瞳を閉じる。
「ねぇ、Z1。この月も僕達と一緒に過去に遡るのかな?」
「月は私達を過去へ送り届けた後、エネルギーの枯渇で自壊を免れないわ」
Z1は全ての感情を消したような声音で坦々と答えた。
Z1にとってナルク以外の存在は皆等価値だ。
地球がどうなろうともナルクさえ無事ならばそれで良いと考えている。
例え、月が彼女の半身のような存在だったとしても。
そんな痛々しいまでの想いを貫こうとするZIに、ナルクはモニターの上に優しく手を置いた。
「そっか。悲しいね」
モニターに映るZ1はナルクの手を重ねるように、手を向こう側からかざしている。
Z1はナルクの体温が感じられるこの行動が好きだった。
自分の半身との別れを労ってくれるナルクの優しさを感じ、幸せな気持ちになる。
「でも私達が向かう過去にも月はあるわ」
「でもその月はきっと僕達の事は知らないよ」
ナルクは別れを惜しむように月を見渡した。
月面には、底が確認できない程の巨大な穴がそこかしこに見つかり、食い破られたような痕がたくさんあった。
ーーそう、ここ西暦2320年ではもう二度と満月を拝む事は出来ない。
ナルクは穏やかな口調でZ1に告げた。
「ねぇZ1、知ってる? 僕らがこれから向かう2070年には、まだ丸い月が残ってるらしいよ」
Z1は分かっていると言わんばかりに、ナルクの問いに答える。
「それはそう。月が欠けたのは最後の戦争のせいだもの。そんなことよりも、〝Z1〟って呼ぶのはやめて欲しい。なんだか可愛くないわ」
Z1は頬を少し膨らませながら言った。
Z1の可愛らしい仕草にナルクは頬を緩めながら、わざとらしく驚きの声を上げる。
「どうして? ものすごくカッコいいのに、〝Z1〟って。世界最強って事なんだよ?」
そう言われても彼女は〝Z1〟が良い名前とは思えなかった。
Z1という称号に、それほど価値を見出していない彼女は、ナルクの言うカッコよさが良く分からない。
ナルクのわざとらしい態度に、ますますZ1の頬っぺたは膨らむ。
Z1は人間の恋人同士がするように、お互いを名前で呼び合いたいだけなのだ。
ナルクは自分の事をただの相棒としか思っていないようだが、Z1は違う。
自我が芽生えた時からZIはただただ、ナルクを密かに想い続けてきたのだ。
ナルクを守りたい、愛しい、という強すぎる想いが、現世に具現化を果たし、Z1は機械であるにも関わらず、ナルクと言葉を交わす事が出来るようになった。
だがこの事実をナルクは知らない。
Z1が機械という括りを超越した時も、ナルクは流石、巨大ロボットだ、とキラキラした目で、数秒の内に自己完結させ、理由を深くは考えてなさそうだった。
Z1の必死の努力も虚しく、Z1の想いがナルクに届く事はなかった。
だから、せめてZIは、ナルクに名前だけはしっかりと呼んで欲しかったのだ。
人外の身ではあるが、流石の彼女でも、Z1という名前が、恋人を指す名前ではないと理解出来ていたのだから。
「カッコイイのはいらない。可愛いのがいいわ」
「じゃ、ZIはなんて呼ばれたいの?」
ナルクの問いに、やっと自分の願いを聞き届けてくれる気になったのかと思い、ZIの表情が急にパァっと晴れやかになる。
逸る気持ちを抑えながらZ1は日頃からナルクに呼んで欲しいと思っていた可愛い名前を、勿体ぶって告げた。
「…………ティファニア・ブリュンヒルデ」
「いや、むしろそれはZ1よりカッコいいよ」
ナルクは溜め息を吐きながら冷静にZ1へと告げた。
自分で考えた名前を一刀両断され、打ちひしがれるZ1を尻目に、ナルクはいつもながらこの相棒の持つ感性はよく分からないなと唸る。
やはりその特殊な感性は、彼女の人外の血が成せる技なのだろうか。
偶に理解が出来なくなる最強の相棒にナルクは思わず苦笑した。
ナルクにとってZ1とは最高の相棒だ。
苦楽を共にし、どんな時でも、いつも二人で切り抜けてきた。
その強固な絆は最早、家族も同然であり、切っても切り離せないものだ。
そんな二人ではあるが、同時にZ1はナルクの憧憬の的でもあった。
過去最高傑作である人型機動兵器エクリプス・Zシリーズは全てのパイロットにとって羨望の的だった。
ナルクも例外ではなく、Zのパイロットに選ばれる為に、必死に己を磨き続けてきた。
懸命な努力が実り、後のZ1と呼ばれる機体のパイロットに選ばれた時は正しく有頂天であった。
だがZ1は当時、じゃじゃ馬としても有名であり、乗りこなせるパイロットがいなかった。
天才と謳われたナルクであっても、彼女の洗礼を受けた事だってある。
だが何度も何度も搭乗する内に、Z1の心に触れる事が出来るようになっていく。
それはあまりにも純粋な心を持っていたナルクの才能と言えよう。
試行錯誤の末、機体からいきなりZ1が現れた時は、ナルクは世界最高の機体に認められたのだと実感し、憧れが見事に昇華された。
だから、ナルクにとって〝Z1〟という名前は特別であり、最早彼女の名はこれ以外に考えられないのだ。
自分と彼女との世界最強の称号として。
このように二人の想いは微妙にズレているも、そんなものは、この二人にとって些細な事なのである。
「ナルク。たった今、250年に一度のマスタームーン現象に入ったわ」
西暦2320年、とうとう世界に終止符を打つ時がやって来た。
ZIの知らせに、ナルクは大きく深呼吸をし、高らかに宣言した。
「只今より、西暦2070年に発生したマスタームーン現象時の地球への介入を開始する」
人形機動兵器エクリプス〝Z1〟はナルクの宣言を聞き届けると、片膝をつき、胸に手を当てる。
「了解したわ、私の小さな奏者さん」
その瞬間、Z1の機体は黄金の輝きに包まれ、キュィィィイイイン、という甲高い音を鳴らす。
凄まじい地響きが起こり、全てのものが震えだす。
それは正しく世界を揺るがす、心臓の鼓動だった。
月面すらも輝き出し、月の全てと繋がる。
そのあまりもの巨大な力の奔流の中で、ナルクは確かに何者かの声を聞いた。
(…………………………さよう………なら………………)
それは最初にして最後のメッセージだった。
ナルクは薄れ行く意識の中、自分に呼びかけてきたナニカに告げた。
「……そうだね……さようなら……」
月から喜びと悲しみの波動が胸中に流れ込んだ後、ナルクは最後に頭上を見上げ、自分の母星、地球を見上げた。
周囲の全てが黄金の輝きで埋め尽くされる中、地球だけは真っ赤な輝きを放ち続けている。
その瞬間、とうとう地球の命が尽きた。
残った行き場のないエネルギーが大爆発を引き起こし、真っ赤な輝きが辺り一面を覆う。
同時に月の黄金の輝きも膨れ上がった。
ーー地球の大爆発と人形機動兵器エクリプス〝ZI〟の輝きが、ぶつかり合った瞬間、ナルクの意識は完全にブラックアウトした。