第13話
「…………シャルドネイ…………これはいったい何が起こっているというのだ……?」
メルキヲラは目の前で繰り広げられる光景に目を疑う。
突然、上空にベルベットが現れたと思ったら天使の翼を生やしたステファニーが登場し、あの悪魔じみた力を持つZ1と互角に渡り合っている。
いや……信じられない事に僅かに押しているようにも見える。
「彼女は人ではなかったのです。彼女の正体は月の守護者……天使です」
「天使……だと……?」
Z1が神話じみた力を持っていると思ったら、まさかの神話の登場人物が現れるとは……私は夢でも見ているのか…………?
永く生きたメルキヲラでもこれほど驚愕する事は今までなかった。
いや、そんな事よりも……だ。
「シャルドネイよ……なぜお前が知っているんだ……?」
まさか自分でも知らない事をこのシャルドネイが知っているとは思わなかった。
あのステファニーとかいう少女が本物の天使だったとは……。
あの国は油断ならないと思っていたがこれほどの鬼札を隠していたなんて。
いや……それよりもシャルドネイはこの事態を予期していたと思われる発言をしていた。
いったいシャルドネイはどこまで見据えているというのだ……?
お前はいったい何を考えている……?
「最初からですよ……。Z1が現れた瞬間から私はこの場面を想起していました」
シャルドネイは相変わらず何を考えているのか分からない胡散臭い笑みを浮かべながら何でもないように言った。
最初から……だと……?
メルキヲラは自分が産み出した存在が、とうの昔に自分の総量を超えているという事実に今更ながら恐怖した。
私はいったい何を作り上げたのだ……?
このNシリーズ・シャルドネイの真の恐ろしさは断烈や機体性能などではなかった。
シャルドネイの真の恐ろしさは盤面を終局まで見通す悪魔めいた頭脳にあったのだ。
このシャルドネイの前ではこの私など駒の一つに過ぎないのだ……。
いつの間にか自分ですらもシャルドネイの盤上で踊っていた人形でしかない事にメルキヲラは戦慄した。
「ふふふ……戦いはまだまだこれからですよ。しっかりとこの戦争の行く末を見届けましょう」
もはや自分の手から離れ、誰にも止める事が出来なくなったかつての腹心の部下に、メルキヲラは何も言う事が出来なかった。
止まった時の中で激しくぶつかり合うZ1とステファニーだったが、僅かにステファニーがZ1を押していた。
ナルクは想像以上のステファニーの力に冷や汗をかいた。
……なんてパワーとスピードだよ。この小さい体のどこにそんな力が詰まってるんだ……。
未来の世界で歴戦の猛者達相手に勝利を飾ってきたナルクといえども、ステファニーは強敵だと言えた。
スピード、パワーともにZ1よりも上。
的が小さい分、攻撃を当てる事すら難しい。
そんな中、焦りを感じ始めたナルクへステファニーは不意に尋ねてきた。
「……ししょー。どうしてこんな事をするの? もうみんなを傷つけるのはやめて」
悲しそうな表情で自分を見つめるステファニーを見て、ナルクの心は痛んだ。
月の天使は月の守護者だ。
本来なら地球の人間まで守護する必要はない。
だが、月の住民である白うさぎ型の宇宙人の祖先はかつて人間の祖先と同じ種族だった。
地球に残って進化したのが人間で、月に移住し進化したのが月の住民だ。
つまりは、起源は同じなのだ。
慈愛の神である月の天使は争いが絶えない人類を憂いていた。
直接手出しはしていなかったが、そっと人類の行く末を見守っていたのだ。
ステファニーという人間のフリをしながら。
……どこかに月の天使はいると思っていたけど、まさかステファニーちゃんが月の天使とまでは見抜けなかったな……。
「……ごめんね。ステファニーちゃん。僕はもう止まる事は出来ないんだ……。未来を変える……その為に僕は来たんだから」
ナルクは偽らざる本心を語った。
ステファニーはZ1の正体について正確に理解しているのだろう。
Z1はいわば体を分け合った半身とも呼べる存在だ。
同じ月の天使の力を持つ者としてZ1の行動を許せなかったのだろう。
だからZ1の抑止力としてステファニーは永きに渡る沈黙を破り、目の前に現れのだ。
……だが……ナルクは思う……。
未来を変えなければ……君は……人間の悪意によって月もろとも滅ぼされてしまうんだ……。
数々の惨劇を目の当たりにしてきたナルクは絶対に同じ未来にしてはいけないと再度決意する……が。
「分かった……なら力づくで止める……」
ステファニーはきつく口を結び、小さく答えた。
その瞬間、またもやステファニーの発するプレッシャーが増大し、天使の翼が4対8枚から8対16枚に増えた。
もはやステファニーから放たれる神気のような濃密なプレッシャーはナルクですら経験した事のない神々しさを放っていた。
……まだ力が上がるのか……。
流石に予想外のパワーアップにナルクは全力で身構えた。
「分かったよ……なら僕も力づくで君を止めよう」
再び激しい衝突が要塞都市の上空で始まった。
「一体……何が起こっているんだ……?」
メルキヲラは呆然と上空に小さく浮かぶ巨人と少女のぶつかり合いを眺めていた。
もはや力の差が大きすぎて何が起こっているのか全く分からない。
二つの力が衝突する余波だけでも立っているのがやっとの程だった。
「ふふふ……素晴らしいですわ……これが月の天使の力……想像以上です……」
メルキヲラはこれほどの圧倒的力量差を見て嫌らしく笑うシャルドネイを見て戦慄が走る。
「シャルドネイよ……お前はあの戦いで何が起こっているのか分かるのか……?」
メルキヲラは恐れの気持ちを表に出さないように恐る恐る尋ねる。
「この二つの時計をご覧下さい」
するとコックピットのモニターに二つの時計が表示された。
なんだ……? メルキヲラは突然現れた時計をまじまじと見つめる。
「……ん? 2分だけずれているな……」
最新式のエクリプスであるシャルドネイだ。
そこに搭載されている時計が狂うはずがない。
「その通りです。流石はメルキヲラ卿。直ぐお気づきになられるとは……。この時計は衛星を介した電波時計で遅れている方が私の体内時計です。どういう事か分かりますか?」
まるで試すような問答にメルキヲラは深く考え込む。
「……また1分ずれたな。……っ!? まさか……奴らは……時すら操れるというのか……!?」
「ご名答です。彼らは時を停止して戦闘を行っているようです。ですが両者ともに操れるようですのであまり意味はないようですが……」
「………………」
もはやメルキヲラは何も言う事が出来なかった。
時を止める……。それがどれだけ途方もない事なのか理解出来るからこそメルキヲラは押し黙った。
私は……なんという者に戦いを挑んだのだ……。
無知とはなんと恐ろしいものか……メルキヲラは身にしみて感じていた。
それにしても……時を止めるという頂上の戦いでも冷静に分析し、嬉々として戦闘を見つめるシャルドネイの神経こそがメルキヲラには理解不能だった。
……どうして笑っていられるんだ……? メルキヲラの苦悩は尽きない。
戦いの幕切れは呆気なかった。
メルキヲラと同様に、呆然と上空で繰り広げられる、まるで神話のような戦いを呆然と見つめることしか出来なかったホノカは、一際大きい轟音の後に静寂が辺りを包み込んだ瞬間、決着がついた事を確信した。
「いったい……どっちが勝ったの……?」
ホノカは一瞬たりとも目を逸らさないと言わんばかりに、極限の集中状態にて上空を凝視する。
すると、一体のエクリプスがゆっくりとホノカ達の元へと舞い降りてきた。
もちろん、その漆黒の機体はZ1だった。
だが、当初のような圧倒的なプレッシャーは感じない。
ステファニーとの戦闘のダメージが大きかったのか、右腕と左足は消滅していた。
胴体には風穴が空き、裂傷が機体を覆っている。もはや傷のない箇所を探す方が難しかった。
その無数の生々しい傷が激しい戦闘だった事を物語っている。
……あのZ1をこれほどボロボロにするなんて……。って、ステファニーはどこっ!?
ホノカは辺りを見渡すが、ステファニーはどこにも見当たらない。
…………いや、いた!
ステファニーはZ1の掌の上で目を閉じて横たわっていた。
天使の翼は見当たらず、神々しいプレッシャーも、微塵も感じない。
その姿はただの幼い少女にしか見えなかった。
……っ!? ステファニーが負けた……!?
想定していた最悪の事態にホノカは声を上げようとするが、その前にZ1の言葉が響き渡った。
「……安心しなよ。彼女は死んでいない。気絶しているだけさ。だけど少々手荒く無力化させてもらったよ」
その言葉には隠しきれない疲労が感じ取れた。
戦いには勝利したとはいえ、Z1の消耗も激しいのだろう。
その証拠に自己再生の力すら発動しようとしない。
いや、実際に出来ないのだろう。
それほど無視の出来ない深刻なダメージを受けたのだとホノカは冷静に分析する。
「……ステファニーをどうするつもり……!」
ホノカは臨戦態勢をとってZ1を油断なく見据える。
「……無力化したとはいえ、彼女は少々危険すぎる。僕が預からせてもらうよ。なに、手荒な真似はしないさ」
「あんたの言葉なんか信用すると思っているの……っ!」
ホノカはZ1を一流の武人だと認めていたが、その心根までは信用していなかった。
それはそうだろう。まともな人間が世界相手に喧嘩を売る訳がない。
「だとしたらどうするのさ? 少々消耗したと言っても君達程度、指一本あれば十分だよ。文句があるならかかっておいで」
あからさまな挑発だった。
だが、あれほどの次元の違う戦いを見せられて誰がまだ立ち向えるというのだろうか。
ここで立ち向える者がいたとすればそれは頭のネジが飛んでいるか、底ぬけのバカのどちらかだろう。
確かに今のZ1はかつてない程消耗しているだろう。
しかし、Z1の言葉を否定出来る者はいない。
本当に今のZ1でもホノカ達を指一本で倒しかねないからだ。
ホノカは辺りを見渡す。
ディアベルもペルセポリスもシャルドネイも動きだす気配は見せなかった。
ーーしかし。
「私があんたを倒すわ!」
ホノカはズビシッと指を突き付けながら、気が付けば言葉を発していた。
……私って底ぬけの馬鹿だったのね……。
ホノカは自分が無意識に行った行動に内心で苦笑いする。
だが……ホノカは自分が選択したこの行動がどうしても間違っているとは思えなかった。
事情は分からないが、か弱いステファニーが命をかけてZ1を止めようとしたのだ。
自分よりも年下の少女にあれだけの勇姿を見せつけられて黙っているホノカではなかった。
もちろん、ステファニーがホノカよりも遥かに長い年月を生きているという事実は知りようもないのだが……。
「はっ……はははは……あっはっはっは! やっぱりホノカさんは最高だ。本当に面白いよ! でもね、実のところ今日はもう結構疲れたんだ。だから今日の相手はもうおしまい」
「……っ!? いったいどういうことよ!?」
ホノカはZ1の言葉の真意が理解出来ず、叫ぶ。
だが、ホノカの問いに答えたのはじっとホノカを見守っていた大和だった。
「こ、これは……やられた! まさか……始めからこれが狙いだったのですか!?」
焦燥に駆られる大和の初めての表情を見て、ホノカは驚く。
「かあさ……大和総司令官、どうしたのよ……!?」
大和は呆然とした表情で虚空を見つめる。
「要塞都市の全システム権限を乗っ取られてしまいました……。今のシステム権限は全てZ1が握っています……!」
「……なんですって!?」
ホノカ、アベル、ルナミス、メルキヲラは大和の言葉に驚愕する。
「……ふふ、その為の3日間だったのさ。流石のZ1も大和の管理するメインシステムをすぐに掌握するのは難しい。でもナノサイズのコンピューターウイルスを混入させ、時間をかけて増殖させる事で、ようやく乗っ取る事が出来たよ。まさか月の天使が現れるとは予想外だったけど、これでようやく当初の目的が達成出来そうだ」
ホノカには知る由もない事だが、Z1の26の特殊能力の一つには、体の一部をナノサイズのコンピューターウイルスに変化させるという能力があった。
「い、いつの間にそのような事を……! い……いったいあなたはこれから何をするつもりですか!?」
大和は叫ぶ。
しかし、Z1は大和の叫びなど何でもないように答えた。
「今から10分後にこの要塞都市を爆破させる。これはもう決定事項だよ。これからどうするかは君達次第だ。せいぜい遠くまで逃げる事だね」
「……っ!?」
場にいた全ての者が絶句していた。
ホノカはモニターの画面に映る母親の姿を見る。
大和はホノカが見た事もない程に焦燥しており、顔色は青を通り越して真っ白だった。
だが、大和の決断は早かった。
ここから取れる何百、何千という行動をシミュレーションし、最善の行動を模索する。
その時間はわずか0、1秒。流石はAIと言える検索速度だった。
「総員! 退避! 総員! 退避! 要塞都市にいる者は即刻、少しでも遠くに逃げなさい! 私が全力をかけて誘導します! この場から逃げなさい!」
それが大和の選んだ選択だった。
「かあさんっ! 本気なの!?」
モニターに映る大和は焦燥した表情はなりを潜め、覚悟を決めた顔つきに変わっていた。
「……ホノカ。あなたも逃げなさい。少しでも遠くへ」
ホノカは頭が真っ白になりながら叫ぶ。
「……なら……かあさんはどうするの!? 一緒に逃げるんでしょ!?」
だが、大和の言葉はホノカの期待していたものではなかった。
「私は要塞都市に残ります。少しでも皆さんを遠くに避難させる為に」
それはこの要塞都市と共に心中するという宣言だった。
ホノカは涙を溢しながら叫ぶ。
「いやよっ! そんなのいやっ! かあさんを残して私だけ逃げるなんて!」
「ホノカっ! 言うことを聞きなさいっ!!」
「……っ!」
ホノカは大和の本気の怒気に何も言う事が出来なかった。
いつもそうだった。大和はいつも自分の為に全力で怒ってくれた。
本物の母親のように。いや、ホノカにとっては本当の母親だった。
だからこそ慕い、今まで付いてきた。
だが一番守りたいと思っていた人が犠牲になり、自分だけが逃げなければならない。
そんな事、到底許容出来るはずがなかったが……。
「ホノカ。よく聞きなさい。もう私がいなくても貴女は一人でやっていける。私はずっと貴女を見守ってきた。かあさんが言うんだから間違いないわ。だから次は貴女の番。今度はホノカが皆を守ってあげて」
「そんな……私なんかじゃ出来ないよ……」
「貴女なら出来る……なんたってかあさんの自慢の娘なんだから」
「……っ! ……うぁっ……うぅ……うん……わかった」
ホノカは涙で大和の顔を見ることが出来なかった。
これが今生の別れになると理解出来た。同時に大和の愛も理解出来た。
自分は本当に幸せ者だ。
こんなに素晴らしい母親がすぐそばで見守っていてくれていたのだ。
だから、自分が恥ずかしい行動をしていてはいけない。
今度は自分が大和のように皆を守る番なんだ。
なんたって……自分は大和の自慢の娘なのだから……。
ホノカはただ、ただひたすら走った。
脇目もふらずに走った。
自分が先導して皆を導かなければならない。
様々な思いが脳裏を駆け巡る……が、ホノカは全ての思いを吹っ切ってただ、ただ遠くへ走り続けた。