第12話
「Z1、ごめん。君の美しい体を傷つけてしまった。本当にすまない」
ナルクは断烈によって傷ついた体を自己再生させながら、モニターに映る美女を見つめ、深々と頭を下げた。
「いいえ。ナルクの好きなようにして。私は貴方の為だけに存在している。貴方の為ならば私はどうなってもいい」
「だめだ! 君が僕の為に傷つくなんて許されない! どうなってもいいなんて言っちゃダメだ!」
「ナルク……」
Z1の胸の内は歓喜に満ち溢れていた。
己が唯一パイロットとして認め、本気で恋した存在・ナルクが、自らの身を案じ、檄を入れてくれたのだ。
そんな必死な姿の想い人を見て、心を動かされない訳がない。
もはや、Z1の瞳に映るものはナルクの凛々しい顔だけしかなく、シャルドネイの姿など眼中になかった。
ーーだが次の瞬間、幸せな気持ちを一瞬にして警戒心に変えさせるナニカの出現をZ1は感じ取った。
「……? これは何? ナルク……危険。かつてない脅威が貴方を襲う」
「……っ!? これは……!?」
ナルクとZ1は同時に空を見上げた。
そこには一体のエクリプスがナルク達を見下ろしていた。
「あれは……Mシリーズ・ベルベットか!」
Z1につられて空を見上げたメルキヲラが呆然と呟く。
だが、今更何を……?
と、この場にいた全てがそう考えたのも無理はない。
しかし、Z1は格下のはずのベルベットを警戒心剥き出しにして呟く。
「いや……この波動は……違う。ベルベットからじゃない……まさか……」
ベルベットのコックピットが開き、一つの小さな影が躍り出た。
ベルベットの頭の上に立っていたのはうさぎのカバンを背負った幼い少女、ステファニーだった。
ステファニーはたんっと宙に浮くベルベットから身を乗り出す。
「危ないっ!」
ホノカは真っ逆さまに墜落するステファニーの姿を幻視し、叫ぶ……がその光景は起こらなかった。
「……っ!? 宙に浮いている……?」
アベルは驚愕に目を見開いてその光景を見ていた。
ステファニーはあろうことか真っ逆さまに落ちる事なく、エクリプスのように宙に浮きながらこちらを見下ろしていたのだ。
その表情は無機質で何を考えているのか読む事が出来ない。
突如として現れたベルベットとステファニーの登場に誰も声を出す事が出来ない中、ステファニーは沈黙を破り、言葉を発した。
「ししょー、そんな事しちゃダメ。ししょーが皆を傷つけてはいけない」
小さな呟きだったが、その声はしっかりとナルクの元に届いていた。
その声音は無機質で、そこから感情を読み取る事は出来ない。
「ステファニーさん。ししょーっていうのは僕の事かな?」
「……うん。ししょーは私と同じ。平和を願う者。だからこんな事をしてはいけない」
「……っ!」
ナルクはステファニーの言葉に動揺を漏らす。
……見透かされている……?
ナルクはステファニーという少女の評価を数段階押し上げた。
ナルクはステファニーを幼いながらもMシリーズのパイロットに選ばれた、ただの天才少女という認識しか持っていなかった。
だからこそ、ステファニーの母国に手を加えてこの戦いには参戦出来ないように手回しをしていたはずだった。
それが故のベルベットに偽った奇襲攻撃だ。
ステファニーはもうここには姿を現す事はないと踏んでいたが、どうやら当てが外れたようだとナルクは油断なくステファニーを見据えた。
……それにこのプレッシャー。彼女はどう考えてもただ者じゃないね……まさかこの時代にこれほどの猛者がいたなんて……。それに……このどこか懐かしい感じはいったいなんなんだ……?
ナルクはかつて未来で戦った猛者達にステファニーを当て嵌め、彼女の正体に思考を巡らせるが思い当たらない。
するとステファニーに変化が起こった。
ステファニーの背中から眩い2対4枚の天使の翼が生え、神々しい光に包まれた。
「これは……月の天使か!」
ナルクはステファニーの正体に思い当たり、叫んだ。
その瞬間、ステファニーの姿が掻き消え、Z1の目の前に姿を現す。
……速いっ!
ステファニーの予想外の速度に驚愕する中、ステファニーは小さな拳を握りしめ、殴打を放とうとしていた。
「……私がししょーを止める」
周りで見ている者はステファニーがZ1という巨人に殴りかかろうとする姿は滑稽に映っているだろう。
だが、ナルクには少女の拳が、怪獣のような大きい拳に映っていた。
ナルクはこれまでの一切の油断を捨て去り、全力でステファニーに迎撃する為、渾身の殴打を放った。
ドォォオオオオン!!
二つの拳がぶつかった瞬間、まるで大爆発が起こったような轟音が響き渡った。
それを合図に二人の攻撃が乱れ飛ぶ。
Z1は極限の集中状態にて、ステファニーの殴打を見切る。
最小限の動きで躱そうとするが、あまりに生身のステファニーの姿が小さく、躱す事が難しい。
ナルクはステファニーの殴打に己の殴打を被せる事で威力を相殺していた。
ドォォオオオオン!! ドォォオオオオン!! ドォォオオオオン!!
幼い少女とロボットの巨人という冗談みたいなサイズ違いの戦いに誰もが口を開けて呆然と見ていた。
ナルクは周りの反応など一切考慮せずに目の前のステファニーだけに集中する。
もはやよそ見をしている暇など一切ない。一瞬の隙が命とりになる。
それほどナルクはステファニーという存在を危険視していた。
ナルクがこれだけステファニーを危険視するのには理由がある。
ナルクが産まれる前、月には先住民がいた。
その姿は地球の白うさぎによく似ており、月の裏側に高度な文明を築きあげていた。
彼らの性格は穏やかで争いごとを好まず、人間に対して友好的な態度だった。
その月の住人を統べる者が月の天使と呼ばれる存在で、月の住民からは月の守り神として敬われていた。
その力は神話にも登場するほど凄まじく、力の源は謎に包まれていた。
その数百年後に月の文明と住民は滅び、護る者を失った月の天使も滅びる事になる。
Z1はその凄まじい力を持っていた月の天使の遺体を使って生み出されたエクリプスだ。
つまり、今目の前にいるステファニー、いや月の天使はかつてのZ1、いわばオリジナルと呼べる存在なのだ。
Z1の力を誰よりも理解しているナルクがステファニーの力を軽んじるはずがなかった。
「……ナルク。あの子、不思議な感じがする」
激しい戦いを繰り広げる中、穏やかにZ1はナルクに語りかけた。
「あの子はかつての君だよ。まさかこんなところで会えるなんてね」
「…………」
Z1は何か思うところがあったのか、じっとステファニーを見つめていた。
今まで自分にしか興味を示さなかったZ1の見せた、この珍しい反応にナルクは笑みが溢れる。
だが、感傷に浸っている暇はなかった。
少しずつではあるが、押され始めていたからだ。
「……ぐっ!」
ドォォオオオン!
ステファニーの力任せの殴打がZ1の肩に掠った。
それだけで肩が消し飛びそうな衝撃が全身を駆け巡る。
今のは避けたはずだ……! まさか……殴打の余波だけでこれだけのダメージを……!?
さしものナルクもステファニーのあまりの規格外な力に戦慄する。
流石はZ1のオリジナルの存在だ……。
ナルクは内心でステファニーに賞賛の言葉を送った。
しかし、よくステファニーを見てみるとステファニーの背中に生えていた翼の数が2対4枚から4対8枚に増えている事に気付く。
それとともにステファニーから放たれるプレッシャーが増大する。
「なるほど……どうりで殴打の出力が上がったと思ったよ。翼の数に応じて力が上がっていくという事か……」
その時、またステファニーの姿が掻き消えた瞬間、ナルクは背中にとてつもない衝撃を受けた。
「ぐぁっ……!?」
Z1の背中がぽっかりと穴が空いていた。それと同時にステファニーの姿を見失う。
無視の出来ない深刻なダメージにナルクは冷や汗をかく。
……今のは僅かな空気の揺らぎもなかった。断烈とも違う攻撃……まさか……。
ナルクはZ1が持つ26の特殊能力の一つ、時間停止を発動させる。
ーーシィィイイン。
全ての動きがゆっくりになり、音も掻き消え、辺りが静寂に包まれる。
周りにいたエクリプスが完全に停止する中で、一人の少女だけが高速で飛翔していた。
「やっぱりか……でも止まった時の中を動く事が出来るのは君だけじゃないよ」
二つの強大な力が止まった時の中で再度激しく衝突した。