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眠らぬ民の国  作者: 深(深木)
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7

※2023.3.18に加筆修正しております。

「開けるぞ」


 小さな声でそう呼びかけたルシアン様は、少し間を空けてから静かにドアノブを捻ると扉を押し開けた。

 開け放たれた部屋の奥にいたのは、切っ先を真下に向けて仁王立ちしている一人の男。

 両手で剣を握り、鋭い眼光でこちらを見据える姿を見るに、彼がルシアン様の話の中に出てきた騎士なのだろう。立ち姿がとても様になっていた。

 歳は、三十後半から四十代。

 明るいヘーゼルの瞳が印象的で、短く刈り込まれた固そうな栗毛が精悍な印象を与える。


 鈍らな剣だというのに、下手に動いたら切り捨てられそうだ――。


 やせ衰えているくせに、侮る気を微塵も起こさせないほど張り詰めた空気を纏う男にそんな感想を抱く。

 磨く道具がない所為か全体的にくすみ、刃は丸みを帯びているというのに、騎士が手にしている剣は必ずやその役目を果たすのだろうと思わせる。主の下に唯一生き残った部下である故の責任感か、今日という日を待ち望んだ心がそうさせるのかはわからないが、あの騎士は今、かなり気合が入っているのだろう。ルシアン様から聞いた話を思い出し、そりゃそうだよなと納得すると同時に、俺は気迫あふれる騎士の姿に気を引き締めた。


 ――ここから先の言動は、細心の注意を払った方がいい。


 迂闊なことを口走るとレヴァナントと戦う前にこの男と戦うはめになる。

 胸を過ぎったその思いは、確信に満ちていて。どこかヒリついた空気に、俺は固唾を呑んで騎士の動きを見詰める。しかしそんな俺の胸中など知らぬ騎士は、入室したルシアン様の姿を熱心に眺め、主君の身に怪我や異常がないか観察していた。




 時間にして数秒。

 視線を走らせて御身の無事を確認すると、騎士は一切の音を立てずに剣を鞘に収め、フッと安堵の息を吐く。


「ご無事でしたか」

「ああ。屋敷の中ならばそう危険はない」

「それでも安心しました。想定よりも随分と早い到着だったので脱出を察知した敵の罠か、例の青年との交渉に失敗して人質に取れているのかと」

「滅多なことを言うな。レイは快く協力してくれたぞ」

「そのようで」


 ルシアン様がムッとした表情を浮かべるも、騎士は悪びれることなく軽く流す。その光景はどちらもリラックスしており、二人の間柄が気安いものなだと察するには十分だった。


 ――苦難を共にしてきたからこそ、だろうな。


 一回りは違うだろうに軽快に言葉を交わす二人の姿に、そんなことを考える。最後の一人の騎士となるまでに彼らは幾多の悲しみを抱き、どれほどの怒りを燃やしてきたのだろう。


 きっと、それは――。


 かつての俺が抱いた激情と似ているのではなかろうか。

 静かに目を伏せた俺の脳裏に浮かぶのは、すべてを失ったあの日の記憶――。


  ***


 パキパキと岩肌がひび割れる音が耳につき、近くでまた土砂崩れが起きたのか体の芯まで届くような重い地響きが我が身を揺らす。その感覚に、俺はできうる限りの魔法を使って休憩するために駆け込んだ天然物の洞窟をより頑丈に、より強固なものへと強化していった。

 やがて、亀裂音も地響きも聞こえなくなり。

 俺はホッと安堵息を吐く。

 そんな中、最初に限界を訴えたのはラーシュさんの奥方だった。

 座り込んだまま立ち上がれなくなった奥様に手を差し伸べたラーシュさんへ静かに首を横に振った彼女は、青ざめた顔を申し訳なさそうに歪めて、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。


「ごめん、なさい。私は、もう、動けないわ……」

「……私も、この怪我じゃ足手まといになっちゃうからここに残るね」


 弱り切った母親の背を支えながら娘であるセシリアもそんなことを言うものだから、ラーシュさんはとても悲壮な表情を浮かべていて。かくいう俺も、きっと負けず劣らずの酷い顔をしていた。だって、そうだろ? ここまでどうにか皆で逃げて来たのに、今更二人を置いて行けだなんて、そんな馬鹿なことできるはずがない。

 しかし、奥様とセシリアは俺達まで足を止めることは許してくれなかった。


「貴方とレイなら、麓まで辿り着けるわ。レイが強化してくれたここなら温かいし、雨風も防げて安全だから大丈夫よ」

「そうよ。私と母さんはここで待っているから、二人は助けを呼んできて。これだけ大きな災害だもの、きっと麓の町には王都の騎士様達が来てくれているわ」


 彼女達の言葉は正論だった。

 夜の山道はただでさえ危険なのに、昨夜から続く雨と先ほど運悪く起こった地震の所為で土砂崩れの可能性がグッと高まっている。体力の限界だろう奥様と足に怪我を負ってしまったセシリアを連れての下山は、魔法があったとしても危険だった。

 けれども、ここが安全だと完全に保証されているわけではない。できる限りの魔法を施したが、強化した以上の衝撃が加わればこの洞窟だって潰れてしまうだろう。それに、先ほどから頻繁に起こっている地震。なんだかすごく嫌な予感がする。

 しかし「私達のために早く行って」と言われてしまったら、俺もラーシュさんもそれ以上駄々を捏ねるわけにはいかず。

 俺達は二人のために助けを求めるべく、洞窟をあとにしたのだった。

 


   ***



 ……結局、俺は奥様やセシリアだけでなく、ラーシュさんも助けることが出来なかった。


 皆を置き去りにしながら助けを求めて降りた麓の町で俺が目にしたものは、山体崩壊に備えて派遣された騎士団の姿ではなく、無残に壊れた町と逃げ惑う人々、それから高らかに神罰だと謳うベルンハルト王の幻影だった。

 救いの手が差し伸べられることはないのだと理解した瞬間、胸に飛来した感情は筆舌に尽くしがたく。激しい後悔とこの惨劇を生み出した者達への怒り、失うことへの恐怖や焦り、様々な感情が渦巻き、その激情のままに俺は自身の怪我や疲労など忘れて再び山を駆け上った。

 しかし、ラーシュさんも奥様もセシリアも帰らぬ人となっていて。


 彼らの遺体を前に、俺は――。


 心の奥底に沈めていた感情の蓋が開かれようとしているのを感じて、俺は慌てて瞼を持ち上げた。あの頃の感情に囚われたら、うずくまったまま身動きが取れなくなってしまうからな。頭を掻きむしって叫びたい衝動を誤魔化すように、俺は大きく息を吐く。

 前世を思い出してからずっと、身も心も落ち着く暇がなくて嫌になる。

 追憶の果てに呼び覚まされた想いに零れかけた舌打ちを呑み込めば、そうこうしている間にも話は進んでいたようで。注がれる視線を感じて顔を上げれば、ルシアン様が俺を見詰めていた。


「レイ。貴方もこちらへ」

「……はい」


 ルシアン様に促されるまま部屋の中ほどまで足を踏み入れれば、途端に騎士から値踏みするような視線が飛んでくる。

 主君の命を預けるに足りる人物かどうか、俺のことを観察しているのだろう。そうしたくなる気持ちはわからないでもないが、決して心地いいものではなく。脳裏を過ぎった“目を逸らしたら負け”という言葉に従って、俺もジッと騎士を観察する。思い出したくない過去を垣間見た所為で、機嫌が悪いんだ。そっちがその気なら、こっちも遠慮なくどのくらい使い物になるのか品定めさせてもらおう。

 そんなことを考えながらにらみ合うこと、数十秒。

 不審な点がないか余すところなく視線を走らせた男は、警戒の色を残しつつも一応は納得したのか小さく頷いた。


「ポール・レディーンだ。元は王族を守る近衛騎士団にいたが、今はこのありさまだからな。これから世話になるし、畏まらずポールと呼んでくれ」


 ニッと男くさい笑みを浮かべたかと思えば、そんな気さくな台詞と共に右手を差し出されたので、俺も慌てて距離を詰めてその手を握り返す。


 急に態度を変えるなよ……。


 ここで握手に応え損ねていたら俺がすごく嫌な奴みたいになるじゃないか、と心の中で理不尽な要求をしつつ、これ以上の八つ当たりしないように一呼吸して気持ちを切り替える。冷静さを欠いて、また日本語が飛び出したりしたら面倒なことになりそうだしな。


「レイです。よろしくお願いします」

「ああ。こちらこそよろしく頼む」

 

 言語の件もあるし、身の上を語ってボロが出るのも嫌なので手早く済ませれば、そんな対応が良かったのかポールさんから追加の笑みをいただいた。無駄話を好かない性質なのか、切り替えが早い人間がお好みなのかはわからんが、好感度が上がったのなら何よりである。

 そうして俺達が挨拶を済ませたところで、見計らったようにルシアン様が「さて」と場を仕切りなすように声を上げる。次いで浮かべる表情を真剣なものへ変えると、そんなルシアン様に応えるようにポールさんも口元を引き締めた。


「それでポール。レヴァナント達の動きはどうだった?」

「はっ。事故の対応で多少は手薄になっているのではと期待していたのですが、どうやら予備のレヴァナントも投入したようで配置に変更はありませんでした。見回りの経路変更もないようです。先ほど一通り確認してきましたが、調査通り本日の見回りのパターンはαのままでした」


 懐から取り出した地図を広げ、様々なパターンで書き分けられた数多の線のうちの一つを指さしたポールさんに、ルシアン様が小さく息を吐きながら頷く。


「それは運がよかったな。αのままなら、脱出経路は計画通りでいいだろう」

「ええ。これならば最後に会うレヴァナントの数が一番少ないのでよかったです」


 何度か重ね書きしたと思われる最も太い線をなぞるポールさんの指を目で追いながら、「それが脱出経路ですか?」と問いかければ「そうだ」と想像通りの返事が返ってきて、俺は一人押し黙る。

 正面突破やベルンハルト王の部下達が住まう豪邸の側を通るルート、野生動物がいる方面を踏破しなければならないものや有害ガスが溜まっている可能性が高く廃坑となった坑道を利用するものに比べたら、今回使われる脱出経路は安全そうである。他のルートと比べて間違いなく最短だし、見張りの数が多い豪邸の側やこの鉱山のまだ開発されていない方面を進むよりも危険は少ないだろう。

 脱出経路の終着点が、下に川が流れている崖で終わってさえいなければ。


 あの崖を飛び降りる気なのか……。


 奴隷屋敷を挟んで採掘場とは逆方向に進んだ先にあるあの崖は中々の高さを誇っており、落ちたら川に真っ逆さまであるために逃亡者が選ぶ確率は低いだろう。そのため、他の場所と比べたら見張りのレヴァナントの人数は少ない可能性が高い、というのはちょっと考えれば思いつくので、彼らの情報は事実なのだろう。あの川は町まで繋がっているようだし、着水時の衝撃と音、それからなかなか速い流れの川から無事に脱出する手立てがあるのならば、良い案だと言えるかもしれな――って、んなわけあるか! 

 いつだったか、十五メートルから飛び降りたら水面はコンクリートと同じ高さだと聞いたことがある。いつも遠目に見る程度だったのであの崖の正式な高さなど知らないが、逃亡者がほとんど選ばないってことはつまり、そういうことだ。テレビで昔放送していた水泳のハイダイビングという競技では二十七メートルの高さから飛び込んだりしていたが、あれはプロの技術があってこそ可能なのであって、どう見ても素人が真似していいものではなかった。


 ――ルシアン様達はそんな危険な冒す気だったのか。


 魔法もなく、生身のまま。

 どちらかが魔法を使えるならば、コンクリートにぶつかるくらいの衝撃なんどなんてことないだろうが、生身で挑戦する気だったなんて信じられない。正直、正気かどうか疑うレベルである。こんな運任せな作戦では、いとも簡単に死んでしまう。

 奴隷の身でありながら王家の首飾りや鈍らとはいえ剣を隠して持っていたことや、この辺りの正確な地図とレヴァナントの見回りルートを入手できている点は途轍もなく凄いが、こんな生き残れるかは一か八かでしかない作戦を当然のように受け入れ、実行しようとしている彼らの姿を見ているとえもいわれぬ不安が胸に広がっていく。

 それほどまでに自分達の力を過信しているのか、不確かな計画を実行せざる得ないほど追い詰められているのか、それともなにか別の問題があるのか。どちらにしろ、こんな穴だらけな作戦を実行しようと決意するくらいなのだから、碌な理由ではないに違いない。


 このまま一緒に居ると、取り返しのつかないことになる。

 

 停滞していたこの五年間が嘘のように突如として動き出した状況と己が心に、そんな予感がした。


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