表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
眠らぬ民の国  作者: 深(深木)
7/40

6

※2023.3.18に加筆修正しております。

 救護室として使われていた部屋を出て、ルシアン様の後をついて歩くこと十数分。

 他の奴隷仲間達に見つからないように人目を忍んで歩きつつ、彼は今日に至るまでの日々がどのようなものであったか掻い摘んで話を聞かせてくれた。


 現政権に対してクーデターを起こすにあたって、準備が完全に整うまでベルンハルト王側に俺達の動きを悟られないようしたいこと。また、そのためにもここでの騒ぎはあまり大きくするわけにいかず、心苦しいが他の奴隷達は解放せずに、ルシアン様と部下一人と俺の三人だけでここから脱出すること。だからあの部屋で寝ていた人達に睡眠薬を盛って、起きないようにしてあったこと。

 ルシアン様はサラッと話していたが、今回使われた睡眠薬を彼が手にするまでに、どれだけの数の人間が命を危険に晒すことになったのだろう。考えるだけでなかなか闇が深い。

 それに、ルシアン様はどうやってあの部屋に居た人間全員に同時に薬を摂取させたのかと言う疑問も残る。食事は個別配給なので恐らく水に混入したのだろうが、薬の摂取時間が異なると眠りにつくまでに時差が生まれる。そうなってはなにか盛られたことに気が付く者も出てきて、騒ぎになってしまっていただろう。

 しかし、現実はそうならなかった。

 魔法を使わず、となると上手いこと言い包めて一斉に皆へ水を飲ませるしかないが、どんな言葉をかけたんだか。実行犯は自分だという言葉が嘘でないのなら、ルシアン様はお綺麗な顔にそぐわず随分と強かな人間である。


 ――いや。もしかしたら、いざと言う時に手を汚すのは己でなければならないと思っているのかもしれない。


 背負った数多の命に恥じぬ人間であるために。

 統治者として評価するのであれば、あれもこれも捨てたくないと迷った末に後れを取る者よりは、犠牲を払う覚悟を持ち被害を最小限に留められる人間の方がずっといいし、汚れ役をすべて人任せにしないというのも大変素晴らしい心意気だが。


 ……もしそうであるのなら、ルシアン様は随分と損な性格をしている。

 

 そんな感想を抱いた俺は心の中で、数刻前のルシアン様の姿を思い描く。この地獄のような鉱山での生活から解放される時を夢見ている奴隷達(無辜の民)へ、自身の脱出劇(民を置いて逃げること)を悟られぬために眠り薬を盛った彼はその時、


 どんな想いで皆に毒杯を差し出したのだろう――。


 瞼に浮かべた情景に、胸が詰まる。

 真の意味でアネセルと国民を解放するためとはいえ、その行為はなんとも悲しく。また、ルシアン様にとってどれほど酷な役割であったことか。


 その苦しみが報われる保証など、どこにもないというのに。


 茨道と知りながら進まねばならないとは、なんとも切ない運命を背負った人である。そう思ったものの睡眠薬の一件の舞台裏に隠されている悲哀など、ルシアン様やその部下達が送ってきたこれまでの日々から考えれば、理不尽な運命の中の一つにすぎず。俺が同情するなどおこがましいと言われるに違いない。

 そんなことを考えながら、静かに彼の背中を追いかける。

 幸か不幸か、合流地点へ向かう行く手を阻むものはなく。俺は移動中ずっと悲しみと怒りに満ちた彼の軌跡を聞き続けた。

 先王や王妃達が殺されるのを眺めることしかできなかった話に、先王の崩御を知り逃げ場がないと悟った忠臣が寝返ったふりをして今も王城内に残っている話、五年前にその忠臣の手引きによってルシアン様と部下の方々は偽りの身分で奴隷へ落ちた話。ベルンハルト王の追手から逃れるには他に方法がなかったとはいえ、始まった奴隷生活は過酷なもので、幼かったルシアン様は多くの部下の献身によって生き延び、守られてきたこと。次いで、そんな忠臣達を数え切れないほど失ってきた話などなど。

 詳細を尋ねることを躊躇うような内容のものまで、それはもう色々と語ってくれた。どう考えても今日会ったばかりの俺に話すようなものではないだろうに、ルシアン様はなにを思って聞かせてくれたのだろうか。


 誰でもいいから胸の内を吐き出してしまいたかったのか。

 それとも、散った命の存在を見ず知らずの人間にも知っていてほしかったのか。


 赤裸々に語って聞かせる彼の真意が、どこにあるのか俺にはわからない。ただ、ルシアン様が過ごした五年間は数多の犠牲の上に成り立っていて。激情を押し殺しながら自身が歩んできた人生を語るその姿は、痛々しくもどこか恐ろしかった。

 彼はどのような気持ちで、自身のために散り逝く命を見送ってきたのだろう。

 彼は守るべき民が虐げられ命落としていく様を、いかなる感情で眺めてきたのだろう。

 そうして、近い将来。

 ベルンハルト王を目の前にした彼はなにを思うのか。


 一通りの話を聞き終えた俺はその時へ想いを馳せて――固く口を閉ざす。

 深い悲しみと言い尽くせぬほどの屈辱、なにもできぬ無力感に燃え盛る怒りと憎悪。両親の死の瞬間に居合わせ、壊れていく国をまざまざと見せつけられながら、生き残った皆の一縷の希望となるべく数多の臣下から命を捧げられてきた彼の胸中を考えると、今日に至るまでのこの五年間は“過酷”と言う表現すら生易しい。

 それに加えて、鉱山まで着いてきた部下の中でたった一人生き残り今も主の側にいる騎士や、生かすためとは言え主君と仲間達を奴隷の身へ落とした忠臣や協力者達が送ってきた日々も壮絶すぎる。

生存できるか定かでない場所に守るべき主君を送らねばならないなんて、どれほど悔しかったことか。ルシアン様と共に戦う日を夢見て鉱山で命を落としていった仲間達を見送る騎士が、どれほどやるせなかったことか。いつ死ぬかもわからぬ場所に主君や騎士達を置いたまま、国の荒廃を喜ぶ新王が座す王城を見上げている協力者達は、どれほどの憎しみを抱えていることか。


 想像するだけで恐ろしい……。


 幾度なく激情を呑み込んでこの五年間を耐え忍んできた彼らが、今日のこの日をどれほど待ち望んでいたのか。そんなの尋ねなくともわかる。


 ――失敗など、決して許されない。


 とんでもない大役を任されたものだと考えてはいたが、重すぎる責任に眩暈がした。

 万が一、ルシアン様が約束の場所に辿り着けなかった場合、忠臣を筆頭にして前王とその息子を主君と崇めている人間全員が絶望し、無駄死に覚悟でベルンハルト王へ挑むことだろう。ルシアン様はこれから反撃の狼煙を上げるための決定打を手に入れに行くと言っていたし、仰ぐべき主君を失った忠臣達が決め手となる武器もなく勝てるとは到底思えない。それでどうにかなるなら、とっくの昔に戦いを挑んでいるはずだからな。

 間違いなく、この国に二度目の血の雨が降る。

 それに、今回の戦いでベルンハルト王が勝てば。


 今度こそ本当に、“アネセル”という国が息絶える――。


 正直、ルシアン王子が生存していたこと自体が奇跡だ。当時、ベルンハルト王はかなり血眼になって前王に連なる王族達を探し出して処刑していたからな。ルシアン様以外の希望の光などこれからどこを探しても出てないし、そもそも謀反を起こされたベルンハルト王が簡単に民を許すはずがない。絶対に裏切らない保証があるごくわずかな人間だけ残し、あとは全員レヴァナントへ転身させられる。確実にな。

 そうして残ったものなど、もはや“国”とは呼べず。アネセルの名残もなにもありはしない、アネセル国の跡地にできた山の神の神殿かなにかだ。

 とはいえ、どちらにしてもこのまま時が進めば、この国はそう遠くない未来にすべての民がレヴァナントと化すだろう。だからこそ、ルシアン様達は今こうして懸命に足掻こうとしているのだ。


 “アネセル”という国を。

 そこに住まう“民”を。

 この世から亡くさぬために。


 ただ、その一心で彼らは屈辱と怒りを噛み締めながら、生き続けてきたのだろう。そのために彼らが犠牲にしてきたものは数えきれず、今日を迎えるために各々が胸へ刻んだ覚悟など想像もつかない。関係者全員が、ベルンハルト王打倒に命を懸けていると言っても過言ではない。なんてったって、彼らの一挙手一投足すべてに国の存亡がかかっているのだから。

 そして、そんな重要な人々の旗頭であるルシアン様の命を俺が預かって、ここから脱出しなければならないと言う事実。

 責任重大過ぎて震えが止まらない。


 ――神よ。なぜ、俺のような人間にこれほど重要な役目を与えたのですか。


 異世界の前世の知識を持つ特殊な人間だからか? それともラーシュさん達の命を奪って生き延びたからか? もしくは復讐を終えたら死ぬ気だからか? 近々捨てる予定の命ならルシアン様(主人公)の役に立ってから死ねってか?

 心の中で、何度も理由を問いかけるも返事はなく。胸を掻きむしりたくなるような息苦しさに、この世界と課された運命を呪う。このクソみたいな脚本を用意した奴が存在するというのなら、俺は絶対に許さない。

 明るい未来を思い描くどころか、復讐を誓い、他人の未来を血で染める瞬間を待ち望んでいるような人間が“英雄の仲間”だなんて冗談じゃない。出演者がこれでは、どれほど壮大な舞台だろうとも駄作になるのが目に見えている。


 そうは思うも、いまさら自分からこの舞台を降りるわけにはいかず。


 俺は胸に溜まった重苦しさを逃がすように細く息を吐き出しながら、黙々とルシアン様のあとを追ったのだった。


   ***


 ルシアン様の背を追いかけること十数分。

 辿り着いたのは奴隷屋敷の端っこで、人の気配もなければ、窓の外に見えるレヴァナントの影も少なかった。


 ……まぁ、人目を避けるならこの辺りしかないよな。


 吹き込む風の冷たさに震える身体が物音を立てないよう慎重に歩みを勧めながら、俺は部下との合流地をこの近辺に設定したルシアン様に心の中で同意する。

 この辺りはボロ屋敷の中でも元から老朽化がひどかった一角であり、半年ほど前にあった台風で壁が半壊したことで完全に居住区から外されたこともあって、足を運ぶ者はほぼいない。放置されたままの瓦礫から、居住区を補修する材料を探すために訪れるくらいものなので、最近ではレヴァナントの数すら減らされているようなところだ。密会するには絶好の場所と言えよう。

 そんな人気のない一角を進みながら、俺はルシアン様の声がいつしか止んでいたことに気が付いて安堵の息を吐く。しかし安心したのも束の間、沈黙が落ちた空気が重たくのしかかり先ほどまでは違う息苦しさに喘ぐ。

 なにか話題を提供するべきだろうか。しかし彼と共有できる想いなどない俺に、なにについて話せと言うのか。彼の境遇にかける言葉など見つからず、かといって、この重苦しい空気の中でわざと道化を演じて場を和ます話力などない俺には、何が正解なのかまったくわからなかった。


 ――俺がなにをしたというのか。


 なぜ、こんなにも気まずい思いをしなければいけないのか。

 若干雰囲気に流されたところがあったのは、認める。

 ただ、想像以上にすべてが重すぎた。

 ルシアン様の人生も、過酷な道を行く主君と共に歩まんとする騎士や忠臣達の想いも、彼らが目指す先にある未来も、アネセルとその民の命運を決める戦いも、それら全部。とてもではないが俺には背負えない。


 …………いや。背負いたくない、と言うのが正解だな。


 誰かに心寄せるという行為は、良くも悪くも心が揺さぶられて苦しいものである。

 故に俺は誰かを想う感情を捨てようとしていた。なにも感じなければ、傷つくことも悲しむこともなく楽だからな。

 そしてそれは成功しつつあり、俺は友になれそうだった気のいい男の生存が危ぶまれる状態になっても、『残念だな』くらいしか感じなくなってきていた。無味乾燥な日々の中、心枯らしてゆっくりと死にゆくだけならそれでよかった。そしてたとえ自由を得たとしても、俺の目標は復讐。他人の不幸を望む以上、大事なものはない方がいい。そもそも新たに大切なものを持つ資格など俺にはない。だからそのままでよかったのだ。設定された仕事以外は無反応なレヴァナントのように、俺も“人”と呼ぶには不完全な存在でよかった。


 だというのに、ここにきてこれだ。

 ルシアン様達のことを知れば知るほど罪悪感や同情心が沸き上がり、否応にも感情が揺れる。そうして心が傾けば傾くほどに彼らを見捨てにくくなり、離れがたくなることだろう。そんな予感がヒシヒシとしている。

 なので、そうなる前にさっさと離れてしまいたいというのが本音だ。だというのに、未来に起こりうる可能性を考えると、今ここでルシアン様を見捨てて逃げるのははばかられる理由がある。


 ……まいったな。


 このままでは否が応でも伝わってくるルシアン様達の感情の強さに、引きずり込まれてしまいそうで嫌になる。万が一脱出劇の最中に俺が命落とすことになったとしても、人助けした結果なのだからラーシュさん達は許してくれるかもしれないと考えたのがいけなかったのだろうか。繋いでもらった命を捨てる罪の意識を軽くしようとしたから、罰が当たったとでもいうのか。俺はもう、大切なものなど何一つ抱えたくなかったというのに。


 ――復讐を誓ったあの日の己が叫びを、忘れたわけではない。


 しかしこの過酷な道を行かんとする彼の言葉をこれ以上聞きたくないのに、俺は耳を塞ぐことができずにいる。

 まさかこんな展開になるなんて、思いもよらなかった。

 後悔したところで時遅く。舌打ち代わりにグッと唇を噛みしめながら、俺は己が浅はかさと神が与えた運命を呪った。

 



 そうして誰にも聞かせることなく反省と神への罵倒を繰り返しながら、人気のない廊下を進むことしばし。

ついにルシアン様が足を止める。


「ここだ」

 

 そう言って周りの部屋と比べて比較的綺麗な扉を示したルシアン様は、音色を刻むように数回ノックすると小さな声で「開けるぞ」と呼びかけると、一拍強くらい間を空けてから静かにドアノブを捻って扉を押し開く。

 

 開け放たれた部屋の奥にいたのは、切っ先を真下に向けて仁王立ちしている一人の男だった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ