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眠らぬ民の国  作者: 深(深木)
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※2023.3.18に加筆修正しております。

 夢だとわかる夢を見た。


 とある商業施設にあるフードコート。

 ウレタン加工されたテーブルの一つを陣取り、クーラーの涼しさだけでは足りないと友人達とアイスを頬張っていた俺は、卓上に散らばっていたカラフルなアイスの容器を適当に重ねて席を立つ。そして割り箸やバーガーの包み紙、ストロー刺さったままの透明なプラスチックカップで一杯のゴミ箱に投げ入れると、目の前にあったガラス張りの壁から青空のど真ん中に陣取った真夏の太陽を見上げて、ため息を零した。


「……これは、外に出たら地獄だな」

「ああ。毎年暑くて嫌になる」

「尋常じゃない暑さだよな」


 俺の言葉に反応した友人達に頷きながら地上へと視線を落とせば、日傘を差した人々や濡れてシャツの色が半分変わってしまっているサラリーマンが疲労困憊といった様子で額に浮かぶ汗を拭っているのが見えて、げんなりする。地球の温暖化現象が騒がれるようになって数十年経っている気がするが改善する手立てはいまだなく、毎年最高気温を更新するばかり。今日だって、まだ七月になったばかりだというのにこんな調子だからな。これでは、来年の夏はどうなってしまうのやら。


「日中にアスファルトの上を歩いていると、本気で命の危険を感じるからな。子供の頃は熱中症で亡くなったってニュースを聞いてもピンとこなかったが、最近は暑さにやられて死ぬ瞬間が想像できる」


 数時間前まで体感していた地面からの照り返しと、うだるような熱気を思い浮かべながらしみじみと呟けば、「俺もー」と同意する友人達。町中に溢れかえる人や建物や車を見詰めながら、俺は漠然と地球の終りが近いのかもしれないと思った。


 と、ここで場面が切り替わる。


 ザザーン、ザザーンと寄せては返す波。

 白い泡が消えた海水は透き通っていて、黒や白や茶の砂粒が引き波に誘われてクルクルと踊りながら沖へ流れて行く。その光景がとても貴重なものに思えてしばし見入っていた俺だったが、おもむろに腰かけていた岩から立ち上がり、穏やかに降り注ぐ陽光を浴びながらエメラルドグリーンとコバルトブルーが交わる美しい水平線に目を細めた。


「――綺麗な景色だろう?」

 

 自然が織りなす芸術に魅入っていた最中、突然聞こえてきたその声に驚いてバッと振り返れば、人が良さそうな笑みを浮かべた男性が「よっ、と」と声を漏らしながら大きな岩を越えているところで。四十前後くらいだろうその男性は歩き難い岩場をえっちらおっちらと進んで俺の側までやって来ると、汗を拭いながら嬉しそうに問いかける。


「ここは地元でも限られた人間しか知らない穴場なんだ。訪れる人は滅多にいないから静かだし、砂浜にゴミ一つなくて最高だろう?」

「……ええ。そうですね」


 人懐っこい雰囲気に釣られて頷けば、「そうだろう!」と輝かんばかりの笑みを浮かべる男性。

確かに、切り立った崖と雄大な海に挟まれたこの浜辺は大人が十人も寝転べば埋め尽くされてしまうほど狭く、波の音しか聞こえないくらいには静かだった。俺がこの場所に来てからどのくらい経っているのかは不明だが通りがかる船も人影もなく、彼が口にした通り穴場なのだろう。そんな場所に、この男性は一体何の用があって来たのだろうか。

 浮かんだ疑問のままに男性を見やれば、同じく不思議そうな顔が目に映る。


「見た感じこの辺りの人ではないようだけど、君はここで何をしているんだい? 見ての通り、もうすぐ潮が満ちてこの砂浜もあの岩場の道も海の中に沈んでしまうから、そろそろ戻らないと危険だよ」


 俺は、男性のその言葉に衝撃を受けた。

 だって、知らなかったのだ。なんとなく砂浜が小さくなっている気はしていたが、まさか今居るこの砂浜は潮が満ちたら海に沈んでしまうだなんて。他のことに気を取られていたこともあり、まったく思い至らなかった。

 

 早く戻らないと、この美しい海に飲まれて死んでしまう。


 突如として現れた死の予感に恐れ戦く。そんな俺の姿を見ておかしいと思ったのか、人が良さそうな男性は先ほどよりも心配そうな様子で問いかけてきた。


「君はどうしてここに? ……もしかして、なにか帰れない事情でもあるのかい?」


 気遣わしげな表情を浮かべてそう言った男性に、大丈夫だと言ってあげたい。しかし俺にそう答える余裕などなく。心配してくれる男性に対して大変申し訳なく思いながら、俺はありのままの状況を口にした。


「……わかりません」

「わからない?」

「ええ。わからないんです。なんでここに居るのかどころか、……俺自身の名さえも」


 俺の告白に驚き、目を丸くする男性。

 この直後、彼は驚愕のあまり盛大な悲鳴を上げたのだった。


   ***


 ――なんて、懐かしい。


 記憶を失い、途方に暮れていた俺を拾ってくれた恩人、ラーシュ・モンソンさんとの出会いの場面にノスタルジックな想いが込み上げてくる。

 神々について研究している神学者であったラーシュさんは、本当に温かく優しい人で。近隣住民とは明らかに違う格好をしている上に身元不詳な不審者であった俺を自身の家族として迎え入れてくれたばかりか、魔法の使い方やこの世界の常識を幼い子供に教えるように一つ一つ丁寧に説明して、ここでの生き方を手取り足取り教えてくれたものである。


 記憶の中だけでしか会えない人々の元気な姿に頬が緩み、

 二度と戻らない幸せな時を想い胸が締め付けられる。


 友人達とクーラーが効いた室内で馬鹿みたいにアイスを頬張って笑い合ったことも、ラーシュさんと出会い共に過ごした日々の記憶も、叶うことならずっと浸っていたいと感じるくらい温かな思い出で。久しぶりに目にした友人達やラーシュさんの笑顔に目を細めるも、彼らの声が聞えていないことに気が付いて愕然とする。

 会えなくなると人は声から忘れていくというのは、どうやら本当だったらしい。当時の情景も交わした会話もこれほど鮮明に覚えているというのに、なんてことだ。俺の名を呼ぶ音色一つ、思い出せないだなんて。  

 たった今気が付いた悲しい事実に、俺は静かに涙を零した。


 と、ここで視界が暗転。

 

 長い夢から目覚めた俺の目に入ったのは、素人修理だと一目でわかる補修跡がそこかしこにある奴隷屋敷の小汚い天井だった。


   ***


 ――――誰か、嘘だと言ってくれ。


 寝起きで霞んでいた視界が少しずつ明瞭になっていくのと時同じくして、己が置かれている状況を理解した俺は、知らぬ間に始まっていた異世界生活を振り返って絶望する。

 まさかまさかの異世界トリップ。

 そのような超常現象が我が身に起こるなんて、想像もしなかった。


 なにがどうして、俺は世界を跨ぐことになったのやら……。


 友人達と一緒に居た俺は確か二十代半ばであり、現在の二十歳前くらいだろう姿では辻褄が合わない。記憶を辿るに、ラーシュさんと出会った時は高校生くらいの姿だったしな。世界を跨いだことで若返ったのか、もしくは異世界転生したのか、なにがなにやらといった気分である。一体全体どうしてこうなった。


 って言っても、肝心なところが曖昧なんだよなぁ……。


 前世など覚えてないのが当たり前だからなのか、世界を越えた影響なのかわからないが、ところどころ靄がかかっている自身の記憶に思わず感嘆のこもった息がもれる。

 地球に居た頃を思い起こしてみると、どうも社会人として働き始めた数年間分しかない。そしてこの世界でのことは、記憶喪失になっていた俺をラーシュさんが保護してくれた六年前からのことしか覚えていないので、なんらかの原因でトリップしたのか、一度死んで転生したのか真相は不明である。空白の記憶の中で、俺の身に一体何が起こったのだろうか。


 ……気にはなるが、知ったところで現実は変わらない。


 起こってしまった過去について思いを巡らせるよりも、今は考えなければならないことが山ほどある。なにしろ、俺の現状が悲惨過ぎるからな。

 迷い込んだのか生まれ落ちたのか知らないが、新しい人生の舞台がよりにもよって崩壊寸前の世界だなんてなんたる不運。さらに、暮らしていたアネセルという国が粛清の標的となり、怒れる神々が起こした大災害に巻き込まれるなんて。

 その上、神々か引き起こした未曾有の自然災害による被害で混乱している最中、神徒となった王弟ベルンハルトが謀反を起こし政権が交代。アネセルとその民は、神々の支配下に置かれることになったときた。

 その最中で俺は、レヴァナントとして利用されるのを防ぐべく、ラーシュさん達の亡骸を火葬したため捕まり、奴隷の身分へ転落。その後は生きるだけで精一杯な日々を送り、恩人一家との別れがトラウマとなり親しい人も作らず、厳しい現実に復讐心も希望も失い、漠然とした死への恐怖に怯えながら日夜鉱山で働き続けていた。それだけでもかなり悲惨なのに、崩落事故に巻き込まれるなんて不遇極まりない。この時点で『俺は前世でどれほどの悪行を積んだんだ?』と聞きたくなるレベルのハードモードである。

 だと言うのに、我が身を襲う不幸は止まることを知らず、崩落事故の衝撃によって地球で生きていた頃の記憶が蘇るときた。不幸の連鎖が長すぎて、もはやどこから突っ込んでいいのかわからない。

今更思い出したところで、もう遅いのだ。

 家も財産もすべて失い、魔法も封じられた奴隷の身では復讐も革命も救済もできやしない。なにより、幸せにしてあげたかった人々がすでにこの世にいない。

 今更地球で過ごした記憶を思い出したところで無用の長物、それどころか精神的苦痛が増すばかり。前世で培った知識と経験があればもっと上手く立ち回れたかもしれない、皆を守れたかもしれないという思いが浮かび、激しい後悔が込み上げてくるだけだ。役立っただろう前世の記憶も、こうなってはただの毒でしかない。

 記憶喪失から始まり、ラーシュさん一家に拾われ生かしてもらった恩義が悲しみや喪失といった暗い感情よりも勝っていたからこそ、苦労と不幸の連続であっても踏みとどまり、俺は過酷な奴隷生活を受け入れてきた。生かしてもらった分、生きなければと。その一心で俺はとっくの昔に折れてしまった己が心から目を背け、一日でも長く生きるべくこの命を守り続けてきたのだ。


 しかし、多くのものを思い出した今。

 救えなかった絶望感が、すべての想いを塗りつぶしていく。


 とてもじゃないが、これまで通り生き抜く努力を重ねることは出来そうにない。だって、ラーシュさん一家や友人達を救えなかった五年前にこの心は一度死んでいるのだから。それでもこれまで命を絶つ選択をせずにいたのは、最後の時まで注がれた愛があったから。守られたからには彼らの分まで生きなければと、その一心で俺はこれまでずっと。なのに。


 この仕打ちは、ないだろう……。


 俺がなにをしたというのか。

 地球にいた頃の俺は、平々凡々な日本男児だったと思う。家族や余所様に迷惑をかけるようなこともなく順調な流れで大学まで卒業して社会へ出た俺は、日本における雛型どおりの、ごくごく一般的な人生を歩んでいたはずだ。

 そりゃ、趣味の一つとしてライトノベルなどを嗜んでいたので、思春期の頃は異世界転生に憧れたりもしたが、本気でしてみたいと考えたことは一度もない。


 だというのに、この状況。


 普通に生きてきたつもりだったのに、なにがいけなかったのだろうか。

 そもそも異世界トリップとか転生って言ったら普通もっとこう、夢や希望に溢れているもじゃないのか。冴えない主人公が勇者として活躍したり、前世の知識を使って庶民から成り上がったりして、ハッピーエンドを迎えるのが定番だろう。現状、別世界で暮らしていた記憶がマイナスにしかならないんだが。どういう了見だ。

 それとも、この状況から大志を掲げてどうにか頑張れとでも言うのか。鬼畜仕様すぎるだろ。俺の心はすでに折れているというのに、いまさら夢や希望を抱けるわけがない。馬鹿か。なんで初っ端からこんな酷い状況なんだ。俺はそれほどまでに地球の神様に嫌われていたのか。それとも記憶にない空白の間に、なにかとんでもないことをやらかしてしまったのか。


 …………神よ。一体、俺がなにをしたというのですか?


 心の底からそう問いかけるも、返事が返ってくることはなく。

 俺はため息を一つ零して、ぼんやり眺めていた天井から視線を外す。そして己の状態を確認するべく、横たわったままの自身の体へと目を向けた。

 悲しすぎる今生について考察したところで原因はわからないし、これからの未来を思案したところで先行きの真っ黒さに絶望するだけだからな。この件に関しては一先ず棚上げしておこう。


 体を動かすのは……まだ辛いな。


 沸々と込み上げてくる絶望感に蓋をして自身の体の状態へと意識を向ければ、何故だかわからないが鉛のように重く、指先を動かすことすらだるかった。言うなれば全身筋肉痛といったところか。しかし痛みはほとんどなく、所々包帯が巻かれてはいるものの折れた部分を固定しているような感覚はないので、重傷を負っているというわけではなさそうだ。見た目と体の感覚から考えるに、擦り傷や切り傷用の軽い処置を受けたといったところだろう。

 生き埋めになったはずなのに骨の一本も折れなかったとは、運がいいのか悪いのか。転生特典で人よりも体が頑丈だったりするのだろうか。そうならそうと知っていればあの時俺は――、と考えだすとこれまたドツボに嵌まりそうなので自身の体調については早々に切り上げて、部屋の中へと視線を動かした。


 ……俺は、奴隷屋敷に戻されたんだな。


 かろうじて動く頭を慎重に動かして見渡した室内には見慣れた景色が広がっていて、ホッと安堵の息を吐く。

 今、俺が寝かされているここは、事故が起こった坑道から少し山を下った場所にある鉱山町の跡地、その一角にある建物の中だ。もともとは、鉱山で働く出稼ぎ労働者のために建てられた宿泊施設であり、現在は奴隷達の収容所となっている。古ぼけた施設で、そこかしこに日曜大工などしたことのない奴隷達が修理した、それも魔法でなく自力で施された不格好な補修跡が見受けられるなんとも味がある建物である。ただ、外周は逃亡防止としてレヴァナントで隙間なく囲まれているものの、内部に監視の目はなく。奴隷屋敷の中は、俺達奴隷に与えられた唯一気を抜くことができる安息地となっている。

 そして、そんな場所に戻されたということは、俺は現場復帰できると判断されたということで。荷物のように乱雑な扱いで城へ運ばれて、レヴァナント化させられるという事態は回避できたというわけだ。


 ……なんだかな。

 

 地獄のような生活が続くだけだというのに、生き永らえた事実に安堵した自身に気が付きなんとも言えない感情が込み上げる。

 生に執着するのは生き物の本能。生き残ったなら喜ぶのが当然だろう。そう思う一方で、このまま生き続ける意味などあるのか、死んでしまった方がいっそ楽だったのに、と嘆く己がいる。

 前世の記憶など思い出さなければ“救えたかもしれない可能性”が思い浮かぶことも、こうしてのうのうと生きている罪悪感に押しつぶされそうになることなく、ただ、皆に繋いでもらったこの命を失わずにすんだ奇跡に感謝して再び過酷な日常に戻れただろうに。

 

 守られたことへの感謝と守れなかった絶望。


 複雑に絡み合う感情を振り切るように、改めて部屋の中の状況を確認していく。

 この部屋は寝床の一つであったはずだが、今は救護室に充てられているようだ。視線を動かせば、俺以外にも数名の怪我人が横になっており、窓際では看病してくれただろう奴隷仲間達が壁に寄りかかって静かに目を閉じていた。

 彼らの頭上にあるひび割れた窓から見える外は暗く、天辺を越そうとしている月を見るに、現在時刻は深夜といったところだろう。


 日は跨いでないと思うが……あれからどれほどの時間が経ったのだろうか。


 俺達奴隷には朝も夜もないので、時間や日にちなんて気にする必要ないのだが、地球の記憶を思い出した影響からかそんなことを考える。次いで、今更無用の長物だと毒づきながらもどこか前世の記憶に引っ張られている自身に気が付き嫌悪感がこみ上げる。

 前世の記憶が懐かしくも憎くたらしく。皆が残してくれたこの命を大事にしたい気持ちはあるが、あの頃の自分に前世で培った知識や経験があれば彼らを失うことなく守れたかもしれない可能性が脳裏をチラつき絶望感が拭いきれない。


 ――知りたく、なかった。


 前世の記憶など思い出したくなかった。そうすればこんな苦しみを抱くこともなかっただろうに。熱を帯びる目頭をごまかすように、そっと目を閉じる。

 もう、なにも考えたくなかった。


 しかしこの世は無情なもので。


 視界が遮られたことで聴覚が澄まされたのか、先ほどまでは感じなかった苦しげな息遣いと鞭の音が耳に届く。それと同時に、今まさに働いている仲間達の姿が瞼の裏にありありと浮かんだ。


「――ハァ、ハァ」

「……ゼーゼー」


「とっとと資材を運んで坑道を作り直せ!」

「三日以内に採掘を再開せよとのお達しだ! できないならば、お前たちも事故に巻き込まれた奴隷達のようにレヴァナントの仲間入りすることになるぞ!」


 鞭を鳴らし、嘲笑うように残酷な言葉を吐いているのは、数少ない奴隷以外の生者であり、ベルンハルト王よりこの鉱山一体の管理を任されている責任者達だ。普段はレヴァナントに任せっきりで現場に出てくることのない奴らが、直々に指揮を執っているなんて珍しいことがあるものだ。


 ……いや、出て来ざるを得なかったのか。


 あの崩落事故によってかなりの被害が出たので、単調な命令を守ることしかできないレヴァナントでは対処しきれなかったのだろう。

 違反行為をしなければジッと見てくるだけのレヴァナントと違い、彼らは自分達のことをベルンハルト王と同じく神々に選ばれた人間だと思っているから性質が悪い。気まぐれに現場に顔を出しては面白半分に俺達を罵倒し、鞭で打っていくからな。彼らの指揮で働くなど、最悪としか言いようがない。

 いつも以上に厳しい条件で労働を強いられている仲間達に、心の中で手を合わせる。と言っても、目立った怪我のない俺も体を動かせるようになったらあそこへ混ざることになるので他人事ではないのだが。


「……ハァ」


 明日の自分を想像してため息を零しつつ、重たい体を休めるべく頭を元の位置に戻す。次いで眠りにつくべく、思考を止めて頭の中が空になるよう努める。

 と、その時だった。


――カタン。


 窓の方向から聞こえてきたその音に思わず瞼を持ち上げれば、続けざまにゴソゴソと誰かが動く気配がした。

 どうやら誰かが起きたらしい。

 もしやさっきのため息で起こしてしまったのだろうか。

 だったら申し訳ないな、などと考えながら俺は音の主を探すべく目だけを動かして暗闇の中を探る。すると、暗がりでもわかる金髪を揺らしながらこちらに向かってくる人影が一つ。広めの肩幅や凹凸のない真っすぐな胴体から考えるに男であるようだが、ぼんやりわかるシルエットは大人と言うには細く、小さい。しかし少年と呼ぶほど頼りない印象は受けないので、十七、八歳くらいの青年だろう。

 水差しとコップらしきものを手に、こちらへまっすぐ向かってきていることから彼の目的が俺であることは間違いなく、思わず眉を下げる。俺のため息が聞こえたから、起きたと思って様子を見ようとしてくれているのだろう。貴重な休息時間を俺達の手当てで消費させた上に、看病までさせてしまうなど本当に申し訳ない。


 ……役人達が負傷した奴隷の看病を他の奴隷に申し付けるなど、ありえないからな。


 そもそも、奴らは崩落事故に巻き込まれた奴隷の救助指示すら出さなかったはずだ。恐らく、俺も含めてここに居る怪我人達は、採掘を再開するために坑道の出入り口を補修させる過程で邪魔な土と一緒に運び出されたにすぎない。そして、たまたま特別な治療が必要ないほど軽傷だったため、ここに寝かされることが許された。

 ただ、それだけだ。

 奴隷が死んだところで、レヴァナントになるだけだからな。奴らからしてみれば、わざわざ奴隷を救助したり看病したりして生かしてやる必要などない。

 であるからして、俺達をこの部屋に運び込んだのも、手当てをしてくれたのも、看病できるよう壁にもたれて休んでいるのもすべて、青年達の善意であり優しさだ。自分が生き残るだけでも精一杯な環境下で他者を助けようと思えるなど、なんて心の清らかな人々なのだろう。仲間の死を悲しむことすら忘れかけている俺とは、大違いである。

 俺達の看病をしているからといって、彼らの労役が免除されるわけではなく。交代時間がきたら、青年達も外にいる仲間達と同様にいつも以上に過酷な労働に身を投じなければならない。そうと知りながら、他人を労われることができる彼らを俺は心から尊敬した。


 それなのに、起こしてしまうなんて……。


 なんとも申し訳ない限りである。ここまで運んでくれただけでもありがたいのに、俺が目覚めていることに気が付かせてしまったから、具合を確認するなんて余計な手間を増やしてしまった。すべてを失ってから前世を思い出す愚鈍極まりない俺には、優しく気に掛けてもらう価値などないのに。

そんな風につらつらと考えているうちに、彼は間近に迫っていて。

 パチッと視線が交わった瞬間、月明かりを受けた青年の瞳が煌めき、鮮やかなエメラルドグリーンが暗がりに浮かび上がる。


「――――やっぱり目覚めていたんだな。」


 安心したようにそう告げた青年の瞳は、ラーシュさんと出会ったあの海と同じ色をしていた。


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