表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
眠らぬ民の国  作者: 深(深木)
18/40

17

※2023.3.18に加筆修正しています。



 ――樹木から生み出された蛇の頭が指し示す方向へ進むこと、しばし。

 次の道標は、離れたところから見ると猫の頭のように見える三本の木だった。絶妙なバランスで生える二等辺三角形の木とその間にある丸く葉を茂らせた木の根元へと近寄れば、尾のように地表を這う一本の太い根っこが俺達に進むべき方角を教えてくれる。

 猫の次は、幹の途中が握り込んだ拳の形に膨らんでいる木の親指が示す方へ。

 次いで幹に浮かび上がった大きな壮年の男性の顔、その、哀愁を帯びた眼差しの先へ。

 さらにその次はバレエのアティチュードのごとく片方の足を軸足にして立ち、後ろに足を上げて膝を曲げたポーズを決めた木が差し出した腕が示す方向へ。

 乱立する木々に紛れて存在する人工物かと思うような形をした木が指し示す方角とルシアン様が持つ手帳に書き込まれている距離数を頼りに、俺達は冥府の森を歩いて行く。


 その道のりは長く。

 俺達は何度か森の真っただ中で夜を越すはめになったのだが、幸いなことに幽霊やネクロマンサーが使役するスケルトンなど、また熊や鹿といった野生動物と遭遇し襲われるようなことはなかった。

 しかしそんな幸運の一方で、緑溢れた森ありながらリスや小鳥といった小動物はおろか、蛇やカエルなどの爬虫類も蜘蛛や百足といった昆虫類すら一匹も見かけないのがなんとも言えず不気味で。恐ろしいまでに静まり返った森に警戒心が募り、不安が膨らんでいく。

 けれど、足を止めることは許されず。

 得体のしれない雰囲気を放つ森に薄寒い思いを抱きつつ、俺達は森の奥へ奥へと進んでいく。


 そして三度目の朝を迎えた、本日。


 俺達はようやく、ネクロマンサーの住処に繋がる入り口を発見したのだった。



   ***



 静けさが染み渡る冥府の森の奥深く。

 一本の木を囲む俺達の息遣いは、疲労と興奮からか僅かに上がっていた。


「――これだ」


 感動に震えるように呟いたルシアン様と俺達の視線の先にあるのは、二つに分かれた幹が左右対称に弧を描き、再び交わって大きな楕円を描いた一本の木。枝葉で縁を飾られた楕円型の木は成人男性でも通り抜けられるほど大きく、その中は水鏡のように瑞々しく辺りの景色を映し出していた。


 ――吸い込まれそうだ。


 サァと吹き抜けた風で波打ち、シャボン玉のように七色を滲ませる鏡面の美しさにそんな感想を抱く。

 天然の樹木によって形成された縁取りも、波打つ水鏡のような鏡面も、不自然極まりない存在だというのにどちらも思わず魅入ってしまうほど美しく幻想的で。今や伝承の中の一族となりつつあるネクロマンサー達が暮らす町がこの鏡の向こう側にあるというのもさもありなんと思わせる、妖しげな雰囲気が漂っていた。


 緊張からか、はたまた恐怖からか。

 水鏡の木が放つ言いしれぬ不思議な気配に、皆がゴクリと息を呑む。

 そんな中、最初に動いたのはルシアン様だった。

 周りが止める間もなく鏡面に向かってルシアン様の手が伸びて、入り口へと触れた彼の指が波紋を広げながらゆっくりと水鏡の中に呑み込まれて行く。


「――っ!」


 まさかの暴挙に、そこかしこから悲鳴を呑み込むような音が聞えた。

 当然だ。この国の命運を決める戦の旗印として皆から守られるべき立場にある人間が、盾となるべき騎士達を差し置いて、危険か安全かもわからぬものに手を突っ込んだのだからな。あまりの事態に声も出ない様子のポールさん達の胸中は、推して知るべし。ナウマン卿などお歳の所為か先ほどまで見るからに疲労困憊といった顔をしていたというのに、今は驚愕と怒りで般若も真っ青な恐ろしい表情を浮かべている。彼らの胸中を思うと、ご愁傷様と言うしかない。


 ……まぁ、俺も同じような心境だけどな。


 これまで受けた仕打ちを考えると思うところが色々とあるわけだが、別にルシアン様達の計画が失敗すればいいと願っているわけではない。俺を巻き込まないでほしかっただけで、ベルンハルト王の討伐に関しては出会いから今に至るまでの間ずっと成功を祈っている。しかもその想いは、彼らと共に過ごせば過ごしただけ深まっている。残念なことにな。 


 なのに、ルシアン様ときたらコレだ。


 ドキドキと速度を上げる自身の心臓の鼓動を感じながら、彼の手の平や手首が水鏡の中に沈んでいく様子を見守れば、あっという間にルシアン様の腕は肘の前あたりまで水鏡の中に消えた。


 無謀というか、なんというか……。


 思い切りが良すぎるルシアン様の行動に、言葉が出ないとはこのことか、とぼんやり思う。彼の生き様に惹かれつつある身からすれば、心臓に悪いったらありゃしない。自身を軽んじるような行為をするルシアン様に心の中で不満を零しつつ、俺は異常があったらすぐに動けるように彼の様子を伺った。

 当然の結果というべきか、彼の腕が水鏡を突き抜けて反対側から見えるなんてことはなく、鏡面に吸い込まれた部分はどこかに消えてしまっている。腕を突っ込んだ本人はいたって元気そうだが、視界から消えたルシアン様の腕が今どのような状況にあるのか、見ている俺達にはまったくわからないので心配が募るばかりだった。

 興味深そうな顔で腕を呑み込んだ水鏡を覗き込むルシアン様の姿に、不安が膨らむ。正直、ハラハラし過ぎて心臓が痛くなってきた。


 …………さっきからなにも言わないけど、大丈夫なんだよな?


 いてもたってもいられず辺りを見回せば、ポールさんやナウマン卿達も似たり寄ったりな心境らしく、皆固唾を呑んでルシアン様の様子を窺っていた。


 だよな。

 その気持ち、すごくわかる。


 硬い表情で主君を見守る面々の心境を思い心の底から共感していると、そんな俺達の胸中を知ってか知らずか、肘の前あたりまで鏡面に沈めていたルシアン様が再び動き出す。幸いにも、引き抜かれるのと同時に再び姿を現したルシアン様の腕は指先に至るまで傷一つなく無事だった。


 ――よかった。


 水鏡に入れる前と寸分変わらぬ姿に、俺はホッと胸を撫で下ろす。いくらこれがお目当てのものだったとしても躊躇いなく素手で触れるなんて、無謀というかなんというか……とにかく、心臓に悪すぎる。ルシアン様は皆の旗頭なのだから、もっとその御身を大切にしてほしい。

 そう思ったのは俺だけではなかったようで。

 傷一つないルシアン様の腕をとっくりと眺めて、ようやく復活したナウマン卿とポールさんが声を上げた。


「なんてことをなさるのですかルシアン様! 御身の代わりはおられないのですぞ!」

「そうです! そのようなことは俺達にお任せください!」


 皆の心の声を代弁した二人の言葉にルシアン様が見せたのは、バツが悪そうな顔で。


「……悪かった。次は気を付けよう」


 素直に非を認める姿も言葉遣いも大人びてはいるものの、表情に僅かに残る幼さに俺はルシアン様の年齢を思い出してハッとする。


 ……まだ、十七歳だ。


 精神的には三十後半になる俺と違って、彼は身も心も正真正銘の十七歳なのだ。

 日本で言えば高校二年生か、三年生。

 将来を考え始める時期ではあるが、大人と呼ぶにはまだ早い。理性や常識ではなく、好奇心が先立ってしまったとしてもなんらおかしくないし、周囲の大人がそんな若さゆえの行動をフォローしてあげるべき年齢である。

 ベルンハルト王の謀反さえなければ、ルシアン様だってそう在れたはずだ。安全な城の中で両親や兄や多くの大人達に見守られ、時に諫められながら、未来への希望を胸に抱いて勉学に勤しんでいたに違ない。


 しかし現実はかくも厳しく。

 彼が子供でいることを許さなかった。


 国の命運を背負い、旗頭として皆を率いて戦わけなければならないルシアン様の胸中はいかほどのものだろうか。いくら気安く接していようとも、所詮ポールさんは家臣の一人、王族であるルシアン様との間には越えられない主従関係がある。本当の意味で心許せる友も頼り甘えられる場所もなく、それでも進まなくてはなくてはならないルシアン様は、


 心の奥底でなにを思っているのだろう――。


 与えられた役目に責任感を燃やしているのか、皆の希望であらねばならないことに息苦しさを覚えているのか、課せられた運命に挫けないよう必死に自身を鼓舞しているのか、はたまた、心預ける者が居ない寂しさに震えているのか。

十七歳の青年が背負わされたものに思い巡らせた俺は、込み上げてくる苦い感情を噛み締める。

 自分のことだけで手一杯だった。

 それが当然で、それでいいと思っていた。

 しかし今、心の中で「このまま彼を行かせてしまっていいのか?」と問う声が大きく響く。


 どこかの物語の主人公のように国を救う手伝いをする高揚とは違う、罪悪感や焦燥感に似た熱がジリジリと胸焦がすのを感じつつルシアン様達を見やれば、お小言も終盤を迎えたらしく。ポールさんが呆れた顔で言い含めているところだった。


「――まったく。今後は、自分で確かめるような真似は慎んでくださいよ? そのために俺達がいるのですから」

「ああ、約束する」

「お願いします」


 深々と頷いたポールさんとナウマン卿に少し元気を失くしつつも顔を上げたルシアン様は、仕切り直しと言わんばかりに「コホンッ」と強く咳払いを一つ。次いで水鏡の縁に手を乗せると、真面目な顔で水鏡に手を入れた感想を語りだした。


「転移した先は此処とは違う、スッキリした空気と温かい太陽の気配がする場所だった。手帳に書かれていた水鏡の特徴とも一致しているし、これがネクロマンサーの町への入り口で間違いないだろう」

「空間魔法を使った移動装置、それも誰でも簡単に使えるものなんて高度な品を作り出せる人間は限られていますしね」

「ああ。人間の領域を越えた魔法をすら操るネクロマンサーの一族ならば、こういったことに長けた者がいても何らおかしくない。協力してもらえれば、頼もしい限りだが――」


 ルシアン様とポールさんの言葉に異論を唱える者はおらず、皆の視線が水鏡へと向かう。

 ネクロマンサーの英知を詰め込まれて作られた水鏡の鏡面には、七色に輝く波紋が浮かんでいて。その美しさに魅せられて思わず水鏡の中を覗き込めば、幾重にも広がる輪で歪んだ鏡面の中で柔らかく微笑んでいる女性と目が合った。


 ――――ッ⁉


 初めて見る人物に俺は声にならない悲鳴を上げて後ろを振り返るが、そこに女性の姿などなく。慌てて再度水鏡へと目を向けるが、鏡面は美しい波紋を浮かべているだけで先ほど見た女性の影も形もない。


 まさか。

 嘘だろ。


 信じられない出来事にぎこちなく周囲の反応を窺うも、異変を感じているような様子の人は誰一人として居らず、ポールさんとルシアン様も変わらぬ様子で会話を続けていて、


「そうですね。交渉が上手くいくといいのですが……」

「数百年前に交流が途絶えたきりで、彼らに関しての情報はほとんどないからな。温厚な人々であることを祈るしかない」


 何事なかったかのように二人の言葉に賛同するように頷くナウマン卿や騎士達の姿から導き出される女性の正体に、ザァーッと音を立てて血の気が引いて行く。

 今、俺はさぞかし酷い顔をしているだろう。ここにきて、まさかの事態である。此処が曰く付きの森だとだとわかってはいたが、今の今まで噂で聞いていたような事は何も起こっていなかったし、そのような体験をした者も一団の中にはいなかったので油断していた。

というか、何で唯一の目撃者がよりもよって俺なんだ。本当に勘弁してくれ。

 心の中で誰とはなしに文句を連ねつつ、温かさを失い、かすかに震えている指先を誤魔化すように握り込む。そして心のどこかで白々しいと思いつつも俺は「気のせいだ。女性なんているはずがない。さっきのアレは霧に写った影か何かを見間違えただけだ」と自分へ言い聞かせた。

 ここまで何事もなかったのに、ネクロマンサーの一族が暮らす町に入る直前になって幽霊の姿を目撃するなんて、それも目撃したのは俺だけだなんて一体何のフラグなのか。考えるだけで恐ろしい。

 しかし幾ら俺が嫌な予感に震えていようとも、時は待ってくれないわけで。


「――皆、異論はないな?」


 必死に自己暗示をかけている最中、耳を掠めたルシアン様の声にハッとして顔を上げると、何かを肯定するように首を縦に振るナウマン卿や騎士達の姿が見えて、俺は己の失態を悟る。


 しまった。

 まったく話を聞いてなかった。


 不意打ちのように起こった恐怖体験に気を取られていた所為で彼らが一体何の話をしていたのか、ルシアン様がなんの決議を取っていたのかもわからず後悔するも、今さら挽回できるものではなく。どうにしなければと焦るも、すでに満場一致といった雰囲気になっているこの場で、今更何の話をしていたのか尋ねるのはかなりの勇気が必要であり、俺はなかなか異論を唱えることができなかった。

 そうこうしている間に話はさらに進み、ついにポールさんの口から決定的な言葉が告げられる。


「では、俺とレイと騎士三名が先に水鏡を通り、向こう側の安全を確認でき次第ルシアン様とナウマン卿が渡り、残りの者達も順次続く形で行くぞ」

「「「「「はっ!」」」」」


 最終確認したポールさんに、力強く応える騎士達。

 それが決定打となり、満場一致だと勘違いされたまま水鏡を通る順番が確定する。

 そして俺は何一つ心の準備ができないまま、この中で二番目にネクロマンサーの一族が住まう土地へ足を踏み入れることになってしまったのだった。


 なんてことだ。

 誰か嘘だと言ってくれ。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ