12 ルシアン視点
※2023.3.18に加筆修正しています。
鉱山の麓に広がる森の中。
――チチッ、チッチッチ、チチチッ。
楽しそうな鳥達の囀りを背に、俺は朝焼けに染まる空を見上げて目を細めた。
「綺麗だな」
「……ええ。本当に」
噛み締めるように答えたポールと軽く目を合わせて笑い、またすぐに天へと視線を戻す。
木々に囲まれた、狭い空。
だが、自然が織りなす色彩の美しさは変わらない。
こうしてゆっくりと空を眺めながら夜明けの時を味わうなど、何年ぶりだろうか。
五年前。
父上や母上達を殺して玉座を奪ったベルンハルトの魔の手から逃れるために、怒りも屈辱も呑み込んで自ら望んで奴隷の首輪を着けたあの日から、好き放題する裏切り者共に首を垂れて、泥水をすするように必死に命を繋いできた。
再び顔を上げて生きていける日が必ず訪れると、信じて。
「他の者達にも、見せてやりたかったですね」
「そう、だな」
寂しさを滲ませたポールの横顔に、この五年間で命を散らした者達の顔を思い出す。
過酷な奴隷生活の中で、俺を生かすために仕事を肩代わりして体を壊した者や、役人達に虐げられる民を庇い身代わりになった者に、国の外に助けを求めるため脱出を試みた者。最後の瞬間を見守った部下達だけでなく、他の労働場所や城、様々な場所で、俺の知らぬ間に亡くなった者達が数えきれないほどいる。
この国をベルンハルトから取り戻すために。
犠牲となった者達のことは生涯忘れない。
胸を焼くこの怒りと共に、永遠に。
例え人間を間引くことが神々の意思だとしても、善政を敷いていた父上から謀反の果てに玉座を奪い、我が国の民を苦しめ、むやみやたらに殺しただけに飽き足らず、死後の肉体も酷使した挙句使い捨てるベルンハルトの所業を俺は決して許しはしない。
――必ずや、奴の身に怒りの鉄槌を下してくれよう。
紅く照らされる鉱山を見上げながら改めてベルンハルトへの復讐を誓い、固く拳を握りしめる。“眠らぬ国”などとふざけた呼称をつけられてしまったアネセルを、我が手に取り戻す。ここまで来るのに数多の年月を消費し、多大なる犠牲を払ったが、ようやくその機会を得ることができたんだ。絶対に成し遂げてみせる。
ここから脱出できた供は、ポール一人だけになってしまったが――。
計画当初はそれすら失う目算だったのだから、今こうしてポールと一緒に朝日を眺められていることは本当に幸運だった。
この国にとっても、俺にとっても。
――それもすべて、レイのお蔭だ。
俺とポールの間で、外敵に見つからないように背を丸めて寝息を立てているレイを起こさないように小さな声で「ありがとう」と心からの感謝の言葉を囁く。
昨夜の最大の功労者である彼は、俺達をここまで運び目覚めさせると「仮眠を取らせてください」と言って糸が切れたように倒れ込んだ。あれから一時間ほど経っているが、いまだ起きる気配はない。
昨夜の戦闘でよほど疲れたのだろう。当然だ。
高度な魔法の使い手であったとしても彼は俺とたいして歳の変わらない、子供と呼ばれるほど無知でか弱くはないけれど、大人というにはまだ時期尚早な年代である。本来ならば、親や後ろ盾となる保護者に見守られて、時に助けられながら世の中を生き抜く術を学ぶような年頃だ。不死の化け物と命を懸けて戦い、誰かの死を背負うには早過ぎる。
いざという時は、レイを縛り付けるためにポールの死を使う心積もりでいた俺達が言えたことではないが……。
王子であった俺やアネセルに命捧げた騎士であるポールと違って、レイには命に代えてでも国を取り戻さなければならない理由はない。彼が着いてきてくれたのは、俺達が持つ情報と首輪をより安全に外すためだ。
ただそれは、俺がそう思うように誘導した結果だ。
魔法が使えると知り首輪を破壊しようとしたレイを、俺は言い包めて思い留まらせた。どう考えても首輪が壊れている可能性が高かったが、鍵を使って外さなければ危険だと思っていてくれた方が彼の力を借りる交渉をし易かったからだ。
そして俺はレイを脅すために、わざと含みのある言い方で状況を説明した。
国の中枢に近い立場であったならともかく、俺達が名も知らない程度の立場であったレイが逃げたところで誰も責めやしない。父上の腹心を名乗りながらあっさり裏切ってベルンハルトに付いた奴も、鉱山の役人達のように率先して周りを売って得た役職で甘い汁を吸っている奴だって掃いて捨てるほどいるのだから。
それでも俺は、レイが「ここで逃げたら、後になんらかの罪に問われるのでは?」と勘違いしてくれることを祈ってわざと言葉を濁し、意味深な目配せをして言わずとも察してくれと匂わせた。
彼は崩落事故の際に近くに居た俺達を、魔法で形成した空洞の中に引き寄せて、押し寄せる土砂から守ってくれたから。魔法が使えるという点はもちろん魅力的だったが、それ以上にレイが持つ優しさが使えると思った。あのような状況下で無意識に手の届く範囲にいる人間を救おうとした彼ならば、なんだかんだ言いつつも逃げずに俺達を助けてくれる、上手いこと利用できると判断したからこそ俺達は多大な犠牲を払って集めた情報を使い、念には念を入れて組んだ予定を多少変更してレイの目覚めを待つことにしたのだ。魔法を使える者が一人いれば、道中の安全性が大違いだからな。
ただ、それほど切羽詰まっていようとも守るべき民を利用する罪悪感はあった。
だからあと一時間待っても目覚めなければ、あのまま置いて行くつもりでいた。
しかしレイは目覚め、俺が思った通り渋々でも着いてきてくれた。
そして俺達の思惑通りに――いや。彼は期待以上の献身でもってポールを救出し、俺達をここまで連れてきてくれた。こうして朝焼けを共に眺めることができるなんて、俺もポールも想像すらしなかったというのに。
――巻き込んですまない。
今はまだ口にすることができない謝罪の言葉を、心の中で呟く。
昏々と眠り、疲弊した心と身体を休めるレイの姿に罪悪感が募るが、俺には命に代えても成さねばならないことがある。
だからもう少しの間、彼の優しさを利用させてもらわねばならない。
――恨んでくれていい。
守り慈しむべき民に縋るしかない情けない王族など、許さなくていい。
すべてが終わったその時には、どんな非難も罵倒も受けよう。
国を立て直すまで俺の命はくれてやれないが、それ以外の叶えられることならばすべて、地位でも名誉でも金でもいくらでも用意する。
だから――、
「悪いが、もうしばらく俺達に付き合ってもらうぞ、レイ」
無防備に寝顔を晒しているレイにそう囁いて、俺は懐から水に濡れないように防水効果のある布で厳重に巻いていた物を取り出す。続けて固く結んでいた紐を解き、包みを開けば、中から一冊の黒革の手帳が姿を現した。
城で身を潜めている協力者が兄上の私室から見つけた古ぼけた手帳には、遥か昔に最凶と呼ばれ恐れられていた死霊魔法の使い手、ネクロマンサーの一族に関して調べた情報と彼の一族が暮らす地について記されている。
ここに書いてあるネクロマンサーの能力が真ならば、不死身の兵であるレヴァナントを無力化することができるだろう。誠に腹立たしいことに、城に居た騎士や兵達はほとんどが殺されてレヴァナントと化しているので、不死身の軍団さえどうにかできればベルンハルトを守る者はほぼいなくなる。
そうなれば、ベルンハルトの首をこの手で切り落とすことも夢ではない。
この数年間で志を同じくした仲間達はかなり減ってしまったし、今この時も我が国の民は理不尽な暴力に晒され、過酷な労働の果てに命を落としていっている。
――これ以上は、待てない。
守るべきものがなくなってしまう前に立ち上がらなければ。
死者の体や魂を使うことから、悪魔の所業だと呼ばれて忌み嫌われた死霊魔法に手を染めようとも。
死霊魔法は人が触れてはいけない領域、生への冒涜だ。
多くの人間が眉を顰め、嫌悪感を抱くだろう。
だからネクロマンサー達は一族以外の人間との交流を絶ち、表舞台から姿を消した。
しかし、それでも。
もはやこれしか神に奪われた我が国を救う手立てはない。
……業の深さは、俺もベルンハルトもさして変わらないな。
民と国を神に売り渡し玉座に座ったベルンハルトと、守るべき民を利用し人としての禁忌を破ろうとしている俺。どちらも人々から謗られ、死後は冥府で重い判決を受けることになるに違いない。
だが、かまわない。
この国を、虐げられている我が民を、取り戻せるのならば安い代償だ。
――どうか見守っていてください、兄上。
こうなる未来を予期していたのか、この手帳を隠し扉の奥に隠していた兄上へ祈り、願う。
巻き込んでしまったレイをお守りください。
そしてどうか、我が国と民の未来が明るく幸多いものになりますように。
赤みが増した空を見上げれば、複雑な表情を浮かべたポールが視界に映り込む。昨晩は鋭い眼差しをレヴァナントに向けていたヘーゼルの瞳には、心配と深い悔恨の念が浮かんでいた。
ポールは誇り高き騎士だ。
そのため俺と似たような心境なのだろう。
「……レイも、“冥府の森”へ連れて行くのですね」
「ああ。散々世話になっておいて恩を仇で返す所業だが、レイの魔法は強力だからな。情けない俺達には彼の力が必要だ」
やるせない表情でレイを見詰めるポールに自嘲しながらそう答えれば、似たような笑みを浮かべた彼の口から「そう、ですね」と力ない返事が聞こえた。
「この国と民を守るべく何年も研鑽を積んで騎士になったはずなのに、情けない限りです。死した仲間達の分もルシアン様に尽くすどころか、ルシアン様とたいして変わらない年若い青年に守られるなんて……。騎士としても貴族としてもあるまじきことです」
レイに頼らねばならない己を恥じて憤っているポールに「王族としても、な」と返せば、驚きと悲しみと怒りが混ざったような筆舌に尽くしがたい表情を浮かべて「そんなことはっ」と慌てて声を上げたが、それ以上の言葉が見つからなかったのだろう。パクパクと数回唇を開閉したあと、ポールは肩を落として俯いた。
忠義が厚く、優しく、愛国心溢れる男だ。そして剣の腕がよく、今みたいにおべっかの一つも言えない馬鹿正直なところを、俺は昔から気に入っている。
「お前が何も言えないと知っていながら意地悪を言ったな。今の言葉は忘れろ」
「……申し訳ございません」
「気にするな。お前とまたこうして話せることに、少し浮かれたんだ」
俺の言葉に眉を下げた情けない表情を浮かべたあと、ポールは眠るレイへと向き直り静かに頭を下げた。
そんなポールの姿を横目に、俺もレイの寝顔を眺める。
「……レイの力は想像以上だった。レヴァナント達の戦いぶりも、肝心なところで気を失ってしまった所為でよく覚えてないが囲まれたあの状態から脱し、川を下って気絶した俺達をここまで運んでくれた手腕も、こうして怪我一つない状態まで回復してくれたこともすべて。素晴らしいとしか言いようがない」
「ええ。お恥ずかしながら私も記憶が曖昧なのですが、結果から言えば彼は間違いなく、騎士団からスカウトを受けるレベルの人材です。ベルンハルトの謀反がなければ、期待の新人として騎士団で顔を合わせていたかもしれません」
「だろうな。あの頃は子供すぎて話題に上がらなかったのか、それともなにか別の理由があってこの高い能力が見つからないように人目を避けていたのか……」
ポールとの会話を進めつつ、死んだように眠るレイを観察する。
短く不揃いな焦げ茶の髪と、閉じられた瞼の奥にあるライトブラウンの瞳。どちらもこの国では一般的な色彩だが、顔つきはこの辺りでは見ない系統だ。そして魔法の腕は文句なしに素晴らしい。過酷な状況に居た所為か淀んだ目をしているがその心根は優しく、言動の端々に善意が見え隠れしている。死を覚悟していたポールをわざわざ助けて生かすくらいには甘く、警戒しているように見えて俺達の前で意識を手放し眠りにつく無防備さ。
そしてなにより、必死に感情を押し殺して周囲に対して無関心であろうとする姿が痛々しい。
『もう、ないものですから』
何気なく出自を問うたポールに、そう答えたレイの瞳は暗く。
彼はすべてを失ったのだと察するには、十分だった。思い出してみれば、坑道や奴隷屋敷でたまに見かける彼はいつも一人で。誰かと親しげに話すこともなかった。
レイの心の傷は深く、親しい者を失うことを恐れている。
だから誰も寄せ付けず、心を通わせようとしない。
それは悲しくも都合よく。
彼が我々に対して無関心ではあればあるほど手持ちの人材や物資、時間が限界を迎えていることを隠すことが出来るし、本当に存在するかどうかわからない、居たところで力を貸してくれるかは不明なネクロマンサーを当てにするしかないほど切迫している俺達の状況もばれにくい。加えて、彼が誰かの死を恐れているなら見捨てずに助けてくれる可能性が高い。親しい人を亡くす痛みと苦しみを知っているなら、なおさら。
利用するには丁度よかった。
だから彼の出自を深く追求しなかった。
そのことを、少しだけ後悔している。
国益のために彼の過去へ踏み込む機会をあえて逃したのは自分自身だ。今更後悔したところでもう遅い。レイとは歳も近いし、こんな形ではなくもっと別の出会い方ができていたならば良き友になれたかもしれないなどと、今更思っても仕方ないことをぼんやり考えていると、意を決したような表情でポールが口を開く。
「出自はわかりませんが、レイは信用に足る人物だと思います。俺が先走った時も、ルシアン様と共に気を失っていた間も、彼には俺達を見限って捨て置く機会が幾らでもありましたから。それに彼は――」
必死に言い募るポールの姿に驚くも、しばらくして俺が急に黙り込んだことでなにやら不安にさせたのだと思い至る。
……少し気が早いのは、ポールの短所だな。
なにやら思い違いをしているらしいポールにそんなことを考えながら、俺は彼の顔の前に手をかざして続く言葉を止めた。
「わかっている。奴隷の首輪を嵌めて鉱山に居た時点で我が国の民であり、ベルンハルトの仲間でないことは確かだし、彼の性格を考えれば逃げることはあっても、俺達を害したりはしないだろう。なにより、ここまで連れてきてもらった恩を忘れる気はない。心配するな」
「……ですよね。申し訳ございません。言葉が過ぎました」
あからさまにホッと胸を撫で下ろしたポールに「気にするな」と声を掛けたあと、俺は「それに」と言葉を続けながら、国の外に広がる古の森を脳裏に思い描く。
「そんなことはない。恩を忘れる気はないと言いながら、ネクロマンサーの一族との交渉の席に辿り着くために、レイのような善意の一般人を“冥府の森”へ同行させようとしている酷い王族だからな。お前がそうやってレイを気に掛けて忠言してくれると、俺も心が楽だ」
「ルシアン様……」
何とも言えない表情を浮かべ、咎めるように俺を呼んだポールにフッと笑って天を仰げば、木々に囲まれた曙色の空に一筋の光が射した。
「太陽が姿を見せたら、レイを起こして行くぞ」
「……承知しました」
ポールの返事を聞きながら、細くも眩い朝日に目を細める。次いで視線を落とし、安らかな寝息を立てるレイを目に焼き付けて、俺は静かに目を伏せた。
もう少しだけ、良い夢を――。
間もなく、眠らぬ国に朝が来る。




