祖父がやってきた理由
宗助さんの家から外に出ると辺りは薄暗くなっていた。
街灯がまばらなこともあって、どこか心細さを感じさせる。
母さんと二人で自宅へ帰ろうとすると、後ろから祖父が同じ方向へ歩いていた。
気持ちの整理がつかず、誰とも話す気分ではなかった。
時折、鳥の鳴き声が響くだけで、周囲はとても静かな空間だった。
微妙な距離を保ったまま歩き続ける。
母さんも祖父も口を開かないままだった。
自宅の近くまできた時、ほんの少しだけ期待を抱いた。
もしかしたら、父さんが帰宅して家にいるかもしれない。
――しかし、淡い希望は虚しく、薄闇の中に暗いままの自宅があった。
そそくさと母さんが中に入って、玄関、続いて居間の電気をつける。
祖父は何も言わずにたたずんでいたが、僕が家に入ると後からついてきた。
僕と祖父が椅子に腰掛けると、母さんが人数分のお茶を出してくれた。
外で冷えたせいか、あたたかい緑茶が身体に沁みた。
「お義父さん、主人が鬼になるっていうのは本当なんですか? 正直まだ半信半疑で……」
お茶を出してから席につくと、おもむろに母さんが口を開いた。
「春子さん、村の出じゃないとわからんでしょう。もう五十年近く出とらんから、当時を知る人間がどれだけいるもんやら」
祖父はお茶をすすりながら目を細めた。
思い出話をするような感じで、あまり切迫感がないような印象を受ける。
「……家族には酷かもしれんけども、兆候が出たら外には出せん。先祖代々の口伝えで、どんな時にどうすべきかは決まっとる」
「そ、そんな……」
母さんはショックを隠しきれない様子で、震える両手で顔を覆っていた。
「ほんとに気の毒だと思うけど、家族とはもう会えん」
「あのひとが鬼になるだなんて、そんな……」
家族が悲しそうにしていると、見ているこちらまで辛くなってくる。
それにしても、父さんと二度と会えないなんて本当なのだろうか。
「おじいさんは今回のことがあったから、こっちにきたんですか?」
わざわざ遠くの山からおりてまで。
「ああっ、そうだね。息子が鬼になると聞かされて、呑気にしてるわけにはいかん」
祖父はのんびりしているのかと思ったら、ふいに鋭い視線になったので驚いた。
きっと、意を決してやってきたのだと思った。
「春子さん、しばらく休んどってください。それから、大輝をちょっと借ります」
祖父はこちらに視線を向けて、すっと立ち上がった。
「ぼく、ですか?」
ああっと言わんばかりの表情をしながら、祖父は玄関を出ていった。
年長者とは思えないすばやい動きに面食らいつつ、その後を追った。
家の外に出ると祖父が立っていた。
玄関前の照明がついているので、家の近くはわりと明るかった。
「ちょっと、歩こうかね」
「……は、はい」
この時間から歩くのかと思ったものの、祖父は有無を言わさぬ空気を感じさせた。
宗助さんの家とは反対方向、村の中心部につづく道を歩き始めた。
薄暗い風景の中で、風が吹くたびに木々の揺れる音が聞こえてくる。
「そろそろ、家から距離はとれたか……」
祖父は僕と歩調を合わせて、すぐ近くを歩いている。
何かを確かめるようにぼそりと呟いた。
「やっぱり、春子さんに聞かせるのはまだ早い。だけども、大輝に話さんわけにはいかん。時間も限られているしな」
宗助さんも時間がないと言っていた。
それが何を意味するのから分からず、返す言葉が思いつかなかった。
「達郎が鬼になってしまうのは間違いない。村人全員がその場を見たわけじゃないが、確認する役目の村人が見た限りでは、どうにもならんと聞いた」
「う、うん……」
いまいち、話についていけない自分がいる。
鬼になるというのは祭りの決め言葉か何かで、そのうち父さんが戻ってくるといってほしかった。
「まわりくどい言い方は苦手だ……大輝には鬼になった父親を殺してもらわんといかん」
祖父の言葉に強い違和感があった。
しかし、一語一語を確かめるようなその言葉を聞き間違えるはずがなかった。
村の中心部に近づき、街灯が増えてきた。
それにもかかわらず、その光がどこか遠くのものに見えた。
「急に親を殺せって言われても……」
「それが普通の反応だけども、達郎をそのままにはできん」
祖父の強い決意が込められたような言葉だった。
「もし……僕が父さんを殺さなかったらどうなる?」
あまりしたくはない質問だったが、知らずに放置できることではなかった。
「ある程度は幽閉できても、抑え続けることはできんだろうな。鬼になった人間の噂が街の方に届くまで、そう長い時間はかからんはずだ」
僕は祖父のことを知らなすぎた。
ようやくその声が悔しさを噛みしめるような声音だということに気づいた。
「……本当に鬼になってしまうんだね」
「ああっ、そうだ。それなら、せめて肉親に殺させようという習わしが受け継がれているんだ」
それはとても悲しいことだった。
続けて、祖父は僕がいなければ母さんがその役目を担ったかもしれないといった。
「昔の村人も肉親を殺せと言われて、はい、そうですかとはならんかったはずだ。それで、心の準備をするために山行をする」
その言葉がどういう意味なのか分からなかった。
「……やまぎょう? それってなんなの?」
「何日か山に入って、親にとどめを刺せるように精神を鍛える修行のようなものと言われているが……この村の先人がそれで踏ん切りがついたのかはわからん」
祖父はため息をついてから、それでも他の方法はないとこぼした。
「正直、まだまだ理解が追いつかないよ……ただ、嘘を言ってるようには思えないね」
この村の知られざる歴史に背筋の寒さを覚えていた。
毎年、豊作を祈願する祭りはあっても、鬼という単語は一言も出てこない。
「すまんが、明日から山に入ることになる。もう少し歩いたら、家に帰ろう」
祖父は、そう吐き出すようにいった。
「……それで、誰と一緒に山に入るの?」
入りたくないという提案はできない雰囲気だった。
「ああっ、わしだ。親殺しの訓練というのは物騒だが、鹿や猪を撃ってばらして……あとは山で心をととのえるんだ」
「……鹿や猪」
野生の動物を仕留める場面を想像すると、おそろしい気分になった。
そんな臆病な人間に父親を殺めろというのか。
「さあ、帰ろう。明日は早い」
「……うん」
久しぶりに会ったとき、祖父と最後に話したのがいつのなのか思い出せなかった。
それだけ空白があっても会話が続いたのは、祖父から父に似たものを感じたからかもしれない。
どうにか順調に書けています。
もともと、伝奇もの中心に書いていましたが、最近は違うジャンルを書けるように修行中です。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。