最終話 過去と未来
前世において、かつての私には1歳差の兄がいた。
誤解を恐れずに言うが、私のかつての兄は私や今の弟と違って本当に平凡な人間だった。
それは私と比べてであって普通の人から見れば十分凄かったのでは、と思うかもしれないが、決してそうではない。
兄は試験の成績、身体能力、精神性その他あらゆる面で普通の人のそれと全く変わらない能力だったと思う。他人と比較して特に劣っていたというわけではないのだが、とりわけ優れた能力を持っているわけではなかった。
少し言い方は悪いが、もし兄と私が何の関係もない他人として知り合ったならば私は彼に一切の興味を示すことはなかっただろうと思う。いや、そもそも本当の意味で平凡な人間と私がそこまで関わる機会があるのかということもあるだろう。
何度も言うように、優れた能力を持たないことが悪いわけでは決してない。ただ、その場合は上記のことが事実としてあるというだけだ。
そう。兄が私よりも能力的な面において優れていた部分を私は見たことがなかった。
それは、年齢が強く影響する幼少期でさえもそうだったと思う。もう随分と昔のことであるため、おそらく、ではあるのだが。
そのため、私はよくある兄を追って……ということをほとんど経験したことがないと思う。
何をしても私の方が上手くこなすことができたから。
逆に兄が私を参考にすることもなかった。その理由は……もうわかるだろう。
そのため、よくある兄弟間での比較というものも、少なくともかつての私が見ていた範囲では全く行われてはなかった。
かつての私たち兄弟の間でも。そして私たちの両親からも。
小中学生の頃、私たちは同じ学校に通っていて、そのため兄弟間の差が数値にてわかりやすく、残酷に出てしまっていたにもかかわらずだ。
言い方は悪いが、かつての私と兄とではあまりにもレベルが違いすぎて比較することはできない、ということだったのだろう。
平凡だったということはなにも兄に限ったことではなく、かつての私の両親もそうだった。親戚でも、私ほど勉強ができた人間はいなかった。
私は、親戚の間や地元ではよくあることだと思うが、昔は神童などと呼ばれていた。実際の才能はそこまでではなかったのだが。
だから、両親は私に対してほとんど何も言ってくることはなかった。
よくある、『勉強をしなさい』、などというのは私には言えるはずがなかっただろうな、と思う。仮に私が少々サボることがあったとしても、だ。
自分より優秀な人間を自分の物差しで測ることなど絶対に不可能だ。それはたとえ家族であったとしても。
両親や兄の知り合いに、私以外にそういった感じの人間がいなければ、なおさらどう接するべきかわからなかっただろうと思う。帝国大学に行けるような人材などかつての私が住んでいたような地方にはそういないのだから。少なくとも私は地元で私以外にそういった人物がいたという話を聞いたことがなかった。
だから、何度も言うように少し言い方が悪いことはわかっているのだが、私はかつての両親の手に負える人間ではなかったと思う。
私が本当に小さい頃は、私のかつての母はいわゆる教育ママになろうとしていたのだが、私は昔から手のかからない子で、手を加えるべきところがほとんど見当たらず、小学校高学年になるともう私はあまりに優秀すぎて下手に手を出すべきではない、いや、どう手助けすべきかわからない、という感じになったのだとかつての母自身に言われた。
私は母の抱いていた、『息子にこうなってほしいと思っていた将来像』をいい意味で突き抜けてしまったのだそうだ。
手に負えなかったことが悪いことでは決してない。むしろそれは当たり前のことで、私が逆の立場だとしてもそうだっただろうと思うから。
そして、それに伴い、兄への干渉も減らすことにしたのだそうだ。自分が何もできないということを理解したからだと母は言っていた。
長男として熱心に教育していた兄よりも、基本的に何も手を加えられなかった私の方があらゆる面において遥かに高い能力を発揮していたのであればそう思うのも無理もないことだと思う。
そのためなのかはわからないが、兄も私も両親から怒られた回数はとても少なかったと思う。
いや、昔から小賢しく、怒られるようなミスを基本的にしなかった私はともかく、平凡で、ミスを犯してしまうことの多かった兄もある程度私たちが成長してからはほとんど怒られることはなかった。
両親は恐らく兄が私を強く意識して、劣等感を感じたり嫉妬したりしないように配慮していたのだろうと思う。
私は昔から何でも人並み以上にできてしまっていて、兄が私に対抗できる面など一つもなかったから。
だが、先ほどかつての私たち兄弟の間でも比較はなかったと言ったように、聞いた当時の私にとっては意外なことであったのだが、兄は私に劣等感を感じたことはなかったのだという。
それこそあまりにレベルが違いすぎて、自分と比べてどうというよりも、もはや1ファンとして私がどこまで行くのかを応援していたのだと兄は言っていた。
むしろ、両親はそれに気がつくのが遅すぎた、自分はもっと早くから私が本当に凄いやつだと気付いていた、と言ってきた。
かつての私の兄は本当にいい兄だったと思う。
もしそれが妹だったらまだマシだったのだろうが、もし1歳しか違わない弟が自分より全てにおいて段違いに優れていて、ずっと自分よりも周りからちやほやされ続けていた場合、その差に嫉妬して弟を邪険に扱ってしまっても、それは子供には仕方のないことだと思うから。
にもかかわらず、私たち兄弟の仲は非常に良好であり、それどころかかつての兄は学校で、『お前の弟凄いらしいな』、などと友人や先生方から頻繁に言われていたとしても、逆にそれを私に自分から話題にしてくるような兄だったのだ。
特に、私の成績が常にトップであったことは成績が順位で表されるようになった中学校内では有名なことで、それに伴い兄の成績が平均程度ということも有名になってしまっていたのにもかかわらず。
それでも兄は私のことをいつも凄いと言い、褒めてくれていた。先ほどの劣等感を感じたことはないという話も私から尋ねたことではなく、兄から私に言ってきたことだ。それだけ兄は私に対して気を遣ってくれていたのだと思う。周りに興味を持つことのほとんどなかったかつての私にすらそれが伝わってきたほどに。
……私が兄の立場だったら果たしてそのようにできていたのだろうか。
あらゆる面で自分より優れていて、自分の悩んでいる、苦労していることなど鼻で笑うかのようにあっさりとこなし、自分には一切理解できない高いレベルで常に競っていて、何かアドバイスを求めてきたりすることも一切なく、馬鹿にしてきたりはしないものの、自分のことを全く尊敬してこない、それどころかたまに憐れむような目で見てくるような弟に優しくすることはできたのだろうか。
本当に、私は周りの人間に恵まれ続けていると思う。
私には高校生になったらしたいと思っていたことが日常の謳歌以外にも一つあった。
かつての私が住んでいた町に行くことだ。
別にかつての両親や兄に会いたいというわけではない。彼らに話しかけることなどほんの少しであっても考えていない。
もう私と彼らはただの見知らぬ他人。冷たいと思うかもしれないがその割り切りは既に終えている。私と彼らはもう関わるべきではないのだ。
だが、逆に彼らの姿も見たくないというわけでは決してない。町に行った際に彼らの姿を見ることができたら、話しかけは決してしないものの、それはとても望ましいことであると思っている。だが、そんな偶然はそう起こらないだろうとも考えている。
ならばなぜ行くのかと思うかもしれないが、ただ、私がかつて育った場所は、15年以上経った今どのようになっているのかを見て郷愁に浸りたいというだけだ。
少々散歩をして、かつての私の家を一目見たらすぐに帰るつもりだ。そしてその後はもう2度とその地を訪れるつもりはない。
いや、そもそもあれからもう15年以上も経っているため、あの家はもうなくなっているのかもしれない。
それでも別に構わなかった。
本当に、ただあの場所を1度だけ見たいというだけなのだ。
そして、それは別に急ぎのことではなかった。なんなら大学に入学してからでもいいかもしれないとまで思っていた。
だが、この前秋山君のお母さんと話した後に少々思うところがあったため、次の休みにかつての私が住んでいた町を訪れる計画を実行しようと思ったのだ。
朝早くに家を出発し、新幹線に乗る。
新幹線を降り、電車に乗り、バスに乗り、かつて私が住んでいた町まで到着した。
電車とバスに乗りながら、すっかり変わってしまった道中の風景と15年以上前から変わらない道中の風景を見て懐かしさを感じていた。
バスから降りた。
降りたバス停は私の家の最寄りのバス停ではない。時間に限りはあるが、少しだけこの街を歩き回ってみたいからだ。
帰りは最寄りのバス停から帰るつもりだ。
かつて私が住んでいた町を歩く。
バスに乗りながら思っていたように街中には変わっている部分と変わっていない部分があった。
私がかつて通っていた中学校を横目で眺めた。休日の部活動に励む少年たちの声が響いていた。
あの中学校は何も変わっていないな。少し建物が古ぼけてはいるが。
私が昔通っていた幼稚園はもうなくなっていた。私が通っていたのはもう30年以上前の話だ。仕方のないことだし、ある程度わかっていたことなので寂しさももう感じたりはしないのだが、少しだけ物思いにふけっていた。
そのようにしていろいろと考えながらかつての私の家まで向かう。
かつての私の家の近所の街並みもまた私の記憶通りのものとそうでないものがあった。
ただ、相変わらず人の姿が少ない静かなものだな、この町は、と思っていた。
あの家がなくなっているということは、あのおじさんはもうこの場所には居ないのか。
あの家は少し綺麗になっているな。リフォームでもしたのだろうか。
そうしてかつての私の家の前に到着した。
通りにも誰も人がいなかったので、少しだけ家の様子をじっくりと眺めてみた。
かつての私の家は未だ健在だった。当然少々古ぼけてはいたが。
庭の様子も特に変化は見られない。あの小さな木はまだあるのか。長生きだな。
車は私の知っているものと違うな。小さな軽の車となっている。買い換えたのだろうな。
車庫の内部はあまり綺麗にはしていないようだ。この辺りには手を抜くのも相変わらずか。
実に懐かしいものだ。
……ここまで色々語ってきたが、無論、家自体は変わっていなくても、車庫の様子等も同じであろうとも、住んでいる人間はもう違うのかもしれない。だが、それでも私はもう十分に満足することができた。
さあ、帰ろうと思い、最寄りのバス停へと向かっていたところ、私の前から歩いてくる一人の少年の姿を見た。背格好を見るにおそらく弟と同じ中学生であり、かつての私と同じようにこの辺りに住んでいるのだろう。
その少年の顔を近くでよく見た瞬間、私は思わず目を見開いてその場に立ち止まってしまった。
「……? どうかしましたか?」
「……いえ。すみません。……少しだけ……」
………………
「????」
「…………貴方のお父さんはお元気ですか?」
「? はい。父はとても元気です」
「……お爺さんとお婆さんは……?」
「えっと、2人とも元気ですが……どうしたんですか?」
「……いえ……変なことを聞いてしまってすみません。……ありがとうございます」
……そうか……あの兄に息子が……
少年と別れ、私はバス停へと向かう。
……ここに来た目的は果たした。もう、思い残すことはない。
私がこの場所を訪れることはもう二度とないだろう。
別に、これで私が前世と決別したとか、前世のことを忘れて生きていくことにしたとかいうわけではなく、これからも今までと同様に、私はかつて、とある一人の男であったということと上手く付き合いながら生きていくつもりであるし、なにかと前世と今世の状況を比較したりすることも引き続き行っていくのだろう。
これまでと何も変わることはない。
ただ、これで1つやりたかったことをすることができたというだけだ。
「ただいま」
「おかえり、早紀。ちょっと遅かったわね」
「うん」
このように母と簡単にやり取りをして私はリビングのソファに座る。
物語のように私の様子が少しおかしい等と母が指摘したりすることはない。私は普段通りに振舞っていたし、私は仮に何かあったとしても顔に出すタイプではない。
それに、思うところはあるものの、あの出来事で特にショックを受けたというわけでもないのだ。
「姉ちゃんおかえり」
「ただいま」
弟ももう帰ってきているようだ。
もう今年のU-15の国際大会も終えたため、中学の大会はすべて終わった弟だが、大会は終わったといっても弟は高校に進んでも野球を続けるため、練習はまだ続けているのだ。
「勇人、今日の練習はどうだった?」
「ん? 別に、いつも通りだったよ」
「そう」
このように、いつもと同じように弟とやり取りをする。
そうか、練習はいつも通りだったか。それは何よりだ。
これからも、私はこれまでと変わることなく私の日常を、私の道を、私の物語を送っていく。
その中にあの少年たちが関わることはもう2度とないのだろう。
これで「エリート男が現実世界にTS転生」を完結とさせていただきます。
ここまで本作品を読んでくださり、誠にありがとうございました。
追記
新作始めました
神の姉弟の異世界冒険物語
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