12話 父
5月も終盤となった。
今日は土曜日。
世間一般には特に変わったこともない普通の土曜日であるのだが、我が家にとって今日は少々特別な日であった。
単身赴任中の父が久しぶりに一時我が家に帰ってくるのだ。
それに合わせて母と弟も休みを取った。久しぶりに家族全員が揃うのである。
……私?わざわざ空けずとも元々何の予定も入っていない。前にも似たようなことを言ったが私以外の級友は基本的に勉強に忙しいため、たまにならいいのだがそう何度も休日に遊ぶことはできないのだ。6月には実力テストもあることだし。
……そんな憐れむような眼で私を見ないでほしい。
朝の10時となり、父が我が家へと帰ってきた。
久々に見る父の姿は以前と全く変わっておらず、玄関にて非常に嬉しそうな顔をしていた。私たちと会うのを楽しみにしてくれていたのだろう。嬉しいことである。
我が家は非常に家族間の関係が良好な一家である。今時少し珍しいと思うかもしれないが、仲が悪いよりもいいに越したことはないだろう。
……だから私にブラコンの疑惑が沸いてしまうのかもしれない。弟はシスコンなどと言われる姿を見たことがないが。
……もしかしたら私の行動が原因なのかもしれない。
ひとしきり父と話をした後、今日の予定を皆で話した。
まずは家で昼食をとった後、しばらく家族4人で家にて過ごし、その後焼き肉を食べに行くという予定を立てた。
育ち盛りの野球少年である弟にとっては焼き肉は特に嬉しいことだろう。ダイエットなど全く気にする必要がない体質の私も純粋に焼き肉を食べるのが楽しみだ。
また、私は小食であるため弟ほどモリモリ食べることはできないが、弟の気持ちのいい食べっぷりを見るだけで和やかな気持ちになる。それもまた楽しみである。
昼食のために母と、いつも以上に元気な弟が近所のスーパーで買い物をするために家を出たため、現在、我が家にいるのは私と父のみとなった。
リビングで父と共にくつろいでいたところ、父は穏やかな顔でありながらも、いつもより少しだけ真面目な顔をして話しかけてきた。
家族だからわかるくらいの少ない表情の違いではあるのだが、父にしては珍しい。どうしたのだろうか。
「高校の中間試験で1番だったんだって? おめでとう。流石は早紀だ」
「ありがとう、お父さん」
と、返事をすると父は少し黙り込んだ。どうしたのだろうか。
「…………そっか。早紀にとってそれはもう当たり前のこと、か」
「…………」
「……しっかし早紀も勇人も凄いなあ。どっちも俺がアドバイスできるようなレベルをすぐに超えていってしまった」
「俺も母さんも至って普通なのにこんなに優秀な子供たちが生まれて本当に嬉しいし恵まれているって思うよ」
「特に早紀は昔からなんでもすぐ1人で出来るようになっていったからなあ。お父さんが早紀に何かを教えることができたのは早紀が赤ちゃんの時くらいだったな」
「…………」
……それは転生があったから。確かに前世においても私は小さなころからとても優秀で手のかからない子と言われていたが、流石に今世の私ほどではなかっただろう。子供らしい演技をしてはいたが、それでも明らかに優秀すぎる子供だったことは間違いない。
「……なあ、早紀。いきなりだけど、優れた能力を持った人間はその能力を他人のために使わなければならないって言葉あるだろ?」
「……うん。よく聞く話だね」
いわゆるノブレス・オブリージュというやつだ。その言葉のそもそもの由来はそんなにいい話ではなかったという話も聞いたことはあるが、父が語ったような意味での使い方をされている言葉として有名だと思う。
「その話を初めて聞いたとき、俺も昔は他人のことだったから、意味も何も考えず、なんとなく無責任に同意してた。俺は別に特別何かして欲しいわけじゃないけど、余裕あるんだからそうじゃない人に何かしらの貢献をしてくれてもいいんじゃないかって」
「今になって考えるとひどい話だよな。自分はその人たちに何もしないのに、一方的に何かを求めるだけだなんて。優れた人もその人の人生を精一杯生きていて、当然大変なこともあるだろうなんて考えもせずに」
「…………」
……それは仕方のないことだと思う。私は前世で物心ついたときから優秀と言われ続けてきたし、私自身自分が優秀な人間に分類されるだろうと考えているが、もしそうでなかったら父のように考えなかったかと言われると否定することはできない。
「けど、早紀と勇人の親となった今はそう思わなくなった。」
「早紀も勇人もその才能をただ自分が幸せになるためだけに使ってほしい。他の誰かのためではなく、自分のために自分のしたいことだけをしてほしいって思うんだ」
「身内になった途端意見をコロッと変える辺りほんと凡人そのものだよな、俺」
「…………」
「早紀たちを見ていたら、優れた人間であり続けるっていうことがどれだけ大変か少しだけわかる。お父さんには絶対に無理だと思うし、多分俺が思っているよりよっぽど大変なことなんだろうなって思う」
「だから、もし今後早紀や勇人がスランプになったり何かに悩んだりすることがあったとしても俺がその問題の解決への役に立つことはできないと思う」
「けど愚痴を聞いたりすることならできる。他にも何かの形で少しでも支えることができたらそれほど嬉しいことはないって思う」
「……いきなり変なことを言ってごめんな。けど1度この話をしておきたかったんだ。これからお父さんには想像もつかないような大変なこともあるかもしれないけど、ただ早紀が幸せになれるような道を選んでくれたらなって思って。」
「……ううん。ありがとう、お父さん」
父の言いたいことは、すべてではないだろうが、私にも伝わった。ノブレス・オブリージュうんぬんの話はどうでもよくて、これから何が起ころうと、ただ、私に幸せになってほしいということなのだろう。
素直に最初から回り道せず直球でそう言ってしまえばいいのに、不器用だなと思う。けれど父の私に対する愛情はとても大きなものなのだということは伝わった。それこそ多分私が思っているよりもよほど大きな愛情なんだろうなと思う。
確かに私は前世から物事を何でも自分1人で決めてきた。何においても誰かにアドバイスを求めたことなどないし、進路にしても、親に相談というものを一切せずに1人で勝手に決めた。だがそれも、私を信じてそれを許してくれた両親あってのことだ。
先ほど父は自分が恵まれているなどと言ったが、本当に恵まれているのは間違いなく私の方だろう。
本当に、私は周りの人間に恵まれすぎている。
……母と弟が帰ってきたら、今日の昼食は久しぶりに私が作るのもいいかもしれないな。その程度で父に受けている恩を返すことができるとは微塵も思わないが、少しでも日頃の感謝の気持ちを伝えられたらなと思うのだ。