一瀬くんと仁科さん 2話(前編)
一体何がどうしてこうなった?
一瀬は向かいの席に目をやる。そこにはオレンジジュースを美味しそうに飲む三森将太の姿がある。なぜ、自分は今、某有名ハンバーガーショップに三森と二人でいるのだろうか。
仁科に左頬を摘ままれた日から一週間ほど経った。あれから別に特別何かが大きく変わったわけではない。相変わらず一瀬は単独行動を好んでいるし、周囲からの視線もそのままだ。けれど、仁科は機会があれば一瀬に笑顔で声をかけてくれる。朝の挨拶、授業の提出物の返却、昼食はどこで何を食べるのか、帰りの挨拶など。必要以上にかかわってくることはなく、本当に必要最低限度だけれど、むしろそれが好ましかった。妙な正義感の押し売りのように頻繁に声をかけられるのは落ち着かない。仁科に話しかけられる度に一瀬は恥ずかしくてすぐにその場を去りたいような、でも心地良くてずっとその場にいていたいような真逆の思いに耳の裏辺りがいつもそわっとした。そんな一瀬の心の機微に仁科は気づいていないようだった。一瀬も態度には出していないし、仁科も少し鈍感であるからだ。それでいい。自分が仁科の一挙手一投足にそわっとしていることなんて仁科に知れたら恥ずかしくてそれこそ何をどうして良いかわからない。今まで外見の印象で周囲から遠巻きにされてきた一瀬にとって、こんな自分に素直に等身大で接してきてくれる彼女の存在があるだけで充分だ。今は、それだけで充分なのだ。
そう思って過ごしていたある日。
「一瀬」
ホームルームが終わり、いつも通り帰ろうと教室のドアに手をかけたところで後ろから声をかけられた。ちなみに仁科の声ではない。声のする方を振り返るとそこには笑顔で三森将太が立っていた。
「三森、くん?」
三森は一瀬や仁科と同じクラスの男子生徒で、爽やかで人懐っこい容姿と快活な性格からクラスの中心的存在だ。まだ入学して三ヶ月も経ってないのにもう生徒会執行部補佐として声をかけられているとクラスの誰かが騒いでいた気がする。そんな三森だが、もちろん一瀬はまともに言葉を交わしたことは一度もない。そして今こうして声をかけられる理由も思い当たらない。
「あ、よかった顔と名前認識されてて。突然だけど今日この後時間ある?」
まるで仲の良い友達を誘っているかのような態度に一瀬は戸惑った。今後の展開が予想できなさすぎる。一瀬は怪訝な顔でどうにか言葉を絞り出した。
「少しだけなら・・・?」
「よし、一緒に帰ろうぜ。そんでどっか寄ろう」
一瀬の答えを聞いて、三森は満足そうに笑みを浮かべ、「カバン取ってくる」と言って自分の席に向かった。もちろんその姿が全クラスメートの注目を浴びているのは言うまでもない。
そして冒頭に戻る。
「あの、三森くん」
目の前の人物に一瀬は躊躇いがちに声をかけた。
「三森でいいよ。将太でもいい」
チキンチーズバーガーにかぶりつこうと大口を開けながら三森が答える。
「・・・三森、それで、今日は俺に何か用事?」
一瀬の問いに三森は一瞬きょとんとした顔をして、頬張った一口をもぐもぐと咀嚼し、ごくりと飲み込んだ。
「別に何か用ってわけじゃねぇよ。ただ一瀬とゆっくり話してみたかっただけだ」
質問に答えてもらったは良いが、やはりよくわからない。遠慮なくそんな表情をしている一瀬を見て三森はおかしそうに笑った。
「最近涼子とよく話してるだろ。傍で見てて俺も一瀬と話してみたくなってさ」
涼子。その呼び方も、呼ぶ声色も親しさが込められていた。
(もしかして)
一瀬の考えに薄く影が差す。
(もしかして三森と仁科さんってそういう関係なのか?だとしたらこれは牽制か何かなのだろうか。『俺の彼女に近づくな』的な・・・いや、別にそんなやましい気持ちで近づいたとかじゃないから牽制されてもな)
頭の中でぐるぐると色々な考えを巡らせつつ、一瀬はどうにか落ち着こうとホットカフェラテを口にした。
「仁科さんと仲、良いんだね」
一瀬が慎重に言葉を選んで返すと、三森はフライドポテトを一気に三本口に放り込んだ。
「幼馴染みだからな。幼稚園・小・中・高と同じだ。さすがに大学は別になるだろうけど。あ、一瀬もポテト食べる?」
「え、あ、じゃあ一本だけ・・・」
礼を言ってポテトを一本摘まむ。
(幼馴染み?それだけ?あ、でも幼馴染みで付き合ってる場合もあるか)
やはり今三森がこうして自分と寄り道している意図がわからない。
「遠慮すんなって。それめっちゃ短いじゃん。長いやつ食えよ。別に一本だけじゃなくてもいいし」
「別に遠慮しているわけじゃ・・・」
摘まんだ一本をかじりながら異議を唱える。
「マジで?一瀬って結構小食?」
「いや普通だと思うけど」
「そうか?ホットカフェラテしか注文しねぇし、ポテトも一本だけとか言うし。俺いっつもこの時間腹減ってつらいもん。夕飯まで待てません」
「それは、わかる」
一瀬も薫の店を手伝う前にいつも何か軽く食べないと空腹でミスが増える。
「でもなんかあれだな。どこでもいいって言うからここにしたけど、一瀬あんまりハンバーガーショップ似合わねぇな。あんまりこういうとこ来ない?」
三森があまりにもあっけらかんと言ってくるので、悪意などはないのだろうと感じた。一瀬も特に気を悪くすることなく応じる。
「似合う似合わないの問題なの?それ。まぁたしかにあんまり来ないけど・・・」
「そうなんだ。もしかしてハンバーガーとか嫌いだった?」
一瞬三森が申し訳なさそうな表情をする。もし一瀬がハンバーガーを苦手としているのならこの店に決めたことを悪かったと思っているのだろう。
(なんだか、少し仁科さんに似てるな)
三森の人の良い一面に心をくすぐられながら一瀬は首を横に振った。
「嫌いじゃないけど、うち母親と兄がそれぞれ飲食店してるからおやつとか賄いとかそこで食べてて、あんまり他の店とか行くことなかったというか」
『こんな風に寄り道する友達もいなかったというか』ということはあえて口にしない。一瀬のそんな胸の内も知らずに三森は興味津々といったふうにテーブルに頬杖をついた。
「飲食店?へぇ、すごいな。言ってくれたら今日そこ行ったのに。この辺?何屋さん?俺行ったことある店だったりして」
「『一』って名前のうどん屋と、『Klaus』って名前のカフェ」
今まで一瀬はクラスメートに家族の店の名を教えたことはないが、それは教えるような間柄の人物がいなかっただけで、特に秘密にしているというわけでもなかったためさらりと答えた。一瀬の口から出た店名に、三森は目を大きく見開いた。
「え、『一』?マジで!?あの駅ビル出てすぐの角のところの?知ってる知ってる!あそこすげぇうまいよな!!マジか。ちょっと感動だわ」
驚いてすごい勢いで捲し立てる三森に若干気圧されつつ、一瀬は小さく「どうも」と返す。その後三森はニカッと笑った。
「ちなみに涼子うどん大好物で、『一』のうどんはしょっちゅう食べに行ってるぜ」
「え、あ、そうなんだ」
なんだか嬉しいような気恥ずかしいような複雑な心境に陥っていると三森は楽しそうにポテトを口に入れた。
「いやーなんか運命だな!」
「う、運命?」
三森の発言の意図がわからず、一瀬は思わずオウム返しに答えつつカフェラテのカップを口元に運んだ。
「だって一瀬、涼子のこと好きだろ?」
三森の唐突な言葉に一瀬は飲み込みかけていたカフェラテを吹き出しそうになる。なんとか止まったものの、カフェラテが変なところに入って、一瀬は盛大にむせた。三森が「だ、大丈夫か?」と慌ててティッシュを一瀬に差し出す。一瀬は涙目で咳き込みつつどうにかティッシュを受け取った。
「な・・・なんだよそれ?」
「なんだよそれって、もしかしてまだ自分の気持ちに気づいてない段階?」
「それは気づいてるけど!いや、ちょっと待て、違っ・・・あぁもう!ていうか、俺が言いたいのはそうじゃなくて!」
「あ、周囲にはバレてないと思ってた系?」
「は?バレてる!?」
「バ―――レてるわけではないけど、注目はしてるな。涼子が一瀬に話しかけて、一瀬がぎこちなく答えてる図に」
一瀬の頬から耳にかけて一気に熱くなる。
(なにそれすごい恥ずかしいじゃん・・・)
「え、でも三森は俺が仁科さん好きって思ってるわけだろ?」
「俺は勘が良いから。それに幼稚園から涼子と一緒だぜ?周りの涼子を見る目とかわかっちゃうんだよ」
三森が事もなげに笑う。一瀬はずっと気にかかっていたことを訊いてみた。
「それは・・・三森も仁科さんのこと好きってこと?」
「俺が?涼子を?ぜんっぜんそんなんじゃねぇよ。妹みたいなもんだな」
三森がこれまたケロリと答える。
「俺、好きな人いるから」
三森の返事に一瀬はまだ若干疑いを持っていたが、続いた三森の言葉にドキリとした。
「へぇ・・・どんな、人?」
「んー?今の俺じゃ全然相手にもされないような人」
平然とした態度とは裏腹に、言葉の内容はひどく切なくて、一瀬は何も言えなかった。そんな一瀬を気にする風もなく、三森は三森らしい溌溂とした笑顔でポテトをかじる。
「まぁ俺のことはいいじゃん。一瀬は頑張れよ。応援してるから」
一瀬は一瞬ぎょっとして首を横に振った。
「別に頼んでない」
「誤解するな。デートやら何やらをおせっかいにお膳立てしたりしねぇよ。ただ気持ち的にはうまくいってほしいと思ってるってこと。もちろん俺にできることがあるならするけど、あくまでおまえが頼ってきたらの話だ」
その言葉を聞いて、一瀬は少しホッとする。その間も三森は話を続けていた。
「一つ、教えとく。もうすでに気づいてるかもしれねぇけど、涼子、すっげぇ鈍いからな。あいつ、別に絶世の美少女とかじゃないけど、昔から老若男女みんなに受けが良くてさ。まぁ人としてってことなんだけど、恋愛対象として好きになる奴も結構いたんだ。でも全然相手の気持ちに気づかねぇの。ひどい事例だと、クリスマス前に『好きなんだけど・・・クリスマス、一緒に遊びに行かねぇ?』っていう告白に対して『いいね!私もクリスマス好きだよ。みんなで一緒に遊ぼう遊ぼう!パーティーとか楽しそう!』って返してクラスのみんなでカラオケパーティーにしてたことある」
それは思っていた以上だな。一瀬は思わず苦笑する。
「まぁ、これは告白したやつの言い方が悪かったのも原因かもしれないけどな。あともう一つ、これは俺の勘なんだけど、俺らの学年の中で涼子のこと好きなんじゃないかって奴がいる。・・・誰だか知りたい?」
三森が妙にもったいぶるので、素直に頷くのもなんだか癪だったが、一瀬は静かに「誰?」と尋ねた。
「七海久哉」
三森の口から出た名前に一瀬は愕然とした。七海は今一瀬達が通う高校で一、二を争うんじゃないかと言われているほどの人気者で、彼の名を知らない生徒はいない。その辺のイケメン俳優よりよっぽど整った顔立ちに穏やかな性格、入試が一位通過で入学式の際新入生代表の挨拶を務めたほど頭も良く、体力測定の結果が運動部エースに引けをとらないほど運動神経も抜群だ。三森と同じく生徒会執行部へ勧誘されているほど生徒や教師達からの覚えも良く、学年性別問わずファンクラブの入会者が後を絶たないという。そんな人物が仁科を想っている。
(え、それ絶対仁科さん七海くん選ぶじゃん)
三森の言葉を聞いて、一瀬は一気に気持ちが沈んだ。肩を落とした一瀬を見て、三森は慌てて弁解する。
「悪い悪い。落ち込ませるつもりで言ったんじゃなくて、ライバルもいるから頑張って行動しろよって話だったんだけど」
「いや、どう考えたってそんなの七海くん選ぶでしょ。俺でもそうする」
ため息交じりの一瀬の言葉に三森はなぜか強気な笑顔を見せた。
「それはわからねぇよ。涼子は相手がハイスペックかどうかなんてあんまり考えてないからな」
「なにそれ。そんなの仁科さんが決めることで三森が保証することじゃないだろ」
「まぁたしかにそうだけどさ。どちらにしろ、自分から頑張らないといけない時は頑張れよ」
「・・・あのさ、ちょっと理解できないんだけど、なんで三森は俺の応援してくれんの?」
一瀬の疑問に三森は顎に手を添えて考えた。
「んー?そういや、なんでだろ?」
「自分でもわからないのかよ」
「弱小チームこそ応援したくなる的な?」
「おい」
「なんかそれも違うな。なんだろう。わかんねぇけど、涼子と話してる一瀬を見て、なんだか良いなって感じただけなんだけど、それじゃダメなのか?」
三森がただ真っ直ぐ一瀬を見る。その視線と言葉に一瀬は少したじろいだ。
「ダ・・・ダメとかはないけど」
一瀬の返事を聞いて三森は満足そうな笑顔を浮かべた。
「こうして話してみると一瀬面白いじゃん。一瀬さえ良ければまたこうして遊ぼうぜ。今度また一瀬のお兄さんの店行かせてくれよ」
(仁科さんといい、三森といい、俺、直球型のタイプに弱いのかも)
そんなことを考えつつ、三森の言葉が嬉しかったことを悟られるのが恥ずかしくて若干三森から目線を外しながら一瀬は「まぁ、機会があれば」と答えた。