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一瀬くんの心仁科さん知らず  作者: 朝日奈 侑
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一瀬くんと仁科さん 1話(後編)

 「なぁに?どうしたの?神妙な顔しちゃって」

一瀬が閉店作業を行っていると薫がそう声をかけてきた。兄に相談するようなことではないかもしれないが、もやもやする感じをどうにか解決したくて一瀬は切り出した。

「なんか、『仁科さんの評判が下がるからあんまり無理して俺に話しかけなくていい』って言ったら、怒られた」

自分で説明していてもやっぱり腑に落ちない。たしかに仁科の言ったことは正しい。納得できる。ではこのもやもやは何だろう。もやもや?ドキドキ?いや、むずむず?

 自分の今の気持ちを何と表現するのが正解なのか脳内をぐるぐるさせている一瀬を見て、薫はふっと笑った。

「なんだ、それでうれしかったのね」

薫の言葉に一瀬は怪訝な顔をする。

「は?うれしい?俺が?」

「だって今まであんたにそんな真摯に向き合って話してくれる人なんて家族以外では初めてじゃない?素直になりなさいよ。よかったわね、友達ができて」

薫は人の気も知らないで楽しそうに食器を片付けている。

「別にそういう・・・」

わけじゃない、と続けようとしながら一瀬はハーブティーの茶葉を補充しようと容器を手に取る。そのハーブは仁科にブレンドしたハーブティーに使ったうちの一種だ。その容器を見て一瀬の脳裏に『おいしい』と言ってハーブティーを飲んでいた仁科が浮かぶ。ウワサなどの先入観なく、等身大の一瀬と接してくれていた仁科。今時稀有なんじゃないかと思わせるほどに素直な言葉と笑顔。

(たった二日なのに)

まともに言葉を交わしてまだたった二日なのに、もうあんな風に話しかけてもらえないかもしれないと思うとひどくやりきれなかった。一瀬はハーブティーの容器を無意識に握りしめていた。



 放課後、それぞれの生徒が部活動や習い事、自宅へと向かったため、どの教室にも生徒の影はない。そんな中一瀬は自分達の教室で一人座っている仁科を見つけた。窓から入る太陽の光に照らされながら、仁科は何やら紙の束を机に置いて作業をしている。

 声をかけようと思うものの、昨日の今日で気まずい。今日は朝から何かとタイミングが悪く、挨拶すらできてないのだから、なおさらだ。

 教室の入り口に立って仁科に声をかける機会をうかがっていると、仁科がふいに手を止めて顔を上げた。

「一瀬くん?どうしたの?」

仁科の方から声をかけられてドキリとしたが、昨日のことを何とも感じていないのか、一瀬の知っている『いつも通りの』仁科であることに少なからず安堵した。一瀬はそのまま教室に入ると仁科の座る席の前まで移動する。

「別に、ちょっと通りがかっただけというか・・・仁科さんは?何してんの?」

「今日日直だったから、先生に頼まれて配布用のプリントをホッチキスで綴じてるの」

一瀬は机の上を改めて見てぎょっとした。そこには四種類のプリントが窮屈そうに置かれており、しかもそれぞれ結構な厚みのある束だ。

「すごい量だね。もう一人の日直は?」

「さっきまでいたんだけど、急に熱が出た妹さんを仕事しているお母さんの代わりに保育園に迎えに行かないといけなくなったみたいで・・・」

「そっか、なら仕方ないよね。手伝うよ」

「え、いいよ。申し訳ないし・・・。大丈夫」

仁科の前の席に座る一瀬に向かって仁科は慌てたように手を振る。けれど一瀬はかまわずプリントを手に取った。

「俺が勝手に手伝うだけだよ。それに一人でやるより二人でやる方が絶対早いでしょ」

妙に照れくさくてあまり視線を合わせられないままの一瀬の言葉に仁科は柔らかく微笑んだ。

「ありがとう。じゃあ上から一枚ずつこの順番で束ねて左上をホッチキスで留めてくれる?全部で三百セットだって先生が言ってた」

四種類のプリントのうち一枚は他のプリント用紙より二回りほど小さい。その小さなプリントを一番上にして、あとは置かれている順番に綴じるらしい。

「わかった」

一瀬はプリントの横に置かれているホッチキスを手に取った。



 教室に二人きりで黙々と作業をし始めて一分。一瀬は思っていることを躊躇いがちに口にした。

「・・・仁科さん、思ったんだけど、これこうした方が効率良くない・・・?」

一瀬はプリントが置かれた席の隣の机を引っ張ってきてくっつけ、窮屈そうに重ねて置かれていた四種類のプリントを重ならないように並べ直した。そして、一枚ずつ順番に取り、上下を逆さにして右下で角が揃うように整えてホッチキスで綴じる。仁科はずっと重なったプリントの束から少し取りにくそうにプリントを取って、左上の角が揃うようにしてホッチキスで留めていた。仁科のやり方だと一番表にくる小さなプリントを左上で揃うようにするのに少し手間取る。

「あ、ほんとだ!なるほど」

一瀬の言う通りにするととても簡単でしかも早く綺麗にできるので仁科は感嘆の声を上げた。一瀬は苦笑する。一瀬の言った方法は特に思いつくのが難しい方法でも目新しい画期的な方法でもない。

「・・・もしかして、仁科さんってちょっと抜けてる?」

(あ、しまった。今のはデリカシーなかった)

思わず言葉が口から零れた瞬間後悔し反省する。恐る恐る仁科を見やると仁科は真顔で一度ぱちくりと瞬きをして、それから盛大に両手を自分の頬に当て恥ずかしそうに頭を振った。

「そうなのー!わかる?わかるよね?私すっごいどんくさいというか要領悪いんだよー!なのになんでかいつもしっかりしてるように見られちゃうんだけどぜんっぜんそんなことなくて、『あ、この子思ってたよりできない子だ』ってわかられた時のかたじけなさといったら!」

「か、かたじけなさ?」

「もう本当イメージとかウワサとかに惑わされず等身大の私を見てくださいって感じなのいつもー!」

仁科の勢いに気圧されそうになりながらどう宥めたものかと一瀬は考えた。けれど仁科は勝手に落ち着きを取り戻し、困ったように笑いながら一瀬を見た。

「だからかな。私自身あんまり周囲の評判とかウワサとか信じてなくて。なんか、こう、ちゃんと自分でわかりたいというか・・・。あ、そういえばこの前は私えらそうなこと言っちゃったよね。ごめんなさい」

そう言って仁科はぺこりと小さく頭を下げた。そんな仁科を見て、一瀬は妙にこそばゆい感覚がした。

「いいよ。というか・・・俺の方こそごめん」

こんな時にまでダメだなとわかってはいるが、やっぱりしっかりと目を合わすことが恥ずかしくて机の上のプリントになんとなく視線を落としたまま一瀬は口を開いた。一瀬の言葉に仁科が顔を上げた気配を感じつつ、一瀬は言葉を続ける。

「仁科さんの言う通りだなって。俺、今まで周囲から遠巻きにされてて『周りが俺のこと勝手に色々決めつけて怖がっているだけだ』って思ってたけど、俺も『どうせ誰も理解してくれない。だからもうこのままでかまわない』って諦めて誰とも積極的に向き合ってこなかった。もともと協調性ないし、一人は苦にならないけど、自分から何も努力せず周りに腹を立てるのは違うよね」

幼い頃から同級生に怯えられていた。特に何をしたわけでもない。ただ見た目が他と違っていたからだ。それで『寂しい』と泣いていれば少しは子供としての可愛げもあったのかもしれないが、生まれつき天邪鬼な性格と、父からの教育のせいもあって平然を装っていると大人の目にはふてぶてしく映ったらしく、そのうち家族以外からは敬遠されるようになった。『人って結局自分の好きな人しか好きじゃないんだ。好きじゃないと少しでも感じればできるだけ距離を置く。その人が何をしても心象は悪化こそすれ、好転はしない。その心象は時に悪意となって関係ないところまで広がっていく。そして、誰も実態を自らの目で確認することなく他人の心象を鵜呑みにするのだ。そんな程度の人間と関わろうとしても、こちらの心が擦り減るだけだ。煩わしい。一人でいる方がとても楽だ』と、一瀬は思うようになっていた。

 けれど、仁科は普通に笑顔を向けてくれた。不躾な好奇心でも安っぽい正義感でも腹立たしい下心でもなく、ただ当たり前に人として接してきてくれた。そうだ。ちゃんといるのだ。周囲の無責任な心象に惑わされることなく、素直に人と関わって、自身の目で相手を見ることのできる人が。そのことが、他人との関わりを疎ましく思うあまり意地になって視野を狭めていたことに気づかせてくれた。

「それに気づけたのは、仁科さんのおかげ」

一瀬は意を決して目線を上げた。ただひたすらまっすぐ視線を向けてくる仁科と目が合う。一瀬は自分の頬やら耳やらが熱くなるのを感じた。

「だから・・・その、う、うれしかったです、ありがとう」

仁科は一瞬小さく驚いたような表情をして、それから一瀬が今まで見た中で一番嬉しそうに笑った。

「どういたしまして」



 「今日は手伝ってくれてありがとう。本当に助かりました」

下足室から外に出ながら仁科は横に並んで歩く一瀬に小さくお辞儀した。

「先生もびっくりしてたねー」

「そうだね。大人としてもう少し気持ちを上手に隠すことを覚えていてほしかったよね・・・」

一瀬は恨めしそうな顔で先ほどの九原のことを思い出していた。綴じ終わったプリントを仁科と共に職員室へ持って行った時のことだ。仁科が完了報告と併せて一瀬が手伝ってくれたのだと説明すると九原はひどく驚いて『え、一瀬が手伝ってくれたのか?それは意外な・・・あ、ありがとう』としどろもどろで言ってきたのだ。悪気は微塵もなく、純粋に感謝してくれたのは感じたが、驚きを正直に表しすぎじゃないのか。まぁ日頃の自分の印象を考えるとわからなくもないが。そして、わからなくもないことが絶妙に複雑だが。

 そんな悶々としている一瀬の横で歩きながら両腕を上げてグッと背筋を伸ばすと仁科は一瀬の方に顔を向けた。

「なんか喉乾いちゃったな。そうだ、一瀬くんが良ければ今日お兄さんのカフェ行ってもいい?もちろんお金はちゃんと払うから」

「別にいいけど」

『お代も別にいい』と言いそうになって、一瀬は思い止まった。ハーブティーの一杯や二杯くらい簡単にごちそうできるが、きっと仁科は『ごちそうになってばっかりだとまた行きたいと思っても行きづらくなる』と本気で断りそうだ。なんとなく、一瀬の知りうる仁科だと。けれど『やった!』と心から喜んでいる様子の仁科の笑顔を見るとやっぱりごちそうしたくなる。今しがた決めた意志を保つのはこうも難しいものだったか。

「この前もらったハーブティー、家でもおいしく飲んでるんだけど、なんだかやっぱり一瀬くんの淹れた方が断然おいしい気がするんだよね」

『インターネットで淹れ方色々調べて試してみたのになぁ』と思案気に言った後、仁科は顔を楽しそうに綻ばせた。

「一瀬くんが淹れてくれたからかな」

仁科のその言葉に、優しい笑顔に、一瀬の心臓は一際大きく波打った。

(それってどういう・・・)

「やっぱりプロって違うね!」

仁科が尊敬の眼差しをこちらに向けている。

(あ、そういうこと)

仁科の言葉にどうやら自分は何か特別な意味を淡く期待していたようだ。そのことに気づいてしまって、一瀬は恥ずかしいやらいたたまれないやら何やらで赤面した。いや、待て、まだそういうことなわけじゃない。ちょっと、ほんの少し、たまに仁科との時間が若干いいなと思っているだけで、と誰に対してなのか皆目見当もつかない言い訳を心の中で並べるが、無駄な抵抗だと早々に諦めた。

(まともに話すようになってたった三日なのに)

されど三日ということか。傾きつつある太陽の光が赤くなった頬を誤魔化してくれることを祈る。幸い、仁科は歩く方向に顔を向けていて一瀬の表情には気づいていないようだ。一瀬はどうにか心を落ち着ける。

「わかった。じゃあ今日もハーブティー淹れるよ。どんなのが飲みたいか言ってくれたら、またブレンドする」

「本当?うれしいな」

一瀬の言葉を聞いて仁科の声は弾んでいる。

いつか―――――

スッキリと甘いハーブティーがあれば飲んでみたいという仁科の注文にハーブの候補を挙げながら一瀬は口元に小さな笑みを浮かべた。

一瀬(プロ)くんが淹れてくれたから』じゃなくて『一瀬(・・)くんが淹れてくれたから』になればいいと思ったことは俺だけの秘密だ―――――。




「あ、一瀬くんせっかくだから連絡先交換しよー・・・って、あれ?携帯の充電切れてる」

(やっぱり仁科さんって抜けてるよな)

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