老剣 木枯らし 8
「ぐぅ、済まなかった、これは、私が悪いのだ、ほんとうに、猫の所為では無いのだ」
取り敢えず人目を避ける為、少し離れた道沿いの、酒場の歩道に並べられた粗末なテーブルに、全員は着席していた。
「自分でも、よく分からない、ただ、猫の顔を見たら、何か、こう……ぐすっ」
下を向いたリリィアドーネが、再び鼻をすする、隣に座るゆっこは、彼女の頭を撫で、何事か慰めているのだ、どこかで見たような光景ではある。どうやら、ゆっこはリリィアドーネに対して、幼くも母性のようなものを発揮しているのやも知れぬ。
「……わたくしは、ゴヨウ様が悪いと思いますわ」
「同感ですね、私も、そう思います、ゴヨウさんが、普段からリリアドネ様に、寂しい思いをさせているのが悪いのです」
「あー、なんとなく分かるわ、猫のセンセが悪いよー」
御用猫を糾弾するのは三人、その中にウォルレンが入っているのが、意外と言えば、そうであろうか。
「いやいや、何言ってんの、猫の先生は悪くないわ、引くわー、その考え方」
「そうじゃのう、おなごは、いつも理不尽なものじゃ……しかし、猫というたか、お前さんの抱きようも、少々、足らんのではないか? こころが満たされておらぬと、おなごは理不尽になるからのぅ」
祭り用に、薄めた酒を呷りながら、何故か甚助老人も、会話に参加していた。あの騒ぎの後に、旗竿は仕舞い、例の曲がった長い棒だけを担いで、追い掛けてきたのだ。
「ん、確かに、抱いてはいないな」
「それみたことか、今日はもう仕事にならんじゃろぅ、連れて帰って、しっぽりと、な? 可愛がってやるが良いぞ」
それが長続きの秘訣よ、と、甚助老は笑うのだ。
「うーん……だってさ、どうする? リリィ」
つい、と彼女の方を見やり、御用猫は尋ねるのだが、肝心のリリィアドーネは、左右からフィオーレとサクラに耳を塞がれ、訳も分からず、ただ細い眉を寄せている。
「……若先生、おそらく、分かっていて、揶揄っていらっしゃるのでしょうが……リリィアドーネ様は、単に祭りの賑やかさに当てられただけで、別段、若先生に不満は無いはずです、この時期は恋人達の姿も多いですし、周りが楽しそうな中、仕事をせねばならぬ寂しさが、思いがけず、若先生を見た事で、噴出してしまっただけですからね……なので、そういったことは、必要ありません」
リチャード少年が、きっちり、と言い放つ。少しだけ、目が据わっているような気がして、御用猫は、顔に貼り付けた笑いの表情を剥がすのだ。
「うむ、若いのぅ、善哉善哉……さて、それでは話もまとまった事じゃし、猫というたか、お前さん、儂と、ひと勝負してくれぬか? 」
「え、やだよ、面倒くさい」
「ちょっと! 」
横から食い付いたのは、サクラである。
「ゴヨウさん! 当初の目的を忘れてはいませんか! このおじいさんを、ぎゃふん、と言わせるんだ、とか、息巻いていたじゃないですか、可愛いサクラを泣かせた奴は許せん、とか、腰が伸びるまで懲らしめてやる、とも、言っていたでしょう! 」
「記憶にございません……というか、ほんとに言ってねーよ」
御用猫は、手を伸ばして、対面に座る彼女の鼻をつまむのだが、今度はリリィアドーネの目が据わりはじめたので、それを離して背筋を伸ばした。
「なんじゃなんじゃ、けちけちするでない、ちょちょい、と叩き合うだけであろうに」
「なんとなーく、嫌な予感がするんだよな、ダラーンも逃げてたし……そうだ、爺さん、強い奴とやりたいんだろ? 知り合いに、とっても強いのが、四人ほどいるんだが」
御用猫は、誰か他の者に押し付けようと画策する。田ノ上老あたりに会わせれば、それこそ日が暮れるまで、笑いながら打ち合うだろう。
「いや、駄目じゃ、儂がやりたい相手には、条件がある……おぬしは、それに、ぴったり、と、嵌まり込んでおるでな……どうじゃ、老い先短い哀れな男が、こうまで言うておるのじゃし、聞いてはくれぬかよ」
「なんだよそれ……ううん、聞いてもいいが、長くなりそうだな……河岸を変えるか」
御用猫が、首を鳴らして立ち上がると、全く、打ち合わせでもしていたかのように、ウォルレンとケイン、それに甚助老までも、揃って腰を上げた。
「リチャード、ゆっことフィオーレを送ってくれるか? ついでにサクラもな」
「なんで、私がついでなんですか……もう、お話が終わったなら、きちんと報告して下さいよ? なんだか私も気になります、あと、いのやに行っては、駄目ですからね! 」
はいはい、と御用猫はおざなりな返事を返すと、リリィアドーネの隣に行き、まだ、少しだけ赤い目をした少女の頭を撫でる。
「リリィも、寂しいだろうが、頑張れよ……祭りが終わって、休みが取れたら、そうだな、花吹団を見に行こうか? まえに約束したしな、なに、切符は任せておけ、おじいさまに言えば、なんとかなるだろ、なぁ、ゆっこ」
「はいっ」
てこてこ、と近付いてきたゆっこの頭も、反対側の手で撫でてやる。リリィアドーネは、またも鼻を鳴らし始めたが。
「うん……ありがとう、がんばるから」
今度は、笑顔であった。
リチャードを護衛に、女性陣を見送った御用猫は、その姿が人混みに消えると、腰に手を当て、伸びをする。
「じゃ、いこっか」
「いやー、悪いでぇー、猫のセンセは、悪い男やでぇー」
「見ました? ウォルレンさん、あの串刺し王女の顔、あれは、芯から惚れ込んでますわ」
「ふむ、どうするのじゃ? 悪い猫は、いのや、とやらに向かうのかのぉ」
まさかまさか、と大きな身振りで、三人は否定するのだ。顔をしかめ、または笑いながら、通行人がすれ違いざまに、その様子を眺めている。
「可愛いサクラとの約束だからな、いのやには行かないよ」
「あまちゃんやでぇ、親娘だけあって、ウチの団長と良く似てるでぇ」
「行くぜ爺さん、いざ、クロスルージュへ! 」
「ほほぅ、楽しみじゃのう! 」
肩を組んだ四人は、歌いながら行進する。
この、祭りの喧騒の中では、別段、珍しい光景でも、なかったのだ。




