神頼み 14
動きがあったのは、その、すぐ後である。
御用猫は、いつものように、チャムパグンを背中に負い、人気の無い裏路地を、あてどなく彷徨いていた。
北町は、クロスロードの生命線たる二河の大河が、街に流れ込む、その玄関先である。細かく張り巡らされた水路には、カヌーの様な小舟から、ぽこぽこ、と音を立てて進む呪い船まで、様々な種類の船舶が行き交い、賑わいを見せていた。
しかし、その反面、陸路の方は、少々寂しい裏通りも多く、駐屯騎士団である、真武黒タイガー水神騎士団が、主任務たる水質の保全に力を注いでいる事もあって、犯罪の発生率は、人口密集地である南町に次いで多いのだ。
なので、御用猫は、自身を餌とし、何者かが、釣り針に掛かるのを待っていたのだが。
「分からないな、たった二人で、何のつもりだ? まさか、お話にきた訳でもあるまいに」
今、御用猫の目の前には、四十には届かぬだろうが、若くも見えぬ、少々小柄な、どこぞの貴族といった、上品な風貌の茶金髪の男。
「実は、その、まさか、なのよ……ねえ、こちらが丸腰なのは、分かるでしょう? お願いだから、怖い顔をしないで頂戴」
「……そう思うなら、言葉遣いは、ちゃんとしなさい」
目の前の女言葉は、それはもう仕方ないわ、と、額に手を当て、とりあえずお茶を飲みながら話そうと、御用猫を誘うのだ。
「……んで、三代目「クレオノルン」が、この俺に、何のお話かな」
「率直に言うとね、貴方と、手打ちがしたいの」
誘われるままに御用猫が、古い石作りの、看板も無い、目立たぬ場所の喫茶店に入った時には、流石に無警戒過ぎる、と、呼び込んだその本人から、随分と驚かれたものだったが。
「襲うつもりなら、好きにしろ、こちらとしては、手間が省ける」
御用猫の言葉に、何故か過敏な反応を見せ、何度も首を振ると、敵対するつもりは無い、と、繰り返し強調するのだ。
(なんだ、こいつら? 伏せ兵も居ないようだし、まさか、本気で話し合いがしたいのか)
差し出された高価そうな紅茶とパンケーキを、小さく切り分けて膝の上のチャムパグンに与えながら、額に汗を浮かべる目の前の男女を、御用猫は眺める。
「手打ち、と言ってもなぁ、クレオファミリーと、辛島ジュートの間に、何か、揉め事でも、あったかなぁ? 」
これは、御用猫の正直な気持ちであった。
確かに、彼らの下っ端を伸し、子飼いのゲコニスを教会に住まわせてはいたが、しかし、その後、何の接触もなく、いま突然に現れ「手打ち」と言われても、どうにも理解出来ぬ事なのだ。
しかし、彼らは、御用猫のその言葉を、深読みしてしまったようだ。
「元々、ロンダヌスとの人形商売は、先代の始めた事なのよ、私は、興味も無いし、むしろ、そんな危険な橋を渡りたくないと、常々考えていたの……貴方のおかげで、上手い言い訳が出来そうだし、あいつらとは、きっぱり縁を切ります、だから」
そこまで言うと、三代目は立ち上がり、床に座ると頭を下げた。
「あなた! そんな、やめてください、私のために」
今まで、押し黙っていた若い女が、亭主に縋り付いた。この季節とはいえ、黒い外套に身を包み、目深に被ったフードは、少々、陰気であろうか。
「お前は黙ってなさい……辛島さん、どうか、お願いします、あたしは、こんなでも、妻を愛しているの、だから、何でもするわ、彼女に付けたマーカーを、外して頂戴」
「んん? ……んー、どうしようかなぁ」
頭の上に疑問符を浮かべた御用猫ではあったが、そこは野良猫の小賢しさ、瞬時に損得の算盤を弾き、それを悟られぬよう、少しづつ誘導して、情報を集めたのだ。
それは、御用猫がチャムパグンを連れ、陸釣りの日課をこなしていた頃、その初期であった。腕利きの呪い師でもある、三代目の妻は、彼等ファミリーに真っ向から逆らった、その報復として、御用猫に呪いを行使しようとしたのだとか。
得意の隠形の術で身を隠し、絶対に気付かれぬ距離から、影縫いの術を用意していたのだ。基本的に、呪いとは、対象に近付くほどに、その効力を強めるのだ、いかに使い込んだ得意な術とはいえ、この距離から罠を張れる彼女の力は、賞賛に値するだろう。
そして、ひとたび動きを止めてしまえば、後は若い衆達を呼び寄せ、その恨みを晴らさせてやるだけだ、クレオファミリーに逆らった、その間抜けさを、奴らに、ゆっくりと後悔させなければならないのだ。
しかし、自信を持って放たれたその呪いは、あっさりと霧散し、それどころか、彼女は、いつの間にか、自身の胸に、何かの呪印を押されてしまった。
彼女は慌てた、こんな事は、初めてであったのだ。呪いの腕においては、水神騎士団の、上級術師にも引けを取らぬと、密かに自負していたのだから。
その彼女をもってしても、初めて目にし、そして体験した術式である。しかし、ひとつだけ、直感的に、理解出来た事がある。
(なにか、わかる、これは、この呪いは、命を奪う)
急いで解呪を試みたが、それは、彼女の手に負えるような代物では無かった、しかも、その不気味な刻印からは、日に日に、黒い血管の様な物が伸びて広がり、彼女の命を吸い続ける。
三代目は、クレオファミリーの総力を挙げて、高名な呪い師を集め、愛する妻を助けようとした。複数人の術師による大規模な解呪、しかし、その儀式に参加した呪い師のことごとくに、件の呪印が広がり始め、もう、どうにも、手の施しようが、無くなってしまったと言うのだ。
ついに諦めた三代目は、妻の命を救うべく、幹部達の制止を振り切り、御用猫に接触してきたのだった。
何とも、恐ろしげな話ではあるのだが、しかし、これは全て、御用猫の背中で寝ていたチャムパグンの、無意識下で働く、虫除け程度の、防御の呪いなのだ。
おそらくは、敵意悪意を感じ取り、自動で反撃する類のものなのだろう。
いつもいつも、食っては寝るばかりの、自堕落な姿を見ていれば、御用猫ですらも忘れてしまいがちなのだが、この、膝の上の、もちもち、とした卑しいエルフは、しかし、こと呪いに関して、およそ、並ぶ者の無いほどの実力者であったのだ。
「お願いします、あたしの首で済むなら、どうぞ、お持ちして構いません、ですから、どうか」
いかに北町で無法を働くやくざとはいえ、こうも涙ながらに、夫婦で頭を下げらられては、何やら、こちらの方が悪者のようではないかと、御用猫は、微妙な罪悪感に襲われる。
「ふぅん、まぁ、いいだろう、ただし、条件が三つある」
がば、と顔を上げた三代目に、御用猫はゆっくりと告げる。
「なに、大した事じゃ無いさ、そうだな、ひとつ、例の教会とゲコニスには、手を出さない事、ふたつ、素人に迷惑を掛けない様に、若い衆をきちんと教育する事……んで、みっつめは」
御用猫は、チャムパグンを隣に降ろすと、床に座る夫婦に、その顔を近づける。
「お前らは、北町の、自警団になってもらおうかな」
いかにも面倒で、ふわりとした内容の、アルタソマイダスからの依頼であったが、どうやら、他人になすり付ける事が、出来そうである。
「旦那ぁー、辛島の旦那ぁー、悪ぃ顔してますぜー、ついでに金も貰いましょうよー、げへへ」
ぺちり、と卑しいエルフの膝頭を叩く御用猫ではあったが、しかし、彼女の指摘通り、野良猫の、その笑みは、実に、卑しいものだったのだ。




