神頼み 8
御用猫は、先ほど落とされた拳骨にて、少しばかり膨らんでしまった頭を摩りながら、こちらに向かって来るメルクリィに視線を送る。
「餓鬼どもは、落ち着いたか? 」
「落ち着いたか、ですって!?あの子達が、どれ程に恐ろしい思いをしたのか、貴方に分かりますか! クロスロードの騎士様にとっては、孤児の悲哀など、他人事でしかないのでしょうね、そもそも、貴方達が、先日、彼等との話し合いを放棄しなければ」
大股で歩くメルクリィには、その一歩一歩に、確かな怒りが込められていたのだ。御用猫の胸に指を突き立て、再び繰り言を、彼の前に重ね上げるのだが。
「そこまでだ、メルクリィ殿、私は、今、少々、腹を立てている」
ぐい、と、二人の間に、リリィアドーネが割って入る。歳は若いが、彼女の方が、僅かばかり背が高い。
しかし、こちらは、僅かばかりともいくまい、服の上からでも分かるほどの、メルクリィの膨らみに、服の上からでも分かるほどの、平野を押し付け、リリィアドーネは、相手の目を、真正面から睨みつけるのだ。
「先日の落ち度は、謝罪したはずだ、こちらばかりに非があったとも思えぬが、それはもう、手打ちであろう、しかし、今、この場に我々が訪れたのは、ねこ……辛島殿の提案なのだ、この教会の事を案じて、わざわざ様子を見に来たのだ、それなのに、一言の礼もなく、あまつさえ非難するなどと、神職にあるもご」
「ようし、状況をまとめようか、メルクリィ、怪我人の方は全員終わりだな? 」
まだ、何か言いたそうにはしていたが、石頭二人は、その辺りを後回しにしようと決めたようだ。もしかすると、どこか、思考回路の、似通った者同士なのかも知れない。
「はい、司祭様と子供達は……しかし、この方達の方までは、しばらく休憩しないと、無理なようです……申し訳ありません」
御用猫にではなく、やくざ達に頭を下げるメルクリィを見て、再びリリィアドーネに火が付きかけたが、その開いた口から、ふと、疑問を言葉にする。
「ノムラン司祭様は、呪いが使えぬのか? 」
それは、と、口籠るメルクリィである。クロスロードでなくとも、神官を名乗るならば、癒しの呪いは必修のはずなのだ。
呪いは、神官にとって、神の奇跡であり、神の力を借りて行使するものとされている。したがって、信仰心と呪いの力は比例すると言うのが、彼等の通説なのだ。
もっとも、信仰心の薄いエルフ達が、強力な呪いを行使できる時点で、あまり説得力ある話とも思えぬだろう。
「……信心が、足りてないんだろ」
「こ、こら! 本当に、お前というやつは」
ぺちり、と、失言ばかりを零す男の、手の甲を叩いた後、がっくりと、視線を落として息を吐く、そのリリィアドーネを無視して、御用猫は、拘束されて庭に胡座をかく、ガマ剣士の前に影を落とす。
「さて、次はお前らの番だ、何で、こんな、ちんけな教会を襲ったんだ? 先刻のやりとりは聞いてたが、わざわざ、メルクリィの事も調べたのか」
腕や足を、リリィアドーネに突かれた、ちんぴら達は、御用猫に、細いワイヤーで親指を後ろ手に縛られ、纏めて無造作に転がされている。簡単な手当ては受けているが、ガマ剣士以外は、呻きながら、または啜り泣きながら、痛みを堪えるのみであった。
「違ぇよ、たまたま、そこのばい……神官の客が、ウチに居ただけだ、クレオの親父に話したら、ここは好きにしていい、と言われただけだ」
「……ふぅん……本当に? 」
顎をさすりながら、疑わしそうな視線を向けてくる、黒髪の騎士を間近にしても、未だ、ゲコニスは、彼の正体に気付いた様子も無いのだ。御用猫の最大の特徴が、今は消してある、大きな向こう傷だとは言え、元賞金稼ぎとは思えぬ、勘働きの悪さであろう。
「こんな事、嘘ついてどうすんだよ、馬鹿じゃねぇのか、いや、ばげごっ」
顔面をブーツで踏まれ、ゲコニスは、それこそ、蛙の潰れたような声を漏らす。
「おーおーすーずーめー」
「……ちょっと、気持ち悪いので、その呼び方はやめて貰えますか、ごめんなさい」
じわり、と、滲むように現れた大柄な女に、御用猫以外の全員が、どきり、と跳ねる。
「いいから、ちょいと、この蛙くんの鼻先を掠めるくらいで、金棒振ってくれるか? 鼻が取れない程度で頼む」
「いやですよ、面倒くさい……なんか、てかてか、してるし、油もつきそうだし、気持ち悪いです、ごめんなさい」
ガマ剣士の背後に回り、両手でその頭部を固定し、準備万端の御用猫に、ぺこり、と頭を下げる大雀は、腹の前で手を重ねていた。正教徒のお辞儀が気に入ったのだろうか。
「いいからやれよ、今回な、俺はな、お前に対する命令権をな、みつばちから買ってるんだ……そら、考えてみろ、断ったなら、どうなるか」
はっ、と、野獣の様な鋭い目を、大きく見開いた大雀は、両手で自らの身体をかき抱き、少し捻って縮こまる。
「うそ、まさか、私の、身体目当てに……いやらしい命令を……けだもの……けだものよ……ごめんなさい、お父さん、お母さん……大雀は、汚れてしまいました……ごめんなさい」
「いいから」
はーぃ、と甘ったるい返事を返した大雀は、背中の巨大な鉄塊を、ゲコニスの目の前で、大きく振りかぶる。
「……ちょっ、近いだろ! 馬鹿か! 当たる! 馬鹿か! 」
ごうん、と、風を切った大金棒は、ゲコニスの鼻の皮一枚だけを削り取った。その風圧だけで、そうしたのではないかと思えるほどの、強烈な一振りであるのだ。
そんなものを間近で感じたゲコニスは、たまったものではないだろう。
「よーし、もう一回だ……さて、何回目で、手元が狂うかな」
「待って、嘘じゃない! 嘘は言って無いの! 本当に……キャーッ! 」
ついに、彼が、哀れにも泡を吹いて倒れるまで、それは繰り返されたのだが、後ろで見ていた女性二人からは、意外にも、何の抗議の声も上がらなかった。
メルクリィは、余りの光景に、言いたい言葉が、脳内で詰まってしまったのか、固まって動かない。
それは良い。
彼女が大人しいのは、御用猫にとって、まったくに幸いであるのだ。
しかし、問題は、今回受けた仕事の方である。おぼろげながらも、何となく、こと、の予想はついた、しかし、これをどう片付けたものかと、御用猫は考える。
御用猫が、アルタソマイダスから、例によって、少々強引に受けさせられた、今回の仕事は、北町の治安回復、などという、ふんわり、としたものだったのだが、わざわざ、リリィアドーネを寄越したという事は、向こうに何か、思惑があったのだろう。
特に、当ては無かったのだが、どうせなら、と偶然に覗いたメルクリィの教会で、偶然に北町のやくざと出くわすなどと。
(これはまた、何か、面倒な)
予感がするのだ。
しかし、それに関しては、後でゆっくり考えるべきかと、彼は判断する。
「……猫よ……さっきの話は、どういう事なのだ、詳しく、くわしく、説明を、して、欲しいのだ……いや、私は、信じている、信じているとも、しかし、お前の口から、そういえば、そういった事を、私に対して、聞いたことが無いと、いま、気付いたのだ、なんか、ずるい」
今は、背後で、ぷるぷる、と震え、言動の支離滅裂な彼女の処理が、先なのだ。




