神頼み 2
御用猫の目的地は、北町にある巨大劇場、クロスロード国立歌劇場であった。
通称「クロス座」と呼ばれる、この劇場は、国内最大規模を誇り、立ち見も含めれば四千人を収容可能な、クロスロードの文化の象徴、そのひとつであるのだ。
格式高い伝統演劇から、花吹団のような大衆娯楽まで、幅広い演目で人気も高く、観光客も含め、連日満員の賑わいを見せている。
「しかし、演劇なんてのも、久し振りだなぁ」
街の東を貫く、クロスロードの大動脈、線川を遡る定期船に揺られながら、黒髪の青年は、笑顔をみせている。隣に座る、栗色の髪の美少女は、何か意外そうな表情で、そんな青年に問いかけるのだ。たぱたぱ、と音を立てて進む呪い船は、馬ほどの速度があり、随分と伸びてきた彼女の髪を、頬に貼り付けていた。
「そうなのか? 少し、意外だ、ねこ……んぅ、ジュート、は、そういった事に無関心だとばかり、いや、これは失言だったか、すまない」
意外なのはお互い様だろう、と、ジュートこと、御用猫は、彼女の肩を小突くのだ。今の彼は、名誉騎士、辛島ジュートの姿であり、きちっ、と着込んだシャツとパンツに、上等な、紺色の冬用ジャケットを着込んでいた。
この服は、今日の為にと、アルタソマイダスが用意した物であったのだが、何故、彼女が御用猫の服の寸法を知っていたのか、と、リリィアドーネが疑問を覚えるのは、数日後の事である。
「リリィだって、今まで演劇なんか、興味なかっただろうに、「串刺し王女」が、花吹団を見に行くなんて、騎士連中に知られたら、笑われるんじゃ無いのか? 」
「そ、その名で呼ぶな! それは、皆が、ふざけて付けたものなのだ」
首を振りながら、ぽかぽか、と、男の肩を叩く少女は、しかし、端から見れば、仲睦まじい恋人同士にしか見えぬであろう。
船内の客達は、じっとり、と、ぬるい視線を、デッキでいちゃつく、若い二人に注ぐのだ、日中は多少暖かいといえ、冬風を切って走る船上で、なんとも、お熱いことではある。
もしもテンプル騎士の同僚が、今の、浮ついた姿の彼女を見れば、他人の空似だと思うであろう。最近は少しばかり、眼差しと物腰が柔らかくなったと言われるリリィアドーネであるのだが、串刺し王女の渾名は、他人を寄せ付けぬ、まるで王族の様な威圧感と、容赦の無い突きの鋭さが、その由来なのだから。
「ふぅん、そうか、「四美姫」の方が良かったか」
「やめろ! やめて、はずかしい……うぅ、本当に、いったい、誰が、そのような名前を、吹聴してまわるのか」
ついに、御用猫の腕に縋り付いた彼女は、しかし、はっ、と動きを止める。自然な流れだとはいえ、衆目の前で、大胆にも、男性の腕を取ってしまったのだ。
これは、いったい、どうすべきかと、悩む少女の頭に、御用猫の手が添えられる。
「今日は、甘える日なのだろう? 遠慮なく、どうぞ、お姫様」
「もうっ、やめてと言ってるのに」
しかし、満面の笑みにて、抱き着く腕に力を込めると、リリィアドーネは、御用猫の肩に、とすん、と頭を乗せるのだ。
そのまま、会話らしい会話も無く、船着場まで寄り添う二人に向けられる視線には、なにか、乗客達の、怨嗟すら込められているようだった。
「んん、しかし、この手の服は肩が凝るな」
船を降りて、大きく、のび、をした御用猫は、そのまま、ぽきぽき、と首を鳴らす。
「……ねこ、ジュートよ、それは、アルタソ様が用意して下さった服ではあるが、私は、いつもの、お前の姿でも、構わなかったのだぞ」
特段、彼女に他意は無い、純粋で、真っ直ぐな少女は、単純にも、芯から、そう思っているのだろう。
ダラーン バラーン伯爵と、無名の騎士が、リリィアドーネとの結婚を賭けて決闘した、という話は、一時、クロスロードの夜会を賑わせたのだ。
相も変わらず、そういった話題には取りつく島もない彼女である、アドルパスと、アルタソマイダスにも睨まれ、野次馬貴族や記者達も、次第に興味を失っていったのだが、流石に、いま、目立つ傷顔の、賞金稼ぎと出歩くのは不味かろうと、御用猫ですら、そう思うのだが、どうやら、リリィアドーネにとっては、頭の端によぎる事すらない、些事であるらしい。
もっとも、造りこそ良いが、そこらの町娘のように、無邪気な笑顔を見せる、今の彼女と、美しくも恐るべき「串刺し王女」を結び付ける者も少ないだろうか。
とはいえ、わざわざ、そのようなことを伝える必要もあるまいと、御用猫は考えるのだ。確かに、汚れた野良猫には、少々眩し過ぎる輝きではあるが、未だ世間に染まらぬ彼女の純粋さや、無垢な心根は、間違いなく、彼の好むところであったのだから。
なればこそ、彼は、少々おどけた調子にて。
「馬鹿を言うな、愛しのリリィに、そんな可愛い姿を見せられたならば、こちらも、それ相応に、格好をつけなければ、ならないだろう? 」
どうだ、格好良いか、と、笑顔で両手を広げる御用猫に、耳まで赤くした少女は俯き、小さく言葉を返すのだ。
「ばか、軽いと、言ってるのに……でも、うん……に、似合ってるよ」
ごにょごにょ、と、尻すぼみな少女の言葉に、しかし、簡単に気を良くした御用猫は、彼女の手を引き、歩き始める。
「よし、少しばかり急ぐとするか、任せておけよ、野良猫は、裏道に詳しいのだからな」
それは、嘘ではない、あまり立ち寄らぬ北町ではあるが、そこは野良猫の記憶力、クロスロードの、主だった裏通りや細道は、粗方、頭の中に入っているのだ。
手の平に、彼女の温もりを感じながら、御用猫は、劇場までの近道を思い出す。
大通りから外れ、一度、近くの石階段を降り、細い水路の縁を進むと、少し開けた空き地になっていた。彼の記憶と違うのは、老朽化した家でも取り壊したからなのだろう。
しかし、空き地なのだ、もちろん、進むのには問題ない。
もしも、問題があるとするならば。
「お前達! 何をしている! 」
目の前で、今しも襲われかけている女性を、リリィアドーネに、見て見ぬ振りは、決してできぬ、と言う事であったのだ。




