腕くらべ 6
特別な対策を立てることも出来ぬまま、遂に手合いの日を迎えた御用猫は、チャムパグンの呪いで顔の傷を消すと、名誉騎士、辛島ジュートとなって登城したのだ。
クロスロード一般騎士の色である、灰色の制服を身に纏い、アドルパスに連れられて屋内の修練場を目指す。
御用猫は知らぬ事であったが、ここは以前にサクラとフィオーレの戦った技場であった。
質実剛健、といった飾り気のない造りで、何処となく、重苦しい雰囲気を御用猫は感じる。
「ほほぅ、その者が「電光」の隠し玉、という訳ですかな……成る程、中々に、良い面構えではありませんか」
既に待ち構えていた「からすき」のダラーン バラーン伯爵は、御用猫の予想よりも、若い男であった。まだ三十路半ば、といったところか、造りの上品な顔は、男前とまではいかぬが、決して悪く無いだろう、長身ではあるが、細くは感じない身体に、くすんだ金髪を後ろで縛る、左眼の下の黒子が印象的な男であった。
水神騎士団の蒼い制服を、少し崩して着こなす辺り、見栄えを気にする目立ちたがりだろう、と、御用猫は予想する。
「お初にお目にかかります、名誉騎士、辛島ジュート、未だ不肖の身なれど、本日の手合わせ、お相手を務めさせて頂きます」
恭しく頭を下げると、アドルパスが横で嫌そうな顔をみせた。
御用猫は内心呆れていた、この大英雄様に、協調性が無いのは充分に知っていたが、最低限の処世術、先の身の振り方くらい、教えるものは無かったのか。
この男には、ゆっこを預けているのだ、彼女が恥をかかぬ程度に、多少の教育を施さねばなるまい。
御用猫が何度も頷くのを見て、何か勘違いしたものか、ダラーン伯爵の取り巻き連中が、くすくす、と笑い始める。
「さて、辛島殿であったか、大英雄の秘蔵っ子、今日はその力、存分に発揮して頂きたいのだ、実は、来週に大きな手合いを控えていてな、自分の実力を確認する為、馴れ合いやおべっかの無い相手を探していたのだ。貴殿には、決して遠慮などせずに、打ち込んで欲しいのだ、よろしく頼むぞ」
「私は田ノ上念流を学ぶ身、勝負に手を抜く事は、決して無い、と、剣に誓いましょう」
ほぅ、と、ダラーン伯爵が、驚いたような表情を見せた。
「これは奇遇な、私も以前に、田ノ上念流を学んでおってな、あの道場主は「石火」の弟子、と言っていたか、懐かしい……まぁ、学ぶべき事の無い剣であった、一週間で叩きのめしてしまったよ」
ダラーン伯爵が両手を広げると、取り巻き連中が、今度は大声で笑い始める。
(あ、これは、好かぬ男だ)
自尊心が高く、それに見合う実力もあるのだが、更に他人を下げて、自分を上に見せたがる、おそらく、そういった人物である。
(これは、早めに終わらせよう、でなければ)
つい、と、御用猫が見上げると、一見して、無表情に見えるアドルパスのこめかみ辺りに、太い青筋が、どくどく、と脈打つ程に膨らんでいた。
このままでは、空気を読まぬこの熊男が、いつ暴発するか、知れたものでは無いだろう。
「恥ずかしながら、私も少々、気が逸っておりまして、早速にお手合わせ願いたいのです、アドルパス様、仕切りのほどを」
「あぁ? うむ、そうするか、俺も忙しいのだ、ならば、説明はいらぬな? 」
何故いらぬ、と思ったのか、ここが王城でなければ、アドルパスの尻を蹴飛ばすところであった。
これでは話にならぬ、と、ダラーン伯爵を見るのだが、彼は丁度良い、と手を叩き、私が説明しよう、と話し始める。
「辛島殿よ、此度は、水神騎士団の作法にて手合いを行いたいのだ、なに、難しい事では無い、呪いの使用を認めるだけで、後は 、故意の急所狙いの禁止、これは目玉と金的だな、それと、組み打ちも禁止だ、どうかね」
そういえば、水神騎士団は呪いを重視していたか。
水源と上水路の管理監視を一手に引き受ける水神騎士団は、水質浄化の呪いが最重視されているのだ。結果として、四大騎士団の中でも、特に呪いの扱いに長けた、戦闘力の高い集団と化していたのだ。
とはいえ、手合いの最中に呪いを行使するなど、そうそう出来る事ではあるまい、近間で向かい合う以上、結局のところ、剣術の比べ合いなのだ。
「了解致しました、全てお任せ致します」
御用猫が頭を下げると、にやにや、と笑いながら、取り巻き連中が技場を離れ、観客席に上ってゆく。
御用猫は、不快感よりも、何か違和感を覚える。
とはいえ、最初から、勝てるとは思っていない御用猫は、気楽なものであった。目の前の貴族が「雷帝」ビュレッフェと同格であるならば、御用猫には到底、手の届く相手では無いだろう。
以前の騒動で心を入れ替えたというビュレッフェは、最近では、田ノ上老が何度も褒める程の剣筋を、取り戻していたのだ。
そういえば、御用猫自身は、田ノ上老に褒められた事が無かったと思い出す。何か釈然としないが、彼に褒められる為には、それこそ命をかけなければ、ならないだろうと、諦める事にした。
何事も、命あっての物種なのだ。
「ならば、両者かまえて」
はっ、と、御用猫は現実に戻される、いくらお遊びといえど、気を抜き過ぎであろう。
今日、田ノ上念流を名乗る、辛島ジュートは、どっしりと右上段に構えた。鉄槌か、それとも縦旋風あたりで意表を突くべきか。
対するダラーン伯爵は、構えを見せずに、木剣をだらりと下げたまま。
(ふぅん、兎も角、最速で打ち込む、あっさりと躱されるならば、諦めよう)
「はじめい」
アドルパスが振り上げた手を、正面に降ろすと同時、御用猫は一気に木剣を打ちおろす。左片手で、遠間からの鉄槌に見せかけ、巻き込む様に身体を回転させての横旋風。
が、御用猫の打ち込みは、ダラーン伯爵の遥か手前で跳ね返される。
(呪いの壁? 何で、いつの間に)
にやりと笑ったダラーン伯爵が、体勢の崩れた御用猫に突きを見舞う。恐るべき速度だった、これは避けられない。
咄嗟に残した右手で木剣を叩く、片手打ちでなければ、まともに貰っていただろう。
そして、喉を突かれて死んでいた。
間違いない、今まさに、ダラーンの木剣は、御用猫の肩を貫いていたのだから。
これでは真剣と変わらぬだろう、あり得ない鋭さであった。
ここにきて、ようやく御用猫は気付いたのだ。
(呪いを、あらかじめ、かけてやがったのか)
何とも、小賢しい真似をする、これが水神流だとか言っていたが、もしもそうであるならば、最初から、御用猫を嵌めるつもりであったのだろう。
彼の事をアドルパスの秘蔵っ子だとか言ってもいたが、成る程、これは将来の脅威を排除すべく、事故に見せて「電光」の子飼いを消す為か、それともただの嫌がらせか。
だが、それは今、どうでも良いだろう、御用猫は後ろに飛んで距離を置き、動かぬ左手から木剣を奪い取る。
ダラーン伯爵は余裕の表情だ、おそらく、守りの壁は、片手木剣では突破できないだろう。
これが真剣ならば、まだ、遣り様はあるのだが、現時点では、打つ手が無い。
だくだく、と、肩のあたりが熱を持つ、血が流れ過ぎだ、もし倒れれば、殺される前に、アドルパスが止めてくれるだろうか。
いや、普段の言動をみるに、期待はできそうに無いだろう。
(仕方ない、最後の手段だ)
御用猫は、大きく息を吸い、真っ直ぐにダラーン伯爵を見つめた後。
膝をついて土下座したのだ。
下げる時は躊躇いなく下げる、しかし、額を擦り付けて命乞いするのだ。恥はかくし、腹も立つ、だが、それらは、決して、命に代えられるものでは無いのだ。
アドルパスの怒鳴り声と、取り巻き連中の笑い声が技場に木霊したのだが。
どうやら、命は繋いだだろうと、御用猫は安堵したのだった。