腕くらべ 5
翌日、御用猫は早朝から出発し、南町の歓楽街を目指していた。
田ノ上道場に顔を出す序でに、ティーナから情報を受け取ろうとしたのだが、彼女は溜息を吐きつつ「いのや」に行ってやれ、としか言わなかったのだ。
いのや、は、御用猫が、マルティエの亭に住み着く前のねぐらとしていた店で、歓楽街の顔役のひとりでもある女主人、いの、が取り仕切る、それなりに名の知れた遊館である。
五十を超える、いのであったが、その迫力は未だ衰える事無く、酔っ払いが遊女に悪さをしては、彼女に叩き出される、といった光景が、この店の名物でもあった。
中には、手の付けられぬ程の悪客もいたのだが、そういった場合には、御用猫が対処していた。寝床と飯を提供して貰う代わりに、用心棒を数年続けたのだが、おかげで、いのや、は「御用猫の縄張り」として認知され、近頃では、客の素行も、まことによろしいのだ。
もっとも、御用猫が未だにこの店を贔屓にするのは、馴染みの遊女を抱く為では無く、彼が個人的に雇う情報屋と、ここで繋ぎを取る為なのだ。
けして、遊びに来ている訳では無いのだ。
「いいえ、猫の先生は、もっとカンナ様を抱くべきだと思うのです、週に一度の約束も、最近は反故にされがちだとか」
ついでに私もお願いします、と、銚子を傾けながら、浴衣姿のみつばちは言うのだ。
「そうは言ってもなぁ、俺も忙しいし」
カンナの相手は、体力的にも辛いし、などと思いながら、杯を傾ける御用猫は、先ほどから、みつばちの首筋を注視していた。
今日のみつばちは、濡れ烏の様な黒髪を解き、背中に垂らしている、その為に、白く滑らかな曲線を描くうなじが、隠れてしまっているのだ。
この、役に立たないくノ一の、唯一の取り柄とも言える、美しいうなじが見えぬのは、御用猫にとって、些か不満なのである。
「最近では、猫の先生がご無沙汰に過ぎるので、毎日、枕を洗うのが大変だと、マキヤ姐さんが愚痴を零していました」
涙で枕を濡らすカンナを想像し、流石の御用猫も、少々胸が痛んだ。洗濯も大変であろうし、もう少し、顔を出す頻度を上げようか、と思うのだ。
「まぁ、それは考えておくから、とりあえずカンナには、余所で泣くようにしてもらえ」
「泣く? あぁ、いえ、枕の使い途が……」
「むぅー! むうぅー! 」
突如として、背後の布団から唸り声が聞こえてくる。
目隠しに猿轡、肌襦袢姿に剥かれたまま、哀れにも縛り上げられた、年若い少女の名は、倉持カンナ。
長い黒髪は、みつばちに劣らぬ艶と潤いを見せていたが、痩せぎすな肢体は肋が浮き出るほどで、およそ遊女とは思えぬ色気の無さであろうか。
それもそのはず、彼女は娼婦でありながら、御用猫以外に客を取らぬのだ。
その理由は、彼女の顔の左半分にある、大きな火傷の跡のせいである。
初めての客に付けられた顔と心の傷の為に、長らく引き篭もっていた彼女の、気晴らしにでもなればと、御用猫は情報屋との繋ぎを任せていたのだが。
(まぁ、確かに、役には立ったが、色々、面倒も増えてしまったな)
少し撫でてやると、彼女は直ぐに大人しくなった、この辺りが、スイレンとは違う所だろう。カンナは、自ら襲い掛かってきたりはせず、あくまで受け身ではあるのだが、とにかく、いつまでもいつまでも、満足せずに求めてくるのだ。
最近では、チャムパグンの指導もあり、一端の呪い師になったそうだが、あるいは、その辺りが関係しているのではなかろうか。
御用猫の知る限り、力の強い呪術師は、皆、欲深な者達ばかりであるのだから。
そういえば、一張羅の修理も頼みたいところであるし、この仕事が片付いたならば、ホノクラちゃんに会いに行こうかと、御用猫は思い付き、そして、直ぐにそれは忘れる事にした。
「とりあえず、先に話を聞こう、ダラーンの情報は集まったか」
手慰みに、カンナの肋骨を一本づつなぞりながら、御用猫はみつばちに尋ねる。
甘い吐息を漏らし始めた彼女を、羨ましそうに見つめながら、話し始めたみつばちが言うには、ダラーン バラーン伯爵は、急逝した父に代わって家督を継いだばかりであり、家臣を纏めるのに苦労をしている事、女遊びが激しく、人望人気はあまり無い事、権勢欲が非常に強く、今は政略結婚にて、地位の向上を狙っている事、などが判明した。
「ちなみに、フィオーレ様に求婚したものの、素気無く袖にされたそうです、少女性愛の変態野郎ですね……あっ! 申し訳ありません! 」
「しばくぞ」
いくら、クロスロードでは、女性は成人前に結婚できるといえど、正式な求婚は十五歳から、というのが慣例なのだ。
サクラと違って身体の発育が良いとはいえ、十三歳のフィオーレに求婚するのは、いささか性急であろうか。
(まぁ、それは置いても、あまり、たち、の良い男とは思えないな)
結局、裏取引の材料になりそうな不正や弱みは、無いようだ、残念だが、まともに手合わせする他は無いだろう。
「ですが、実力は折り紙付きで、上級貴族とは思えぬ剣力だそうです、加えて、呪いの腕は、うひょぅ」
ふと、うなじを見たくなった御用猫が、首筋をなぞる様に髪をかき上げた為、みつばちが微妙な悲鳴をあげる。
「あ、待って下さい、待って、やり直させて下さい、もっと色っぽい声が出せるのです、練習は欠かしていないのです」
「だから、男にそういうこと言うんじゃねーよ! 疑心暗鬼になるから」
「むぅぁ、っぐ、ひっぐ……」
ばたばた、と、縺れ合う二人が楽しそうにしているのを聞き、寂しくなったのか、それとも単に、焦らされ過ぎて耐えられなくなったのか、カンナは猿轡のまま、啜り泣きはじめたのだ。
「あぁ、ごめんな、悪かった、よしよし、今解いてやるからな」
転がされて泣き濡れるカンナを抱き起こし、頭を撫でながら、目隠しと猿轡を解いてやると、俯いたままのカンナが、小さく首を振りながら、何やら呟いていた。
「ん、どうした? 痛かったか? きつかったか、済まなかったな、調子に乗り過ぎた」
「いえ……縛られた、まま、も、ちょっと、好き……で、むぐっ」
無言でカンナを拘束し直す。
(みつばちのせいか、最近、カンナからも、駄目な匂いがしてきたな)
とりあえずは、もう暫く放置しようかと、御用猫は、再び杯を手に取るのだった。