魔剣 いとのこ 1
「……流石に、それを信じろ、というのは、無理なお話ですわ」
「なぁっ! 」
最早、珍しくもない光景であろうが、マルティエの亭を貸し切りに、御用猫達の帰還祝いが行われていた。
珍しいといえば、フィオーレが、サクラに対して、食べ物以外で反発しているのは、そうと言えるであろうか。
「こ、この子が、その証拠です、このくるぶしは、ぎ……くっ、森エルフの方から頂いた、帰らずの森にしか住まぬ、希少な白狼なのですよ! 」
ぐい、とフィオーレの鼻先に、くるぶしを抱えて突き出すのだが、なっふなっふ、と舌を出す、つきたての、白い丸餅の様な仔犬を見せられても、彼女は、何やら哀れみを含んだ眼差しを、親友に向ける他にはない。
オーフェン達に、随分と引きとめられ、御用猫達が帰らずの森から、懐かしのクロスロードへ帰還したのは、当初の予定を、一週間も過ぎた頃であったのだ。
田ノ上道場で待ち構えていた、ウォルレンとケインに、サクラは即座に連行されて行き、三日間、外出を許されぬ程の説教をされたらしい。
そして御用猫といえば、田ノ上道場にリチャードを残し、すぐさま王城へ向かったのだ。森の出口で待ち構えられるような事は無かったが、報告を怠れば、報復は、心臓に突き立てられる事になるだろう。
「ふぅん、事情は分かったわ……そうね、とりあえず、来年の祭事には、こちらの外交官も同席できるように、取り計らって頂戴」
百年前に和解したとはいえ、木材等の取り引き以外には、過度な接触を拒む森エルフなのである。貿易相手としても、戦力としても期待のできる彼等と、どうにか繋がりを強めたいというのは、クロスロードの、長年の懸案なのである。
「ジュート、貴方ならば、可能でしょう? ね、お願いよ」
近衛騎士団長の執務室に連れ込まれ、中から施錠した上で、絶世の美女に、上目遣いに頼み事をされるのだ、男子ならば、二つ返事に胸を叩くところであろうか。
もちろん、これ見よがしに、自慢の銀剣を磨きながら、でなければ、の話であるのだが。
「それは、無理だ、森エルフも、黒エルフも、個人間の友情を、何より重んじるのだ、そこに、政治的な思惑など絡めれば、この関係は泡と消えるだけだろう、そもそも、そんな不義理は俺が許さない」
しかし、珍しく、御用猫は、きっぱりと、アルタソマイダスに断りを入れる。
その目に、固い意志を認めたのだろう、彼女は、しかし、特に興味も無さげに、次善の提案を告げる。
「そ、なら、今から、名誉騎士、辛島ジュートは、森エルフとの親善特使に任命します、いえ、海エルフとも、繋がりがあったわね……うん、そういう事だから、よろしくね」
「ぐぅ、そんな権限が、お前に」
「あります」
御用猫は、反論を諦めた、確かに、彼女は実質的なクロスロードの国家元首、シャルロッテ王女に最も近しい存在だった、公私ともに信頼も厚く、筋の通った進言ならば、王女は迷いなく受け容れるであろう。
王宮に住まう権力者達にとっては、目の上の瘤であろうが、個人的な武力が高過ぎて脅しも効かぬ、もし、暗殺でも企もうものなら、必ず突き止められて、返り討ちにあうだろう、実際に、そうなった者は、一人二人ではないのだから。彼等にとって「剣姫」は、アドルパスと並び、厄介極まりない存在なのだ。
(くるぶしの事を黙認して貰った恩もある……少々、面倒だが、この仕事なら、そうそう働く事もあるまいか)
念の為、くるぶしは、チャムパグンの呪いで白く脱色してある、これは、密猟者の目を誤魔化すためであった。最も、田ノ上道場にまで忍び込む、愚か者は居ないであろうが。
かつて、隆盛を極めた田ノ上道場に、盗みを働こうとした泥棒は少なくなかったのだが、その全ては、すぐさま、屈強な弟子達に捕らえられ、翌日に、若い門下生の稽古相手にされるのだ。用が済んだならば、指の先まで折られた姿で市内に晒され、クロスロードの裏社会では「入るのも、出るのも芋虫ばかり」と恐れられていた。
御用猫は、アルタソマイダスに向け、しぶしぶ、といった表情を崩さずに了承する。しかし、これ以上の面倒は増やしたく無いのだ、草エルフや山エルフにも知己がある事は、隠しておかねばならぬだろう、と固く決意する。
そのまま、ひとりで彼女の家に立ち寄り、庭でゆっこの馬になるアドルパスに大笑いした後、ぼろぼろになった身体を、マルティエの亭で休めていたのだ。
何とか回復したところで、ようやく実家から解放されたサクラが、この宴会を催し、今は、御用猫の膝の上に跨り、両手両足で彼にしがみつく、黒雀の頭を撫でながら、いつもの様に騒ぐ、いつもの顔ぶれを眺めていたのだ。
真っ赤な目で、こちらを睨む、リリィアドーネから、目を逸らしながら。
「ゴヨウさん! フィオーレに何とか言ってやって下さい! さっきから、何度言っても信用しなくて! 」
「いえ、いくら何でも、サンダーバードに乗って空を飛んだだの、銀で出来た湖で滑って遊んだだの、天を突く世界樹だのと……ねぇ、少しばかり、誇張が過ぎるでしょう? 」
フィオーレの方は、何やら呆れた様子である。彼女はゴリラだが、政治家を目指すだけあって、考え方は実務的で、現実的なのである。
ちらり、と確認したが、もう一人の証人たるリチャードは、サクラの父、マイヨハルトの、いつ終わるとも知れぬ、長説教に捕まったままなのだ。
相変わらず、よく似た親子である、しかし、少年も慣れたもので、マイヨハルトに適度に相槌は打ちつつ、ビュレッフェやクロン達に、旅の土産話を聞かせていたのだ。
どうも、とりあえず、何か捲し立てていれば、満足する一族なのだろう、御用猫は、笑いながらも、飲み物片手にテーブルにやってきた、サクラとフィオーレに顔を向ける。
「そうだな、確かに、大袈裟かもな、サクラには、少しばかり、そういうところが、あるからなぁ」
「はあぁぁっ? 」
器用に、黒雀を避けながら、ばしばし、と御用猫の肩を叩くサクラを見て、リリィアドーネが、今日初めて、その口を開き、暗く、低い声を発する。
「……随分と、仲が、良いのだな」
ぴたり、と、動きを止めたサクラと御用猫は、目を合わせる、何事があったものか、彼女は、随分と機嫌が悪そうだ、別に、長旅で放置された事を怒っている訳では無さそうなのだが。
(分からないな、みつばちの奴は、手紙を書いていたはずなのだが)
そう思い、今日は黒雀とお揃いのワンピースに、クリーム色のジャケットを着込んだ、くノ一の方を見やる。
すると、途端に彼女は目を逸らし、すこすこ、と、音の出ぬ口笛を吹き鳴らすのだ。
「手紙は……読んだのだ、猫よ、お前が、まさか、サクラに手を出していたとは……私を、差し置いて……ひどい! ずるい! 」
ぴりっ、と、店内の音が止まる。あれ程に騒いでいたものが、見事な連携ではある。
「……ゴヨウ、さま? 」
フィオーレの視線が、一気に、鋭くなる。吐き出す言葉も、北嶺山脈の雪風の如しだ。
静かに立ち上がるのは、田ノ上老とマイヨハルトか。
これはいかぬ、と、狼狽える、何たる事か、あの駄忍者は、御用猫とサクラが、旅の間に、そういった関係を持ったなどと、リリィアドーネ宛の手紙にしたためた様なのだ。馬鹿な話であるが、なにやら微妙に心当たりもある彼は、平常心を保つ事が出来なかったのだ。
「 こ、こら、リリィ、根も葉もない事を言うんじゃ無いよ? あぁ、そうか、手紙だろう? あれはな、みつばちの悪戯なのさ、済まないが、代筆を頼んでいたのだよ、しかし、どうも彼女に、遊び心が出てしまったようなのだ、全く、困った奴だ、いつも迷惑しているのだよ、はは、なぁ、サクラ」
くりっ、と首を曲げた御用猫が見たものは、しかし、真っ赤に熟れて、ぼそぼそ、と呟きながらに、俯く少女の姿であったのだ。
「……あ、あれは、でも、仕方なかったと言うか、ゴヨウさんも寝惚けていたそうですし……そのつぎは、私の責任でもありますし、でも、上まで脱いでいた訳でもありませんし、恥ずかしくはないというか、けして、その……」
「黒雀、どいてくれ」
真顔で、少女の頭を撫でる御用猫であったが。
「無理、もう、出口、押さえられてる」
その口から出た言葉は、死刑の宣告であったのだ。
「先生、だらしない、痛い目みる、当然」
「うわぁ、辛辣だなぁ」
観念したように、目を閉じて、黒雀の頭を撫で続ける御用猫は思うのだ。とりあえず、リチャードに期待しよう、彼ならば、自分が死ぬ前に、誤解を解いてくれるはずだと。
そう、御用猫は、祖霊に祈りを捧げるのだ。




