腕くらべ 3
クロスロードの東町郊外、人の住処が、田畑と逆転する辺りに、その道場は存在する。
かつて「電光石火」と称された、アドルパスと並ぶ大英雄のひとり「石火」のヒョーエと呼ばれる剣の達人、田ノ上ヒョーエ。
御年五十五歳、白髪混じりの短い総髪に、一見優し気な目元。しかし、地味な着流しの下には、未だ衰えぬ筋肉の鎧をまとい、その性根は、地獄の鬼もかくやと苛烈極まりないのだ。
彼が主を務める、この田ノ上道場は、ここ最近まで、門弟が少年一人、という有様であったのだが。今では、青ドラゴン騎士をはじめ、一部の奇特な出稽古希望者で、久方ぶりの賑わいを見せていた。
しかし、夕餉の膳を前に、御用猫の耳を煩わせているのは、若き練習生達の、気合の掛け声などではなく。
「ゴヨウさん! さっきから、聞いているのですか、もぅっ、お酒は置いて下さい、飲み過ぎです! いつもいつも、お猪口を片手にだらけてばかりで、稽古にも腰を入れて下さい、そういえば、何だか、最近はリチャードにばかり目をかけている様子、どういう事ですか、私には教える事が無いのは分かりますが、たまには構って下さい」
ばしばし、と、御用猫の肩を叩きながら、啄木鳥の様に喋り続ける少女は、サクラ マイヨハルト。背中まで届く黒髪を馬尾にまとめ、矢絣に袴姿の小柄な少女。
まだ十三歳であるが、少し大人びた美しい顔は、なかなかに将来有望であろうと、御用猫は密かに考えている。
(口数が、半分、いや、そのまた半分くらいになれば、な)
今も彼に絡み続ける少女は、本来言いたかった事から、随分とかけ離れているであろう、御用猫の生活態度の悪さや、女性関係のだらしなさに、くどくど、と、文句をつけるのだ。
「わかった、分かったから、話を戻せ、何が言いたかったんだ? 」
あと、お代わり、と、深皿を手渡すと、文句を言いながらも、オラン風の海鮮鍋から、バランス良く具材をよそってくれる。
「ありがとおかん」
「誰がおか、もう良いです! それは良いのです、あれはどういう事かと聞いているのです! 」
聞かれてはいなかった筈だが、と、心中にて反論し、少女の指先を辿る。田ノ上道場の隣に建つ母屋の居間で、今現在、鍋を囲むのは五人。
道場主の田ノ上老に、師範代扱いの御用猫、内弟子であるサクラと、おそらく、クロスロード中を探しても、滅多にお目にかかれぬ程の金髪美少年、リチャード、そして。
「ティーナが、どうかしたのか? 」
今日の鍋料理の製作者は、オラン生まれの情報屋、ティーナであった。
小麦色の肌を惜しげも無く晒した、水着紛いの刺激的な服、赤味がかった金髪を後ろで括り、短くも尖った耳は、半エルフのそれである。
意外な事、と言えば失礼だろうか、彼女の手料理は、海鮮中心であるものの、中々に手が込んでおり、味に煩い御用猫と田ノ上老の舌を、充分に満足させるものであったのだ。
「どうも、こうも、ありません! 」
ばしばし、と、畳を叩きながら、いや、埃が立つと気付いたのか、手を止めて、御用猫の肩を代わりにする。
(相変わらず、生真面目というか、面倒くさい奴だ)
御用猫は、サクラの小さな身体を引き寄せると、持ち上げて膝に乗せる。
「よし、聞いてやるから、お兄ちゃんに話してみろ」
「なぁっ!?」
真っ赤になって、じたばた、と暴れ始めたサクラと御用猫に、とうとう田ノ上老からの雷が落ちたのだ。
「んで、何だって? 」
くい、と、猪口の中身を呷り、すぐさま、鯛の身を口に放り込む。皿の中には、まだ大きな背骨が残っていた、いささか、不作法ではあろうが、これにがぶりと食い付き、骨の間に残る身を啜るのが、御用猫の楽しみなのだ。
「はれんち、です」
先程、田ノ上に怒鳴られたのが堪えているのか、珍しく、しゅん、とした様子で、サクラが呟く。ティーナの方を指し示す指も、力無くへたれているようだ。
しばし、御用猫は考える。ゆっこの騒動以来、ティーナが、道場に居着いてしまっているのは知っていた、サクラも初対面では無いし、彼女の、少々過激な服装についても、充分に承知していた筈なのだが。
首を傾げる御用猫に、リチャードが擦り寄ってくると、そっと耳に手をあて、小さく囁く。おそらく、そこらの婦女子であれば、それだけで腰を抜かすか、もしくは獣性に心を支配されるであろう。
元々、貧乏騎士の息子であった彼は、危うく陰間として売られる寸前に、御用猫に助けられたという過去がある。
騎士として身を立て、独り立ち出来るようにと、田ノ上老に頼み込んで弟子に取らせたのだが、それ以来、若先生、若先生と慕ってくるこの少年を、御用猫は、弟のように可愛がっているのだ。
「若先生、多分、これは、やきもち、でしょう」
少し口元を緩めたリチャードは楽しげに告げ口する。
ああ、成る程な、と、御用猫は納得した。典型的オラン女であるティーナは、他人との距離感が近い、今も田ノ上老にしなだれ掛かる程のひっ付き具合で、酌をしながら、楽しそうに話し込んでいるのだ。
それが、サクラには面白く無いのだろう。
(全く、普段は余計な事まで、べらべらと喋る癖に、こういう時は素直になれぬのか、仕方の無い奴め)
何か可笑しくなった御用猫は、くっくっ、と、笑うのだ、これは、お兄ちゃんとして、一肌脱いでやるべきであろう。
「おーい、ティーナよ、サクラが嫉妬してるから、そろそろ隣を譲ってやれよ」
「ふあぁっ! はぁーっ!?」
突然飛び込んできたサクラに押し倒され、片手で塞がれた口の上から、ばしばし、と叩かれる。
「あいた、何だやる気か、いいだろう、お望み通り稽古をつけてやる!」
膳も下げずに転がり回る二人に、再び雷が落ちるのは、もうわずか、先のことであった。