銀盤踝 3
「何ですかそれ、私は聞いていません、ずるいです、何故リチャードだけを誘うのですか、おかしいでしょう、次にエルフの森に行くなら、私も行きたいと、以前にも言ったはずです、何故誘ってくれないのですか、もっと甘やかしてください、行きましょう、行きますとも、行きますからね」
耳の穴に指を入れ、御用猫は顔を顰める、こうしておかねば、この啄木鳥娘は、鼓膜に穴でも空けてしまいかねないのだ。
「まぁ、それは、良いけどよ、お前、学校とか、どうすんだよ」
すっかりと、田ノ上道場に住み着いた感のあるサクラであったが、未だに、貴族学校には籍を置いているのだ。実家に帰るついでに、定期的に登校もしているらしい。
クロスロードの教育は、先進的であり、その識字率は、実に七割を超える。残りの三割弱の内、一割が他国からの移民だというのだから、これは驚異的な数字であった。
もっとも、それは王都クロスロードでの事であり、国家としてみたクロスロードの識字率は、おおよそ半々、といったところであろうか。
それでも、他国の識字率が三割に満たない事を考えれば、クロスロードの栄華繁栄の程が理解できるであろう。
庶民であれば、引退した騎士や文官の開く私塾に通い、商業、工業に携わる者であれば、それぞれの組合が、一般教養や技能を指導する学校を建てていた。
そして、貴族や、一部の裕福層は「貴族学校」と呼ばれる、国営の教育施設に通うのだ。
もちろん、大貴族ともなれば、子供には家庭教師をつけ、充分な作法教養を身に付けさせるのだが、この貴族学校は、将来を見据えた「繋がり」を作る場としての側面が大きく、小さな頃から通わせて、名を売り、顔を売り、腹芸を覚えて、仮想の権力闘争にて序列をつけたりもする。
「お父様の顔を立てて、在籍しているだけです、成人までは通うつもりですが、そもそも、文武において、もう、あそこで教わる事は、何もありません」
薄い胸を突き出し、ふんこふんこ、と鼻息を荒げるサクラである。
リチャードも、以前は、親の見栄から、貴族学校に通っていたのだが、それが家計を圧迫し、彼が売られる遠因にもなっていた為、彼自身は、あまり学校に良い印象は無いのであった。
「まぁ、それなら、良いが、長い事連れ出すと、あの親父さん、煩いだろうからなぁ」
「あの、若先生、できれば、サクラも連れて行ってあげてください」
リチャード少年の、意外な援護に、サクラは一度、驚いた顔を見せた後、真っ赤になって下を向く。
仕方ありませんね、だの、そんなに一緒に居たいのですか、だの、畳べりを指でなぞりながら、何やら呟き続けている。
しかし、当のリチャード少年は、さして気にした様子もなく、御用猫の耳に、その桜色の唇を寄せ、こっそりと囁くのだ。
「たまには、おふたり、気兼ね無しで、ゆっくりして頂こうかと」
顔を離すと、どこか悪戯な笑顔の少年は、視線を向けるのだ。屋外稽古場に檄を飛ばしながら、どっしりと、縁側に座る田ノ上老に。
そして、その後ろ、あまり似合わぬ小袖姿にて控えるのは。
「あぁ、ティーナか……ん? リチャード、お前、いつから気付いてた」
「……失礼ながら、その……お手付きになられた日には、なんとなく」
恐ろしく鋭い少年である、未だ、そんな事とは、つゆとも知らぬであろう、サクラとは大違いなのだ。
ふと、御用猫は思い当たるのだ。何とは無しに、自らの肘の裏の匂いを嗅ぐ。まさか、匂いで判別している訳でもあるまいが。
「ひょっとして、俺のも、分かったりするのか?」
「……知りません」
ぷい、と、視線を逸らし、そのまま、少年は、逃げるように立ち上がる。
「ほら、サクラも支度して、マイヨハルト様への伝言も、誰かに頼まないと」
「なぁ、リチャードよ、ほんとに分かったりすんの? それ、ちょっと、嫌なんだけど」
なぁなぁ、と、しつこく縋る御用猫に、リチャード少年は、珍しく、少し怒ったような顔で。
「知りませんったら、若先生も、みつばちさんに連絡と、代筆を頼まないと」
「あぁ……ん? いや、代筆ってなんだ? 」
本当に、全く、訳の分からない様子である御用猫に、リチャード少年は。
いっそのこと、黙っておこうかと、帰ってから、リリィアドーネ様に、きつく絞られれば、自分も、胸がすくのではないかと、僅かに思いもしたのだが。
まったくもう、と、ため息を吐き。
この、だらしなくも、敬慕する恩人に、にっこり、と、花のような笑顔を見せたのだった。




