腕くらべ 2
「それで、本当は何しに来たんですかね? 」
ひょっとして、形が変わっているのではなかろうかと、自らの頭をさすりながら、御用猫は尋ねるのだ。
「おぅ、それがな、ちょいと、貴様に頼みがあるのだ」
まるで悪びれた様子も無く、一息に、ぐい呑みを空けると、アドルパスは本題に入る。
どうにも、この大英雄様は、冗談なのか本気なのか、判別のつかないところがあるのだ。真面目に過ぎる性格のせいだろうか、彼との稽古の度に、命の危機を覚える御用猫としては、実に、困りもの、なのである。
「手合い、ですか? 」
御用猫は首を傾げた。彼の持ち込んだ頼み事とは、とある騎士との手合いであったのだ。
しかし、試合の相手ならば、騎士の中から選べば良い話、テンプル騎士団団長のアドルパスならば、それこそ選び放題であろう。
そのように、御用猫は訊き返す、当然の返事だったのだが、アドルパスは、太い眉の根元を、ぐいっ、と、寄せ、珍しくも困り顔であるのだ。
「それは、まぁ、そうなんだが、今回は、相手が悪い、お前「三スター」を知っているか? 」
聞いた事は、ある、最近は志能便どもからの報告のせいで、無駄に情報通な御用猫なのだ。
クロスロードの北町を守護する、真武黒タイガー水神騎士団、その最高峰に位置する、実力派の騎士、それが「三スター」と呼ばれる三人であった。他団の騎士と違い、呪いの腕も相当なもので、実戦ならば最強ではないか、との評もある。
(よそ様の最強騎士が相手となれば、アドルパスの部下が、勝っても負けても、穏やかには、おさまらぬ、か)
心中で納得した御用猫は、食事を終えて以降、ちらちら、と、こちらに視線を送る、ゆっこを膝の上に呼び寄せる。
同席するのは久し振りであったが、彼女は、御用猫の言いつけを、きちんと覚えていたようだ。横座りに飛び乗ったゆっこの頭を撫でながら、アドルパスに視線を戻す。
「何となく、話は飲み込めたんですがね、どうして、そんな面倒事を引き受けたんですか? 」
豪快な見た目に反して心配性で、お節介焼きのアドルパスではあるが、貴族的な権力闘争や、騎士団同士の示威行為には、興味の無い男であった筈なのだが。
「……こないだの事で、あちこちに、色々と、いらぬ借りを作ったからな」
「ぐぅ、それは、はい」
痛い所を突かれてしまったと、御用猫は言葉を詰まらせる。以前、黒江達の事で尻拭いをしたアドルパスであったが、今回も、ゆっこを手元に置く為に、随分と無理をしてくれたのだろう。
御用猫の知らぬ所で、この男が勝手に進めた話だとはいえ、ゆっこの事については、感謝してもしきれないのだ。おそらくは、何処ぞの貴族に無理難題を、嫌みたらしく押し付けられたのだろうアドルパスに、協力を求められれば、断る訳にもいかぬのだ。
「分かりました、んで、その相手とは、何星さんですかね? 」
「おう、やってくれるか、相手はな「からすき」のダラーン バラーン伯爵だ、なに、大した奴では無い、敗けろとも言わん、適当に相手してやってくれ」
御用猫は、膝の上のゆっこを、一度隣に降ろすと、酒器を端に寄せてから、ばん、とテーブルを叩いた。
「ふざけんな、この熊親父! お貴族様じゃねーか! 怪我でもさせたらどうすんだよ! 」
「手合いに怪我はつきものだろう、何を言ってやがる」
「うわー、良く分かった、多分、あんた、お城でもそんな感じなんだろ、だから、はい、すんません、問題ありません、頑張ります」
万力の如き熊手に頭を掴まれ、すとん、と腰を下ろした御用猫は、こめかみを揉み解しながら、そこに居るであろう、くノ一に声をかける。
「みつばちー、ちょっとこい」
厨房のあたりから、ひゃん、とマルティエの声が上がる、意外に可愛らしい悲鳴だった、悪く無い。
「んん、んぐ、おはようから、おやすみまで、貴方に捧げる、愛しのみつばちでございます」
御用猫の首に腕を回し、耳元で囁く女からは、ぷん、と、醤油の香りが漂ってくる、どうやら、隠形の術で厨房に忍び込み、摘み食いでもしていたのだろう。
この、何とも駄目な匂いのする女忍者は、いつの間にか、御用猫の情報屋として働く事になった者で、面倒な女ではあるのだが、仕事自体は、そこそこ、に、こなしてくれるのだ。
艶のある黒髪は後頭部で丸く纏め、白いうなじを露わにしている、切れ長の目と、忍び装束に包まれた細長い肢体の彼女を見れば、何か、鋭い刃物のような印象を受けるだろう。
「ダラーン伯爵とやらを調べておいてくれ、何か交渉材料があれば御の字だ、あと、おかあさまが怖いから、けして、城の周りをうろつくんじゃないぞ」
「……先生、おかあさま、で思い出したのですが、ゆっこちゃんの事です」
首に巻いた手を離し、みつばちは姿勢を正すと、御用猫に真面目な顔を向ける。
「なんだ、何かあったのか? 」
ゆっこ関連であれば、キケロ伯爵の事であろうか、これ程に揉めたのだ、恨みに思い、おかしな真似、を、しないとも限らないのだ。考える事は同じであったか、アドルパスも目を窄めて身構えた。
「いえ、ゆっこちゃんには、妹か弟が産まれる予定だと、伝えておりますので、早めに仕込んで頂きたいな、と」
御用猫が、くい、と、顎をやると、無言で立ち上がったアドルパスの、熊の様に無骨な手が、みつばちを摘んで店外に放り出した。
「……お前もまだ若い、遊ぶな、とは言わんが、相手は、良く選ぶ事だぞ? 」
何やら、見につまされる事でもあるのだろうか、アドルパスが遠くを見つめた。
「おとさん、私、弟が欲しいです!」
あ、妹もいいかも、と悩み始めたゆっこを撫でながら。
間違いなく面倒で、逃げ道もないであろう、今回の仕事に、御用猫は。
(あれ、これは、絶対に損だろう、アドルパスに騙されてるんじゃ無いのか、俺は)
などと、考え始めていたのだ。