無情剣 面の皮 10
そのまま、昼過ぎまで眠りについた御用猫は、胸の辺りに感じる生温さに目を覚ました。
ぬるぬる、と、なめくじでも這い回るような感触に眉を顰めるのだ。
大方の予想はついている、例の卑しいエルフが、ただ飯にありつけると耳にすれば、何を置いても駆け付けるであろう、そうして卑しくも、腹が減ったと催促する為に、御用猫の身体にかぶり付くのだ。
(一度、此奴めには、きちんと分からせる必要があるな)
全身脱力の状態から、一瞬にして跳ね起きる、そう出来るように、幼少の頃から、仕込まれているのだ。御用猫は、未だ薄手の羽毛布団に、その華奢な少女を丸め込む。
布団の奥から、くぐもった悲鳴が聞こえてきたが、それは無視して押さえつけ、長襦袢を捲り上げると、ぺろりと現れた、その骨ばった尻に、平手打ちを何度もお見舞いするのだ。
「全く、卑しいやつめ、これは仕置きだ、これでもか、これでもか」
正直、跳ね起きた瞬間には、御用猫も理解していたのだが、それならそれで、教育であろうと、特に内容を変える事もなく、カンナの細い尻を叩き続けた。
ぱしーんぱしーん、と、景気の良い音を聞きつけた、という訳でも無いのだろうが、襖を開けて、みつばちが現れる。
「おはようございます、寝起きに麗しく、貴方のみつばち、参上にございます」
「おう、おはよう、黒雀は、何か言ってたか? 」
すっかり大人しくなった、カンナの尻を撫でながら、御用猫は、こきこき、と首を鳴らす。
「嫁さんに泣きすがって、餓鬼が失せたら、直ぐに布団に潜って、あんあんやってた、まったく情けない野郎だ、ちょん切ってやろうかと思ったぜ……との事です」
「意訳に過ぎる……ん、まさか、あいつ、普段はそんななの? 」
丸めた布団から、カンナの頭を掘り出して撫でてやる、ふと見れば、彼女は、何やら、うっとりとした、恍惚の表情ではないか。
これ以上、新しい扉を開くのも問題あるだろう。御用猫は、カンナの扱いには注意しようと心に留め、夜に戻ってくるからと、いのやを後にする。
特に、あてがある訳でもないのだ、景色を眺めるでもなく、ただ、ぶらぶらと、街中を、川沿いを歩いてみたりするのは、野良猫の習性なのだろう。
なので、その少年を見付けたのは、まったくの偶然であり、御用猫自身、その奇縁に、こめかみを揉みほぐすのだ。
串肉の屋台で、店主に掴みかからんばかりの勢いで暴言を浴びせるのは、タタンダッタとか言う賞金稼ぎ。
なんの揉め事か、売り言葉に買い言葉、徐々に熱くなった少年は、遂に腰の脇差に手をかけた。
「それはやめとけ、餓鬼の首は、まだ刎ねたくない」
賞金も安かろうしな、と、御用猫の言葉に、気が逸れてしまったのか、野良犬少年は、頭を掻きながら背を向ける。
「待てよ、腹が減ってるから、そんな気が立つんだろ、俺もまだ食って無いんだ、付き合えよ」
屋台に金貨を投げ、頃合いの串を全て抜き取ると、半分ほどを少年に手渡す。
「なに、奢ってくれんの? いやー、流石は、御用猫の先生だね、尊敬しちゃうぜ」
ひったくるように串を奪うと、貪るように齧り付く、なるほど、これは野良犬だと、御用猫は納得しながら、自らも、豚の生姜焼きに似た味付けの肉を、歯で串から引き抜いた。
(ん、これは、当たりだな)
その場の勢いで買っただけだが、なかなかに、良い買い物だったようだ。
「呆れた餓鬼だな、奢って貰ったら、ありがとう、だろ? 」
「野良犬に、礼儀はいらねんだよ、かっこつけんな」
それで腹が膨れるか、と、文句を言いながら、あっという間に、串肉を平らげた少年は、ぺろり、と、指を舐めながら、最後の竹串を、背後に放り投げる。
「あの親父、命拾いしたな、餓鬼だと思って、足元みやがって」
タタンダッタは、一見して、浮浪者のようにも見えるだろう、おそらく、金を持っていないからと、売るのを断られたのだ、御用猫はそう思ったのだが。
「串肉一本、三百だぜ? ありえねーだろ、俺様からぼったくろうなんざ、百年はえっての」
御用猫は、思わず頭を抱えた、確かに、屋台としては、少し高めの金額設定かも知れぬ、しかし、御用猫が実際に食べてみた感想は、実に良心的な価格としか言えぬ、上質な肉であったのだ。
「馬鹿か、お前は、あれは良い肉使ってるからだろ、そもそも、でっかく値段書いてたじゃねぇか」
「は? 知るかよ、文字なんか読めねーよ、気取ってんじゃねーぞ、野良猫野郎が」
これは、なかなかに酷い餓鬼だと、御用猫は、目の間を揉みほぐす。いっその事、このまま引き摺って、田ノ上老に矯正を頼もうか、あの地獄を味わえば、現世が如何に安穏平和であるか、身に染みるであろう。
「なぁ、野良犬小僧よ、悪い事は言わない、今からでも、真面目に働きな、仕事が無いなら、紹介してやってもいいぞ」
タタンダッタは、その生意気そうな目を、ぐいっ、と、曲げて、歯を剥き出した。これは、おそらく、笑ったのだろう。
「きゃきゃ、馬鹿じゃね、まず、お前が働けよ、真面目にって、それで儲かんのかよ、あたま、わるいんじゃねーのかよ」
にやにや、と、馬鹿にされた物言いだが、御用猫には、反論が出来なかった。
確かに、賞金稼ぎとして生活する自分が、目の前の少年に、足を洗えなどと。
(参ったな、確かに、どの口が言うのやら)
御用猫は、幼い頃から、これしか、してこなかった。なので、気付いたら、後戻りの出来ぬところまで、きてしまっていたのだ。
この少年も、おそらくは、そうなのだろう。
(ひょっとすると、昔の自分は、周りから、こう、見えていたのか)
何となく、言いようのない虚しさに心を囚われ、御用猫は、少年に背を向けた。
「ひとつだけ、素人には、手を出すなよ……野良犬は、隅っこで生きるもんだからな」
背後から、笑い声がおきていたが、御用猫の耳には届かなかった。散歩がてら、チャムパグンを探そうとおもったのだが、これは失敗であったと。
しょんぼり、と肩を落として歩くのだ。
「せ、先生ぇー、なんすか、その顔は、今日はたらふく食べて良いと聞いたんですよ、今更なしは無しなんでごぜーますよ? 」
突然に現れ、ぐえーぐえー、と、家鴨のように濁声で鳴いて纏わり付く、卑しいエルフを、米俵のように、肩に担ぎ上げ、御用猫は、カンナとは違う、もちもちとした尻肉を揉みしだく。
「おおぅ、なんすか、最近、身の危険を感じるレベルで、弄られてる気がしますが、よござんす、飯の為なら、あっしがデザートになりやしょうとも、ワハハ」
調子に乗るな、と、頭の上で小エルフを振り回す御用猫は、往来する人々の注目を集めていた。
赤い薄瓦の屋根の上から、その様子を、じっと眺めるみつばちは。
(女扱いされぬのよりは、まだ、まし、だと、信じたいところですが)
「きもい」
串肉を頬張る黒雀のささやかな胸を、揉みしだきながら、そんな考えに浸っていたのだった。




