無情剣 面の皮 3
御用猫は、すこぶる機嫌が悪かった。
彼は、本来ならば、百万以下の木っ端首は狙わぬ男であったのだが、その男は、つい先日、北町の賭場で、諍いから人を殺めたとして、百五十万に値上がりしたばかりであったのだ。
カンナを相手に、いのやへ泊まったその帰り、賞金の受け取りついでに、組合の受付から噂話を聞いた御用猫は、たまたま、その男の手配書を目にしており、たまたま、出くわしたその首を、半ば反射的に追い掛けたのだった。
賞金首「岩飛び」ギンタ。
オランで生まれたという、この、けちな盗人は、枕探しをしながらクロスロードにやってきた、いわゆる護摩の灰、というやつで、岩礁を飛び回って培ったという身の軽さが有名であると、待ち時間に組合で、なんとは無しに、聞いていたのを思い出した。
御用猫とて、脚には自信があったのだが、この「岩飛び」は、確かに、二つ名に恥じぬ、うごき、を見せたのだ。
樋を伝って屋根へ登り、僅かなレンガの凹凸に指をかけ、布庇を足場に跳ね回り、飛び回る。
随分と余裕があったのか、時折背後を振り返っては、御用猫を挑発しさえしたのだ。
それでもしつこく追い回し、この猿の如き盗人から、余裕の笑みが消えた頃、ついに、路地裏の袋小路に追い詰めたと思ったのだが、なんとギンタは、石壁すら、道具無しに、よじ登り始める。
(こいつ、逃がすかよ)
追い掛けてきたのが、御用猫であったのが運の尽き、彼の投擲した脇差しが、やもりのように壁に張り付く、盗人の尻に命中すると思われた瞬間。
きんっ、と、硬い音を残し、二つの脇差しが宙に舞った。
壁を越えたギンタは、端折った着物の尻を捲って叩くと、笑いながら向こう側へと消えていったのだ。
「くそっ! 誰だ、邪魔しやがったのは! 」
いまさら追えぬと、御用猫は振り返る、今は、ひとの獲物に、横合いから脇差しを投げた、不作法者に、文句のひとつも言わねば、収まりが付かないのだ。
「それは、こっちの台詞だぜ、あいつは、この俺様が、三日も追っかけてたんだからな」
なんと、おかしな理屈で反論してきたものだ、あぁん、と、御用猫は眉根を寄せて威嚇する。いや、しようとしたのだが、目の前に立っていたのは、まだ若い、成人前だろう少年だったのだ。
この時期だというのに、からし色をした、七分袖のジャケットに、揃いの短ズボン、赤みの強い短い茶髪に、なんとも、生意気そうな目をした少年。
御用猫は、大きく、溜め息を吐く。
「あのな、坊主よ」
「坊主じゃねーよ、おっさん、この、俺様の事を知らないのか? 」
脇差しを拾うと、御用猫は、くるり、と、向きを変え、歩き始める。
粋がった小僧の相手などしていられないのだ、逃げたギンタを追わねばならない。
「おい! 」
賞金稼ぎの御用猫は、仕事に、しくじり、が、無いのが評判なのだ。
「まてよ、おっさん」
蛇の様にしつこく追い回すと、賞金首連中に恐れられてはいるが、しかし、それは、野良猫の矜持、というだけでは無く。
「ちょっと、ねぇ、聞いてよ」
手負いの獣は、必ず、傷を負わせた者が、その責任において、仕留めなければならないのだ。
「なんだい、ばーかばーか」
逃した時は、けちな悪党でも、一度命を狙われれば、身を潜め、巧妙に、慎重に仕事をこなす様になるだろう、それは、経験なのだ。経験を積めば手強くなるだろう、悪人が、悪事を重ねて、手のつけられぬ悪魔に成長してしまえば、それは、最初に取り逃がした者の。
(……責任、か)
これも、数少ない、父からの教えである。
だから、御用猫は、狙った獲物を逃さない、野良猫は、ひとたび匂いを覚えたならば、地獄の淵まで追いかけるのだ。
苛々と、乱れる心を無理矢理に落ち着ける、あの程度の首に、金をかけるのは勿体無いが、みつばち達に探させるしか無いだろう。
通りの真ん中で立ち止まり、一度だけ、空を見上げて深呼吸すると、御用猫は、カツオでも食べて機嫌を直そうと、マルティエの亭に戻るのだ。
「……そうか、今日は、厄日だったか」
御用猫が、余りにも、しょんぼり、と項垂れるものだから、マルティエは、お盆を片手に、ついつい、その頭を撫でてしまっていた。
「御免なさいね、先生、トウタのね、お父さんが帰って来たんだって」
そうか、そいつを斬れば、カツオが手に入るのだな、と、御用猫は脳内で人斬りと化す。
「元気出して、ね、今日は美味しいもの、こさえてあげるから」
マルティエに、そう言われてしまえば、もう、逆らう訳にはいかないだろう。先ほどから、テーブルの上で、殺せ殺せ、と大の字に寝そべる、卑しいエルフとは違うのだ。
「まぁ、それなら仕方ないか、母親も病気なんだっけ? 一安心と、なれば良いがな」
「……うん、それが、ね、トウタのお父さんも、ちょっと、お金の遣い方とか、荒い人だから」
他人の家庭の事だからか、それとも他に理由があるのか、実に言いにくそうに、マルティエが口ごもる。
「まぁ、それこそ、他人には、どうこう出来る問題じゃないだろう」
御用猫は、テーブルから卑しいエルフを転がしてどけると、いつもの定位置に、腰を下ろす、マルティエは浮かぬ顔だ。
「とはいえ、カツオを食うためなら、仕方ない、助けてやらんことも無いぞ……何かあったら、言ってくれ」
とりあえず、腹が減った、と、御用猫が笑ってみせると、彼女はいつも通りの、人好きのする笑顔を返すのだ。
「うーん、じゃあ、早速、困った事があるんだけど」
「なんだよ、いつから、そんなせっかちな女になったんだ? 」
厨房へと伸びる、マルティエの視線を追うと、ちょうどミザリが、何やら大皿を抱えて出てくるところであった。
がたん、と、立ち上がる御用猫を、マルティエが、肩を押さえて座らせる、毎日の仕事のせいか、意外に力が強い。
「いや、実はな、来る途中で買い食いしたのを思い出した、そう、満腹だったよ、うっかりさんめ、なぁ、チャム? おい、チャム、どこ行った、あの腐れエルフ! 」
じたばたと、暴れる御用猫が、大人しくなったのは、リリィアドーネが作り置きしていった料理を口にした瞬間であった。
昨日のよりは、まだ食えた。




