腕くらべ 13
クロスロードには、二つの王城がある。並び建つ大小の城は、国家の歴史と、文化の深さ、そして強大な国力を象徴するかのように、聳えているのだ。
小さな古城の方は「シャイニングロード」まだ、この国が都市国家であった頃に築城されたものであり、建築様式も派手さの無いゴチックなもので、現在は戴冠式など、重要な儀式、会議などにしか使用されておらず、上級貴族以外には、立ち入る事も許されない。王宮内で「聖域」と言えば、このシャイニングロードの事を指す。
その旧城を囲うように敷設された堀に沿って、弓形に建てられているのが、大陸でも、最も美しい城の一つと言われる「蒼天号」である。森エルフから移譲された奥森の木々と、外堀に囲まれた白い巨塔の数々は、まさしく天を突くようであり、国外からの使節団は、噂に違わぬその威容に必ず足を止め、口を開けて見上げるのだ。その為、蒼天号の正門は「雛門」などと呼ばれている。
今まさに、巨城を見上げ餌をねだる金髪の雛鳥は、隣を歩く黒髪の少女に尻を叩かれ、思い出したかのように、一歩、足を踏み出した。
「全く、しゃんとして下さい、リチャードも騎士となれば、ここで叙任式があるのですよ」
「そ、そうだね、でも、大先生、本当に僕まで付いてきても、よろしかったので? 」
落ち着き無く左右を見渡すリチャード少年は、心の安定を求めて、田ノ上老に視線を固定する事にしたようだ。
「なに、心配は要らぬ、フィオーレ様がの、ちゃあんと、手配してくれておるでの」
はぁ、と、心の込もらぬ返事を返すリチャードに、サクラは胸を張って見せる。
「仕方ありませんね、今日は、私が案内してあげますから、離れないように付いてきて下さい、その代わり、ちゃんと、仕事はするのですよ」
「そうだね、頼りにしているよ、サクラ」
ぐぅっ、と、顔を赤らめて下を向いた少女に気付かず、少年は胸の前で拳を握る。
(若先生、お気を付けて)
無手での戦闘も、多少は、ましになっているのだ、いざとなれば、足手まといにならぬ程度には、戦えるはずである、と。
少年の気負いを感じたのか、田ノ上老は、ぽん、と、頭に手を乗せ、再び止まったその歩みを再開させたのだ。
屋内の中央闘技場には、既に多くの観客が集まっている。無理もないだろうか「三スター」の一人「からすき」のダラーン バラーン伯爵と、テンプル騎士「串刺し王女」のリリィアドーネ グラムハスルが、結婚をかけて勝負するというのだから。
リリィアドーネは、その美しさもさることながら、バステマ公と並び、次代のクロスロードを背負って立つ事になるであろう、モンテルローザ侯爵の姪でもある。
彼女との婚姻は、政治的に大きな魅力を持っていたのだが、何分にも、リリィアドーネの気性の強さと、家に入れるには惜しい剣の腕、何より、本人に、全くその気が無い事が問題であったのだ。
モンテルローザ侯爵は、今は亡き姉である、リリィアドーネの母を溺愛していた。日を増すごとに、愛する姉に似てくる彼女を、安心して任せられる男の元に嫁がせなければ。
(義兄はともかく、姉上に、顔向け出来ぬ)
しかし、彼女はどれほどの好条件を提示しても、首を縦に振らぬのだった、このままでは、アルタソマイダスのように行かず後家、などという事にもなりかねない。
そんな折、彼女に求婚してきたのが、ダラーン伯爵であった。
家格に問題は無く、剣の腕も、リリィアドーネに決して劣らぬであろう、以前に彼女が課した条件を思い出し、モンテルローザ侯爵は、この試合を強引に取りまとめたのだ。王女の前で敗れれば、近衛騎士たる彼女は、言い訳も効かぬであろう。
観客席から、リリィアドーネを見つめるモンテルローザ侯爵は、満足そうに頷いた。女は家に入り、子を成し、夫を支えるのが一番の幸せなのだと、そう信じているのだ。
だから、気付かない、彼女の、リリィアドーネの目に精気が無く、悲痛な表情を浮かべている事にすら。
いや、気付いてはいるのか、しかし、それは子供の我儘であると断じ、いずれは、必ず、今日の事を感謝してくれるだろうと、信じ込んでいる。
そこには、全く悪意は無いのだ、彼は、可愛い姪の幸せを願い、その為に行動していたのだから。
技場内に、アドルパスが現れた。
決闘者二人の間に進み、彼が手を挙げると、波が引くように、場内に静粛が訪れる。
貴賓席に、二人の王女と、アルタソマイダスが到着したのだ。
決闘者は正闘の誓いを立て、王女達に、深々と頭を下げる。
つつがなく、式は進行していた、問題は無かった。
問題があったのは、観客席に潜り込んだサクラだった、そわそわと落ち着き無く、拳を握り、爪を噛み始める。
(あぁ、ゴヨウさん、何をしているのですか、このままでは、試合が始まってしまいます、二人が決闘の内容を剣に誓えば、もう止められないのですよ)
いっその事、ここで自分が叫んでしまえば、とりあえずの時間が稼げるのでは無いか、サクラは、本気でそう考え始めたのだが。
「サクラ、大丈夫、若先生を信じて」
そっと、リチャード少年の手が、彼女の膝の上で握った手に重ねられた。意外に、大きい手だと、サクラは初めて気付く。
何となく、安心感を覚える手だと、思った。
闘技場には、アドルパスの声が響く、そろそろ、最後の確認になるだろう。
「ならば、決闘の条件を確認する、呪いは、相手に直接影響を及ぼさぬもののみ、使用を認める、急所狙いと組み打ちは控えるように……リリィアドーネ グラムハスルは、勝負に負けた場合、ダラーン バラーンの求婚を受け入れること、以上、双方、異議は無いか、異議が無ければ、その剣に誓いを立てよ」
「我が名、ダラーンバラーン、この名にかけて、剣に誓う」
ダラーンの顔は、少し引きつっていた、笑いを堪えているのだろう、これほどに上手くいくとは、思ってもみなかったのかも知れぬ。
ダラーンは、気を緩めれば、にやにや、と笑いそうになるのを、必死に堪える。目の前にある、この美しい少女は、今夜にも我が物となるのだ、国中の男達から羨望を集め、モンテルローザ侯爵とも、深い繋がりが出来るだろう、出世は、間違いないのだ。
(おっと、まだだ、まだ笑うな)
歯ぎしりするように、口元を引き締める、端からは、気合を入れたとしか思われまい。
アドルパスに睨まれたリリィアドーネが、ゆるゆる、と、木剣を持ち上げた。胸の前で垂直に立てるのだが、どうも、その後の言葉が続かない。
「騎士グラムハスル、誓いの言葉を」
アドルパスが促す、表情は固い。
「グラムハスル、異議の申し立てがあるのか」
「……いえ、私は……私は」
ふと、技場内がどよめいた、何かが聞こえたような気がした。
そして、彼女は、迷うのだ。この迷いは、昨夜に、確かに断ってきたはずなのだ、なのに、再び彼女の脳内をかき混ぜ、言葉を遮る。
(これは……またも、私の弱さだ、なんて、情けないこと、この後に及んで……あのひとの、声が、こえが、聞こえて)
「認めないと、言っているのだ! 」
がば、と、彼女は顔を起こす。幻聴では、無かった。
「……あぁ、嘘、なんで、なんで」
リリィアドーネの双眸からは、大粒の涙が溢れ始めていた、これは、止められるようなものではないのだ。
「助けに来たぞ、リリィ、あとは任せておけ」
右手で彼女の頭を撫でると、そのまま木剣を奪い取り、目を白黒させるダラーン バラーンに、言葉を添えて突きつけた。
「知ってるか? 横惚れ野郎、猫に蹴られりゃ、馬より痛いぞ」