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続・御用猫  作者: 露瀬
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花吹雪 20

「イスミちゃん! 早く乗って! 」


 狼狽える彼女を、強引に馬車に押し込むと、クラリッサは自らも中に乗り込んだ。四頭立ての四輪馬車は、公爵家の物としては地味な造りであったが、これは目立たぬように配慮したものだろう。


「よし、馬車をだせ、一度南町経由で乗り換えるぞ」


 元テンプル騎士の護衛頭ステバンは、金髪の偉丈夫である。彼も素早く馬車に乗り込むと、その太く尖った眉を吊り上げ、鍛え上げられた腕を胸の前で交差する。


 がらがら、と、すっかり日の落ちたクロスロードの街路を、馬車は疾走するのだ。しばし後ろを眺めていたクラリッサは、ひとつ溜め息を吐くと、ようやくに落ち着いたものか、座席に座り直して胸を撫で下ろす。


「……ファングさん、大丈夫かな、チャーリーも……」


 俯いたままのイスミが、小さく零す。膝の上で両の拳を握り締め、顔面も蒼白であるのだ。


「ファングさんなら、きっと大丈夫だよ、それは間違い無いから、安心して」


 にっこり、と笑ったクラリッサに、イスミは、しかし、不安げな視線を送る。


「でも、何か、おかしい……チャーリーも言ってたし、ねえ、ステバンさん、グレゴリオさんが……」


「問題無い、今のところ、全て計画通りだ」


「……計画? それってどういう」


 やはり、何かおかしいのだ、彼女の知る護衛頭は、この様に無愛想な目と、話し方をする男ではなかった。いかに緊急事態といえど、これではまるで、別人ではないか。質問を投げかけるイスミが、言い終わるのを待たずに、ステバンは、ぐい、と彼女の手を引く。


「あっ!?」


「動くな」


 首筋に短刀を当てられ、イスミは混乱する。何が起きたのか、訳が分からないのだ、分からないのだが、とにかく、クラリッサを逃さねばならない。


 彼女の脳内に、それだけが浮かび上がる。


 しかし。


「イスミちゃん、お願い、言う通りにして、怪我はさせたくないの……大事な、身体だもの、ね」


 ごそごそ、と座席の下から、拘束用のベルトを取り出し、クラリッサは笑うのだった。




 南町に入って直ぐに一度、中程で一度、そして街外れで更に一度、馬車を乗り換え、郊外まで走り続けた。辿り着いた一軒の館は、石造りの古めかしい建物である、元は貴族か豪農の屋敷であったものか、しかし今は打ち捨てられ、外壁にも蔓草が絡みついている。


「降りろ」


 イスミは後ろ手に縛られ、そこから伸びた綱は、しっかりとステバンに握られていた。なかば突き飛ばされる様に馬車から出ると、いくつかの松明に照らされ、数人の武装した男達に迎えられた。


(見たことある……ウチの従士)


 その中に見知った顔を見とめると、イスミはその男を、きつく睨み付けた。


「おぉ、怖い怖い……お嬢様、そんな顔したら、せっかくの美人が台無しですよ……いや、しかし待ち遠しいなぁ」


 嫌らしい顔を見せるその男は、意味ありげな視線を、イスミの上から下まで走らせる。その、あまりの不快さに、彼女は思わず顔を背けた。


「歩け」


 どん、と背中を押され、イスミはよろけながらも前に出る。未だに違和感が拭えない、これは、ひょっとすると悪い夢では無いのかと、その様な考えが、ちら、と頭をよぎるのだ。


 ステバンと言う男は、堅物で融通は利かぬのだが、口数が多く、ややもすれば、止めるまで延々と喋り続け、イスミでさえも辟易する程であったのだから。


 しかし、これは、決して夢などでは無いのだ。何故ならば、応接室とおぼしき部屋に連れ込まれ、和かな笑顔にて、クラリッサが突き付けてきたのは。


 圧倒的で、残酷な現実であったのだから。


「だからね、イスミちゃん、これは、復讐なの」


 今も上機嫌に話し続けるクラリッサ、その横では、厳しい面付きのステバンが、腕を組んだまま押し黙っている。


 目の前の二人は、親娘であったのだ。


 元々、テンプル騎士であったハルヒコ ステバンは、サルバット公爵に目をかけられ、彼の人には言えぬ悩み事を、裏から解決していたのだ。クロスロードの有力貴族である公爵は、全くに貴族らしい貴族であった。


 人が好く、金払いも良い、そして芸術をこよなく愛する一面と、尊大で癇癪持ち、女癖も悪く、ひとたび敵と見なせば、徹底的に追い詰める。そんな彼の、他人からの評価は、真っ二つに分かれていた。


「お父様はね、公爵様の犯した罪を代わりに被り、テンプル騎士から追放されたの、でも、それは、恨んでいないんだって、ちゃんと召し抱えて貰ったし、お給料だって倍になったのよ? 私も、お屋敷で雇ってくれたしね」


 だから、恨んでいないの、と、テーブルについた腕に顎を載せ、ころころ、と首を傾げながら、クラリッサは話し続ける。


「だから、私も恨んでないの、だって、公爵様のおかげで、ファング様に出逢えたんだもの、むしろ感謝しているわ」


 ほぅ、と溜め息を吐く彼女の瞳には、狂気の色が見え始めていた。イスミは、ようやくに理解したのだ、彼女は、クラリッサは、今までずっと、演技を続けていたのだと、たまに見せる、あの顔こそが、彼女の本質であったのだと。


「だから、恨んでないの……公爵様が、私に何をしても……どんなに恐ろしくて、痛くて、嫌らしい事をしても……子供が、産めなくなっても、私、平気だったのよ? 」


 くすくす、と、笑うクラリッサに、イスミは恐怖を覚えた。


「だけどね……だけど、許せないのは……イスミちゃん、あなたなのよ」


 その目だけが、まるで笑っていなかったから。どろり、とした悪意に満ちていたのだから。


「ファング様が、引退を決めたのは、あなたのせいよ……あなたが、男役なんてしなければ、羨ましいくらい、輝いてなければ、才能が無ければ、かっこよくて、素敵じゃなければ……」


 許せない、と、彼女は呟いた。


「許せない……ファング様を押しのけて、一番になろうだなんて、絶対に許せない……私が、もっと背が高ければ……ファング様の後は、私が……ううん、そうじゃないよ、私が、許せないのは、一番許せないのは……」


 ぐにゃり、と、クラリッサは笑った。立ち上がり、手を伸ばすと、彼女はイスミの頬に手を添える。


「許せないのは……私を惑わせたこと……私に、ほんの少し、そうよ、ほんの少しなのよ、これは、浮気じゃない、あなたが悪いの、イスミちゃんが、あんまりにも、素敵だから……ほんの少し、だけ……ときめいた……」


 だから、これは復讐。


 つるり、とイスミの頬を撫で、その指先を、クラリッサは、赤く、尖った舌先で舐め取るのだ。それは、どこか倒錯的な雰囲気を醸し出す仕草にて、囚われのイスミにすら、心臓をひとつ、跳ねさせた。


「……悪いけど、アタシには、何の関係も無いよ」


 しかし、イスミは、きっぱり、と言い放つ。


「お爺様のやった事が本当なら、それは許せないし、軽蔑する、皆に話して、家が潰れたっていい、だけど、そんな事は関係無い、あんたの勝手な嫉妬もそう、そんな事じゃ、アタシは止まらないよ、知ってるでしょ、クラリッサなら」


 彼女の狂気に負けぬよう、イスミは真っ直ぐな目に意思を込めて、睨み返す。


「うん、知ってるよ、だから、ね、イスミちゃんはここで終わり、後は、私達の娘に任せようかなって」


「はぁ? あんた、何言って……」


 くすくす、と笑う少女は、瞳の狂気を激しく燃え上がらせる。自らの腹を撫でさすりながら、イスミを見つめると、愛おしそうに語りかけた。


「私は、もう産めないから、イスミちゃんに産んでもらうの……お父様の子種なら、私とイスミちゃんの子供でしょ? きっと、素敵な、可愛い女の子よ、おおきくなったら、私と、その子と、ファング様と、親子三人で、舞台に立つの、ね、素敵よね? 素敵だと思わない? 」


 笑うクラリッサの隣で、今の今まで押し黙っていたステバンが、ゆっくりと立ち上がる。イスミは、自らの胸の奥が、きゅっ、と萎んだ気がした。


「……いや」


 思わず、零れた。普段から奔放で、舞台では、男役が様になっているとはいえ、彼女はまだ、十六の乙女なのだ、こういった事には、まだ恐怖が勝つ年頃なのだ。


「大丈夫だよ、お父様は、公爵様とは違うんだから、何も飲ませないし、何も使わないよ、女の子が産まれるまでは、ね、大事にしてあげるから……その後は、みんなにあげるけど」


「い、嫌ッ! 来ないでっ! 」


 椅子を倒し、イスミは転がる様に逃げ出したのだが、重いテーブルに括り付けられた縄が、彼女の行き先を奪うのだ。少しづつ近付いてくるステバンの目には、しかし、獣欲のかけらも見受けられない、彼にとっては、遣る瀬ない不毛な復讐でしかないのだろう。


「お前に、恨みは無いが、もう、娘は救われぬ……」


 気付くのが、遅かった。


 そう、ステバンは吐き捨てるのだ。


「勝手な事、言わないで! ……やだ、誰か!……先生! 助けて、先生ぇ! 」


 つき転ばされて、上着を裂かれたイスミは、じたばた、と踠きながら、助けを求めるのだ。その様を眺めるクラリッサは、実に楽しそうに、今にも歌いそうな笑顔である。


「ほら、イスミちゃん、もう諦めて、そのうち、良くなるって言うじゃない? 私は、知らないけど」


 暴れる彼女の腕を抑えようと、クラリッサが立ち上がる。イスミは大きく息を吸い込み、最後の悲鳴を上げようとした。


 その時であった。


 ばぁん、と、木製の扉が吹き飛び、黒い影が飛び込んで来る。


「むっ! 」


 恐るべき反応にて、飛び退いたステバンの喉元を、金属の煌めきが通り過ぎる。その黒い影はイスミを抱えると、綱を切断して、一切の迷いなく、二階の窓から飛び出したのだ。


「きゃあぁぁっ! 」


 浮遊感と落下感に、イスミが悲鳴を上げる。しかし、彼女の最悪の想像は覆され、ふわり、と、まるで羽の様に着地するのだ。


「ひっ、ひっきっき、かんりょ、完了、あと、あと、ころても、いい? 」


 どさり、と下草が伸び放題の中庭に、イスミを落とすと、黒い死神は、許可を求める。


「駄目だ、そろそろ、お前も我慢を覚えろ……まぁ、手加減して、怪我しそうな相手が居たら、殺って良いぞ」


「うひ、やだ、殺したい……」


 ぎらぎら、と眼を輝かせる黒雀の頭を、黒髪の騎士がかき混ぜる。まだ何か言いたそうにしながらも、死神はひとつ頷き、闇に溶けていった。


「やれやれ、少しは、分かるようになってきたかな? ……おや、こんなところに可愛いイスミちゃんが」


 惚けたように口を開ける少女の前に、辛島ジュートはしゃがみ込む、背中にはチャムパグンを背負っていた。この卑しいエルフの韋駄天の呪いで、彼はここまで、走って追いかけてきたのである、しかし、いかな野良猫の健脚といえど、チャムパグンを抱えたまま、一時間以上走り続けるのは、随分な大仕事であったようだ、顔からは滝のように汗が流れていたし、息も荒げている。


「悪かったな、少しばかり遅れてしまった……怖かったか? よしよし、もう大丈夫だから、後は任せておけ」


 優しく頭を撫でてやると、イスミは、徐々に顔を崩してゆく。その顔が、くしゃくしゃ、になってしまったところで、彼女は声を上げて泣き始めたのだ。


 ぽんぽん、と背中を叩き、彼女を抱き上げるように立たせると、背中のエルフを振り落とす。


 表からは、早速に悲鳴が上がり始めた、しかし、あの声には聞き覚えがある、どうやら、黒雀は言い付けをきちんと守り、拷問針を使用しているらしい。


「……辛島、ジュートか」


 イスミの泣き声を聞きつけたのか、ステバンが現れる、すでに抜刀済みであった。


「初めまして、だな「儀仗」のハルヒコさん……お前の賞金は、生かしておかねば貰えないからな、素直に諦めて欲しいんだが」


「は、浅ましい奴め、どうやってここまで来たのかは知らぬが……応援は期待できぬぞ? 貴様らを片付ければ、良いだけの話よ」


 ステバンは、長剣を構える。瞬時に理解出来るほどの腕前であった、まともにやれば、勝ち目は少ないであろうか。


「本隊は、公爵様の館に押し込んでるのかな? ……残念だが、向こうには、それはもう恐ろしい、二匹の鬼が待ち構えてるからな、多分、一人も生き残れないだろうよ……だから、もう一度だけ言う、観念しては、くれないか」


 分かっていた訳では無い、しかし、もしも儀仗隊が、本当にイスミを狙っているならば、それが目眩しになるのは、公爵の館であろうと、そう予測して、先に囲っていただけの話であった。


 サルバット公爵家が襲われたとなれば、西町は大混乱であろう、その隙にオラン辺りまで逃げ果せる算段であったのか。御用猫は、未だ泣き続けるイスミを身体から剥がすと、井上真改二を、すらり、と抜き放つ。


「出来ぬ相談……この魂、既に冥府魔道の只中よ」


「……そうか、致し方無し」


 御用猫は、大上段に振りかぶる。


 必殺の、鳥兜の構えであった。




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