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続・御用猫  作者: 露瀬
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花吹雪 19

 花組の二月公演は、大盛況のうちに幕を閉じた。割れんばかりの歓声は劇場全てを震わせるようで、かつてない盛り上がりを見せていたのだ。


 しかし、その理由は、先程まで熱演されていた、歌劇の素晴らしさばかりでは無い。終劇挨拶のその最後に、ファング女史の発表した、自身の引退声明によるものなのである。


 これは、観客だけで無く、演者達にも寝耳に水の報せなのである。最初、どよめきに包まれた劇場は、次の瞬間には悲鳴と嗚咽、労いと拍手で、混沌とした様子をみせていたのだが。


「みな、落ち着いてくれ! ……私は確かに一線から退くが、これは、決して終わりではない! 今後全ての劇場で、私が陣頭指揮を執る、花吹団全ての組が、さらなる高みを目指すためなのだ……ここに、私は約束しよう、これから先、皆にかつてない感動と興奮をもたらす事を、そして年末の光組公演には、私も演者として帰ってくる……そうだ、これは終わりではない! 新しい花吹団の、最初の一歩なのだから! 」


 彼女の力強い宣言に、全ての観客が立ち上がり、その名を称え始める。幕が下り、会場に照明が灯されても、その歓声の消える事はなかったのだ。


「ファングさん! 」


 緞帳の裏で、イスミがファング女史に駆け寄る。いや、彼女だけではない、裏方まで含めた、およそ全ての関係者が、まるで捨てられた子供のように、不安げな視線にて集まってくる。中には、すでに涙を見せる者もある、それぞれが、様々な想いを胸に、花吹団の最高責任者を見つめているのだ。


「こらこら、なんだその目は、さっきも言った通りだ、私は、別に居なくなる訳ではないのだぞ? 」


 優しげな瞳にて、ファング女史が、ぐるりと一周、皆に視線を配ると、ついに周囲から嗚咽が漏れ始める。


「さぁさぁ、皆も片付けだ! 何時も言っているだろう、これは終わりではないぞ、明日はゆっくり休んで、明後日には今日の反省会だ……積もる話は、その後にしよう」


 ぱしん、と、ファング女史は手を鳴らし、そして、実に満足そうな笑みを浮かべる。


「その後は、お楽しみの打ち上げだ、今回は盛大にやるぞ、 私の送別会も兼ねているのだからな……今まで節約してきたのだ、このくらいの贅沢は、みな、許してくれるのだろうな? 」


 鼻を詰まらせながらも、団員達から笑いが溢れる。舞台上で、一人ひとりの手を握りながら、ファング女史は、花吹団花組、その先頭演者としての人生に、幕を下ろしたのだ。




 劇場の応接室には、四人だけが残された。チャーリーとイスミ、ファング女史とクラリッサである。先程、全ての観客と、花組関係者が帰路に着いたのを確認し、テンプル騎士と麒麟騎士に守られた、現金護送車が出発した。


 念の為に、彼らが戻ってから、そのままサルバット公爵家まで護衛され、イスミ達は帰宅する予定なのだ。現在、この劇場を守るのは、サルバット公爵家の手兵だけである。


「リチャード君、少し話があるのだが」


 呼びかけられた少年は、立ち上がり、ファング女史と共に、応接室の外に出る。しばらく前の喧騒が嘘のように、劇場内は静まり返っていた、廊下に灯された呪いの明かりも、どこか冷たい光を放っているだろうか。


「……君には、謝らねばならない事がある」


「偽りの脅迫状について、ですか」


 どきり、と肩を震わせたファング女史であったが、しかし、目線を上げた彼女は、何か自嘲気味に笑うのだ。


「そうか、やれやれ、私の演技力も、まだまだ、だな」


 おそらく、ファング女史は最初から、この絵を描いていたのだ。儀仗隊の脅迫状については、クロスロード中に噂が広まっている、この流れに乗せて、彼女の引退発表と、おそらくは、イスミの台頭を広く知らしめるつもりなのだろう。


 その計画は、今のところ、成功していると言えるだろう。花吹団とイスミに対する脅迫は、驚くべき速度にて、クロスロードに浸透していたようであり、今日も武器を隠し持った愛好家が、彼女を守るべく衆参し、百人単位で注意され、武器の没取を受けていたのだから。


 ファング女史は、あくまで花吹団の為に、イスミの為に行動していた。少々強引な遣り方ではあろうが、その熱意を身を以て感じ取っていた、今の少年には、彼女の気持ちも、いくらか理解できる気がするのだ。


「だが、私が手配したのは、真実味を持たせる為の、アドルパス様への助力と、ほんの些細な仕込み、そして、最初の脅迫状だけなのだ……イスミの身に起きた一連の事故と、儀仗隊については、何も分からない」


「……もっと早くに、打ち明けてもらいたかったものです」


 責めるようなリチャード少年の声音に、ファング女史は頭を下げる。やはり、彼女は全面的に彼等を信用していた訳ではないのだろう、途中で暴露して、公演を台無しにされる事を恐れていたのか。


「すまない、だが、私は、この公演に賭けていたのだ……引退を早めたのは、その、けじめでもある……自己中心的だとは理解している、だが、どうか、イスミの事は……」


「勿論です、僕たちの仕事は、彼女を守る事、ただ、それだけなのですから」


 リチャード少年は、言外に含みを残した。これは、ファング女史を責める気は無いと、イスミに真実を伝える事はないと、その意思表示でもある。


「ありがとう……私の言える台詞では無いが、どうか、もうしばらく、イスミを守って……」


 彼女が再び頭を下げようとしたところで、廊下の向こうから、重い音が響いてくる。がちゃがちゃ、と剣を鳴らす音に、ブーツを履いた人の足音。


「何事ですか!?」


 少年の放った言葉に、廊下の奥の暗がりから、答えが返ってくる。


「襲撃だ! 儀仗隊の! ここは危ない、イスミお嬢様を馬車で逃す! 」


 向かってきたのは一人の男。リチャード少年には見覚えがある、サルバット公爵家の護衛頭、ステバンの副官の一人。


「止まってください、グレゴリオさん、それ以上近付くことは、なりません」


「はぁ? 何言ってやがる! 時間が無い、奴らは、すぐそこまで来てるんだ! 邪魔するんじゃねぇよ! 」


 イスミとクラリッサが、廊下に現れた。扉の向こうで叫び声が聞こえたのだ、当然であろうか。


「グレゴリオさん、一体、これは」


 悲鳴にも似た、クラリッサの問いに、グレゴリオと呼ばれた男が声を荒げる。


「クラリッサ! お嬢様を連れてステバンさんの所に、儀仗隊が攻めて来やがった! 」


 えっ、と声を上げるイスミの手を、クラリッサが強く引く。普段の彼女からは、想像もつかぬ素早さだ。


「イスミちゃん! こっち」


「待ちなさい! 」


 これまた、普段の彼からは、想像もつかぬ強い声音で、リチャードが叫ぶ。それに驚いたものか、イスミの足が、ぴたり、と止まるのだ。


「グレゴリオさん、何故、ここに来たのですか? ステバンさんは馬車を守っています、劇場の指揮は、貴方が執っている筈でしょう……それに、戦いの気配など、僕には、感じ取れませんが」


「馬鹿野郎! 素人が口を挟むな! クラリッサ、行け! ここは俺が食い止める! 」


「わ、分かりました! イスミちゃん、早く! 」


「え、ちょっと! チャーリーとファングさんは? 行くなら一緒に」


「駄目! イスミちゃんは、自分の立場を考えて! 」


 ずるずる、と、イスミを引きずるように、クラリッサは走り始める。リチャードは、彼女を止めようとしたのだが、正面から殴りかかってきたグレゴリオに、回避を余儀なくされるのだ。


「くっ、ファングさん、僕の後ろに! 」


 イスミの姿は、廊下の奥に消えてゆく、ぎりり、と奥歯を噛み締め、少年は、目の前の男を睨みつける。


「何のつもりですか、いや、そうか、貴方は……儀仗隊の」


 少年は即座に辿り着いた。この男は、最初から盗賊の一味だったのだ。


(となれば……不味い、イスミさんを追いかけなければ)


「おとなしく投降して下さい、手加減は、していられないのです」


「あぁ? 」


 グレゴリオは、明らかに気分を害したようである。自分よりはるかに年下の、無手の少年が、生意気にも降伏を勧告してきたのだから。


「ははっ、そうか、お前は儀仗隊の一味だったか……生意気な餓鬼め、これは、成敗だな」


「よせ、何をするつもりだ!?」


 ファング女史の非難も聞き流し、グレゴリオは腰の剣を引き抜いた。しかし、目の前の少年は、どうやら、やる気であるようだ、拳を前に突き出し、組み打ちの構えを見せている。


「威勢だけじゃあなぁ! 世の中、渡ってけねぇんだよ! 」


 グレゴリオは、自信を持って踏み込んだ。鋭い振りである、速度、重さ共に申し分ない一撃であった、徒手空拳の少年には、受ける手立てはなかったのだ。


 しかし、だからこそ、そこが弱味になるだろう。


「くるぶしっ! 」


 少年の背後から、白い影が飛び出した。中型犬程の大きさのそれは、白いたてがみを持つ、一匹の狼。


 があっ、と、牙を剥いて飛び出した狼は、肩でグレゴリオの剣を受け止める。リチャード少年と使い魔の契約を交わしたくるぶしは、彼の魔力を利用し、一時的に身体を成長させていたのだ。


 全身に森の銀を巡らせた、この魔狼は、鉄の剣など意に介さない。


「うおっ? 」


 その、柔らかくも固い毛皮に阻まれ、姿勢を崩したグレゴリオの喉元に、リチャード少年の貫手が突き刺さる。


「鋭ッ!!」


 ごぼり、と口から泡の混じった血を吐きながら、二、三歩たたらを踏み、グレゴリオは崩れ落ちる。まるで、糸の切れた人形のようであろうか。


 曲がってしまった右の指を、少年は乱暴に握り締めると、イスミを追い掛けるべく駆け出した。


「くるぶし、ファングさんを守ってください! お願いします」


 なっふなっふ、と鳴く狼は、いつもの、白い餅に戻ってしまっている。


 魔力を奪われ過ぎたのか、目眩を覚えながらも、少年は走るのだが。


 劇場の搬出口に辿り着いた彼の見たものは、走り去る馬車の、その後ろ姿であったのだ。


「若先生……申し訳、ありません」


 がっくりと膝をついたリチャード少年は、薄れる意識の中で、しかし、確かに聞いた。


 良くやった、と。


 なので、彼は、安心して地に伏せたのだった。




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