花吹雪 17
「ふぅん、それはまた、面倒になってきたなぁ」
まるで他人事のように、御用猫は顎をさするのだ。目の前の少年といえば、店内の暗さも相まって、随分と憔悴しているようにも見えるだろうか。
店仕舞いを終え、既に従業員達は二階へと上がっていたのだが、別行動のサクラ達と打ち合わせを行い、戻ってきたリチャード少年からの報告は、確かに、事態を悪化させるものであったのだ。
「はい……どうやら儀仗隊は、西町の彼方此方にも、花組を狙うという予告状を、撒いている様子です、一体、何が狙いなのか、皆目見当もつきません」
疲れた様子の少年は、まるで溜め息のように、重く言葉を吐き出した。
「……なぁ、リチャードよ、この仕事は、それほどに難しい事か? 」
向かいに座る少年に、猪口を手渡すと、目線だけで、飲み干すように訴える。素直な彼は、それをひと息に呷り、大きく息を吐き出したのだ。
「お前の仕事は、イスミを守る事だろう、余所事まで一人で抱えるな、金なんかくれてやれば良いのさ……忘れるなよ、お前の後ろに、皆がいる事をな……だから、もう少し、肩の力を抜け」
「……若先生は、もう少し力を入れても、ばち、は当たらないと思いますが」
彼の心に気付いたものか、ふわり、と、ようやくに、少年はいつもの笑顔を取り戻したのだ。
「こいつめ、抜きすぎだろうに」
笑いながらも、御用猫は考える。少年の意見では、やはりファング女史に悪意は無いというのだ。
それは、彼にしても同意見であるのだが、しかし、何か隠しているとも、思えるのだと、少年は言う。ティーナの話でも、裏の方で、まことしやかな噂が流れているのだとか、儀仗隊が何か動きをみせている可能性は高いであろう。
いっそのこと、チャムパグンを連れて、ファング女史の心でも読ませれば、話は早いのかも知れぬ、あの卑しいエルフの呪いは、人の範疇を超えるものがあるのだ。御用猫の顔の傷は、今も彼女の呪いで隠してあるのだが、たとえ王宮の呪術師であろうとも、この偽装は見抜けないのだから。
しかし、彼にそのつもりは毛頭無い。そんな事をすれば、あの悪魔は、たちどころに御用猫を見限るだろう。
あの卑しいエルフは、他人に利用される事を嫌う、いや、下心をもって遇されるのを嫌う、と言った方が正しいであろうか。
まことに便利な存在ではあるのだが、彼女が「しても良い」と思うこと以外は頼めない。なんとなく、ではあるのだが、御用猫には、それが分かるのだ。
これは、いわば御用猫とあの悪魔の、契約である。言わずとも、互いに理解している決め事なのだ。
「とりあえず、いくつか保険はかけておくから、お前は明日、チャムを連れて田ノ上道場に行ってこい」
「道場に、ですか? しかし、公演は二月の頭です、もういくらも時間はありません、イスミから目を離す訳には……」
「んー? アタシが何だって? 」
ぺたぺた、とチャムパグンを連れたイスミが現れる。しかし、リチャード少年は慌てて彼女から目を逸らし、そちらに手を伸ばすと非難を始めるのだ。
何故ならば。
「い、イスミさん! なんて恰好をしているのですか! 風邪を、いや、兎に角早く服を、着てください! 」
風呂上がりなのだろうか、イスミもチャムパグンも、下着姿のまま、肩から手拭いをさげ、ほかほか、と、その若い身体から、湯気を立ちのぼらせていたのだ。
「いやー、この娘すごいねー、ほかほかだよー、全然、湯冷めしないんだもん、ねー、これ欲しい、ちょうだい、買ってよパパー……あとチャーリー、さん付けは禁止、約束したでしょ」
とさり、と御用猫の隣に腰を下ろしたイスミは、そのまま御用猫に肩を預けてくるのだ。長袖越しに彼女の体温を感じるのだが、これは、確かに温かそうだ。
(ふむ、湯上り天国の呪い、とでも言うべきか……今度、試してみよう)
もそもそ、と膝の上に登ってきたチャムパグンを、片手で揉みほぐしながら、御用猫は猪口を舐める。
「む……ちょいと、先生、それは失礼じゃないかなー、ほら、可愛いイスミちゃんの湯上がり姿だよ? 滅多にお目にかかれるものじゃ無いんだよ? なんかほら、言うことも、あるんじゃないの? 」
ねえほら、と肩を揺するイスミを、御用猫は、ちらり、と横目で眺めると。
(まぁ……リリィよりは、大きいかな? )
男役でも、女役でも、抜群の人気を誇るイスミであったが、その、すらりと、薄く伸びた身体つきは、やはり男役が似合うであろう。
「ちょっ……いま、考えた! なんか失礼なこと考えたでしょ! 分かるんだからね、そーゆーの、女の子は分かるんだからね! 」
「いいから、服を、着てください! 若先生も、鼻の下が伸びてますよ、リリィ様に言い付けますからね」
いつの間に移動したものか、リチャード少年は、カウンターに掛っ放しの、二人分の寝間着を、少々乱暴に投げ渡すのだ。視線を送らずに放った為、イスミの顔に、水色のワンピースが張り付いた。
普段ならば、リチャード少年が送り迎えをしていたのだが、今日は彼が出掛けてしまった為に、彼女は此処に宿泊する事となった。しかし、これはイスミが言い出した事であり、口煩い少年が居ないのを良いことに、半ば強引に、マルティエに認めさせてしまったのだ。
実家の方には使いを出していたのだが、時期が時期なだけに、今頃はさぞ心配している事だろう。ミザリなどは、張り切って客室を整えて居たのだが、明日は各方面からの説教が、彼女を待ち受けているに違いないのだ。
「もぅ、チャーリーは固いなー、たまには、のんびりさせてよ……最近は、気が滅入る事ばっかりなんだから、さ」
イスミは、少しだけ声の調子を落とす。
「……申し訳ありません……いま、一番不安なのは、イスミに違いありません、こんな簡単な事にも気付かないなんて……僕は、護衛失格です」
確かに、そうであろうか、普段はそのような気配すら感じさせぬ彼女といえど、やはり中身は、まだ十六の少女なのだ。自分を狙うかも知れぬ盗賊が、予告状まで出してきたのだ、その胸中が、穏やかであろう筈もない。
再び立ち上がり、深く頭を下げる少年に、すっぽり、と寝間着を被ったイスミは、しかし、爽やかな笑顔を見せるのだ。
「ううん、気にしないで、その為のチャーリーだしね……それに、いざとなったら、正義の味方も、現れてくれるんでしょ? 」
悪戯っぽく笑う少女に、御用猫も笑顔を返す。
「そうだな、まぁ、任せておけ、お前が危なくなったら、ぎりぎり、まで待ってから、助けてやるよ」
「ぶふっ、なにそれ、もっと早くきてよ……ところで、リリィって誰? また知らない人? 何人いるの? どんだけ囲ってんの? ほんとにぜつりんなの? 」
ねーねー、と肩を揺すられながらも、御用猫は見事に平行を保ち、猪口の中身を喉に落とし込むのだ。
(そうだな……いや、そうか、相手に合わせる必要は無いのだ、こちらから、囲ってやれば良いのか)
揺すられながらも、ひとり頷く御用猫は、ぐったり、と眠ってしまったチャムパグンの腹肉を揉みほぐす。
それを眺める少年の口からは、しかし、溜め息の溢れる事は無かった。
この眼を見せた野良猫は、決して獲物を逃さぬと、少年は、知っていたのだから。
今更言うのもアレですが、花吹団の読み方は「かぶきだん」です。
派手な格好で歌い踊るということで、歌舞伎と傾奇にかかっております。
ルビを振れ、と言われればそうなのですが、そうですね、ごめんなさい。
かしこ