花吹雪 13
花吹団の稽古場には、大きな風呂が備え付けられていた。しかし、風呂といっても通常のものではなく、大きな浴槽に貯められたお湯を皆で掛け湯して、練習でかいた汗を流す為のものである。
「チャーリーも一緒に入れば良いのに」
「い、イスミちゃん! 駄目だよ、何言ってるの、チャーリーはあんな見た目でも、恐ろしい肉食のオオカミなんだから! 」
誘われた少年は、苦笑するばかりである。彼は居残りで特訓する、という言い訳で、何時も最後に入浴する事にしていた。
(確か、肌の汚れを落とす呪いを、チャムさん達は使っていたような……こんな事があるならば、教えて貰っておくべきでした)
イスミやクラリッサ達に手を振ると、一人残された少年は、稽古場の隅に立て掛けられた箒を握り締め、素振りを始めるのだ。本来ならば、彼女から目を離す訳にはいかないのだが、呪いで女の身体に変えたとしても、まさか風呂場までついてゆく訳にもいかず、かといって遠見の呪いを使う事も、この少年には、出来ぬ相談であるだろう。
リチャード少年は、ややもすると、どうにも悪い方へ向かう不安を払拭する為に、ただ、ひたすらに箒を振り続けるのだ。
「ぶはー、生き返るー、ゔあぁー」
些か、親父臭いだみ声を漏らしながら、イスミは頭から、被り湯を掛け流す。周りの女性達から、くすくす、と笑い声が溢れた。
「イスミちゃん……前から言おうと思ってたんだけど……もう少し、なんとかならないの? 」
少し俯き加減に、クラリッサは声を落とした。しかし、イスミの人気の理由には、こう言った言動の落差もあるのだ。
舞台上では、燦めくような笑顔と凛々しい姿を見せる彼女であったが、普段のイスミは、まことに、年相応の、いや、それよりも少々お転婆で、誰に対しても距離感の近い、人好きのする人物であった。
「あー、ごめんねー、でも、分かんないかな、この開放感、夏の冷水もいいんだけど、こいつぁまた、格別だよー」
まるで犬の様に、ぶるぶる、と頭を振り、隣に座るクラリッサに水滴をぶつけるのだ。しかし、どうしたことか、普段ならば文句をつけてくるはずの彼女は、俯いたままなのである。
「イスミちゃん……次の舞台も、男役だよね……もう、女役は、しないつもりなの? 」
心なしか、声にも覇気がないのだ。そういえば、最近は元気が無かったようであったと、イスミは思い至る。
「うーん……なんか、どんどん、背が伸びちゃったし、女役には、無理があるかなって」
「……そんな事、ない、イスミちゃんは可愛いし、私、イスミちゃんは女役が向いてると思うよ」
顔に張り付けた濡れ髪もそのままに、クラリッサはイスミを見つめてくる。可愛らしい、と言えば、彼女こそがそうであろうか。
「向いてるっていうならさー、クラリッサの方でしょー? うぅん、正直、羨ましって、思う事も、あんだよねー……でもさ、アタシは、自分に出来る事を、精いっぱいやるつもり、お客さんも喜んでくれるしね……それに」
前髪をかき上げると、黒髪の少女は、力強く瞳を輝かせた。
「ファングさんが引退しても、安心出来るように、アタシが……」
「そんなの、聞きたくないッ! 」
声の良く響く浴室が、クラリッサの叫びを隅まで届け、しん、と静まり返る。はっ、とした表情の彼女は、タオルを抱えて立ち上がると。
「ご、ごめん……なさい」
ぱたぱた、と、水滴を撒き散らしながら、駆け出したのだった。
「ふぅん、そんな事がねぇ」
「そーなのよー、あんなクラリッサ、初めて見ちゃった、そんなに、女役して欲しかったのかなぁ……でもさー、背が伸びちゃったのは、アタシのせいじゃないし……それにさ、顔の造りには自信あるけど、正直、アタシは、可愛いって感じじゃあないしね」
皿の上で、フォークを豚肉のソテーに突き刺したまま、くりくり、と肉をこねくり回すイスミである。隣では、何か申し訳無さそうに、リチャード少年が肩を窄めていたのだが、これは、その時の状況を、自らの口で、御用猫に伝える事が出来なかったから、であろうか。
「そうか? 舞台の上では、男っぽい演技してるから、そう見えるだけだろう、お前の中身は、十二分に可愛いと思うがな」
御用猫は、チャムパグンの頭に腕を乗せたまま、猪口の中身を空にする。右の膝には、黒雀も陣取っていた。
「う、な、なによ、そんなおべっか、もう聞き飽きてるんだから、このアタシを、そんな簡単に口説けると思ったら、大間違いなんだからね……というか、増えてない? ねぇ、ほんと、その娘たちって、先生のなんなの? 」
ぱくり、と豚肉に食いつき、イスミは目を細めるのだ。彼女はどうも、マルティエの料理が気に入ったのか、飽きもせずに、こうして毎日毎日やってくる。
「ぐふふ、我々わ、爛れた大人の関係なのでごぜーますよ……夜ともなれば、一つ布団の上で、くんずほぐれつ、淫らな宴を開いているのですわ」
「先生、好色、ぜつりん」
「ねーねー、ちょっと最近、寝不足なんだけど、次の公演に差し支えるからさー、そこんとこ、はっきりさせて欲しいんだけど、可愛いイスミちゃんが、舞台でしくじったら、どうすんのさー」
げすげすひっき、と笑い合う二匹の子エルフ達の姿は、しかし、イスミの目には入らない様子なのだ。
「……てごわい」
「おふぅ、あれは、都合の悪い事は耳に入らないタイプやで、さすが芸能人や、ずぶといですわ」
しかし、子エルフ達の隙間から徳利を掴んだ御用猫は、残り少なくなってきた「電光石火」を、どうやって補充したものか、と頭を悩ませていた。
「……若先生、あの、なにか、余所事を考えては、いませんか? 」
「ん? あぁ、あー、とりあえず任せるから、頑張れよチャーリー」
リチャード少年の溜め息は、増えるばかりである。