花吹雪 8
珍しくも、長々と抵抗を続けていたリチャード少年であったのだが、御用猫の筋道立てた説得により、渋々ながらも、最後には承諾したのである。
「まぁ、なんとか頼むよ、サクラもフィオーレも、家を空けるわけには、いかないだろう? リチャード、お前だけが頼りなのだよ」
「……確かに、道理ですが……若先生、その様な言葉で、何度も丸め込めるとは、思わないでくださいね、今回だけ、ですからね」
サクラとは違うのだから、と、何度も念を押しながら、リチャード少年は、何か興奮気味のファング女史に連行されてゆくのだ。
「あぁ、それと、当然だが、この事は内密にな? 情報が漏れた時点で、お前達を疑わなくてはならなくなる」
「え、何それ、アタシまで疑うつもり? 」
退出しかけたイスミは、ぱたぱた、と踵を返し、御用猫に向けてくちばしを尖らせた。年に似合わず、大人びた顔つきの彼女ではあるが、こうも表情が、くるくる、と変われば、幼い印象を受けるのだ。
「当然だろう? 自作自演の可能性だって、あるんだから」
「うわ、ひどい、謎の騎士辛島ジュートは、弱きを助く正義の味方だって、評判だったのに」
半分は冗談なのだろう、悪戯っぽい笑顔を浮かべて、イスミは口元を隠してみせる。
「ねえ、ほんとにその噂、どこで聞いてんの? ……まぁ、それは良いが……とにかく、こちらは本気ってことだ、仕事にしくじり、が無いのが、俺の数少ない自慢なんだからな、引き受けた以上はきちんとやるさ、だから、任せておけ」
お前が弱いかどうかは、知らないがな、と御用猫も笑顔を返す。
「ひひっ、期待しとくね、じゃあまた……あ、せっかくなんだから、舞台も見てってよー」
廊下で足踏みしながら振り返ると、イスミは手を振ってから駆け出すのだ、なんとも姦しい女であるが。
「……サクラよりは、まし、かなぁ? 」
顎に手をやり呟く御用猫の尻が、すぱぁん、と景気の良い音を鳴らした。
それから、一度劇場を後にし、サクラとフィオーレに揃いのコートを買い与えると、軽く食事を取りながら、これからの段取りを伝える事にした。
「先ずは、花組全員の洗い出しだ、女優から裏方まで、全員やるぞ、動機のありそうな者、接触の機会の多い者から順に、全員だ……これは、サクラに任せるからな」
「ゴヨウさまは、内部の人間が犯人だと、そう考えているのですか? 」
フィオーレは疑問に思ったようであったが、しかし、別に、御用猫はそう考えている訳でも無い、ただ単に、やかましいサクラを遠ざけるのには、こういった地味な仕事を押し付けるのが得策だろうと、そう判断しただけの事である。もっとも、いずれは調べなければならない事であるのも、また確かであるのだが。
「それは分からないな……しかし、可能性はあるだろ、みつばちが里帰りしてるから、時間はかかるが……出来るな? 」
「ふふん、当然です、実は、こうした仕事も、もう慣れたものなのですよ、情報とは玉石混交、その中からいかに、当たり、を引くのかが、腕の見せ所なのです、何気ない噂話の中から、きらり、と光る真実を拾い出すのがこうした調査のもごぐ」
ふんこふんこ、と自慢げに鼻を鳴らすサクラの口に、パンケーキをねじ込むと、御用猫は立ち上がる。一足先に劇場の周辺地理を頭に入れておかねばならないのだ。
「可愛いサクラの言う事だ、その辺りは、信用してるからな、上手くやってくれよ……フィオーレも、無理しない程度に付き合ってやってくれ」
「ふふ、こうした経験も、貴重なものですわ、わたくしは、むしろ感謝もしていますのよ? 」
(サクラと一緒に居られる、丁度良い口実になるだろうからな)
くすり、と笑い、片手を上げて席を離れると、先に支払いを済ませてから、御用猫は店を出る。
「くーろすーず……うおっ」
劇場の正面を見張れる裏路地で、死神の召喚を行なった御用猫であったのだが、その儀式が終わる前に、両肩の上に、どん、と荷重がかかる。
「わたし、参上」
「ちゃんと呼んでから、出てきてくれないかなぁ」
一応、体重は軽減して飛び乗ったようだが、突然にのしかかられ、御用猫は体勢を崩す。黒雀の両足を固定し、しっかりと肩車すると、そのまま彼は歩き始めた。
「……で、どんな感じだ? 」
「お腹すいた」
「先生、そういう事聞いたんじゃ、無いんだけどなぁ」
御用猫としては、後を付けている者の有無などを、確認したつもりであったのだが、やはり、みつばちの様にはいかないだろう。年末年始には「総括」があるらしく、みつばちには暇を出していた、自分がいない事を随分と心配している様子で、彼女はしきりに。
「先生、浮気は駄目ですからね、私が居ないからと、肉欲に溺れた生活は許しません、戻ってきたその時には、限界まで溜め込んだ欲望を、全て私に吐き出して構いませんから、むしろそうしてください、なんともなれば、今すぐにでも」
「そうだね」
などと絡んできていたものであるのだ。その時は面倒だと思ったものだが、しかし、こうして居なくなってみれば、有能な彼女の不在は、なんとも不便であり、そして寂しいものでもあろう。
いざ側に居れば、間違いなく面倒ではあるのだが。
「先生ー、御用猫の先生ぇー、お腹が空きました、芸術では、腹は膨れねーのでごぜーますよ、なんかくれよ」
そんな事を考えながら歩いていた御用猫の腹に、今度は、卑しいエルフがしがみついてくる。
「……相変わらず卑しいやつめ、食わせてやっても良いが、それに見合う働きは、出来るのだろうな? 」
「おぉん? あっしを舐めてもらっちゃ困りやす……そうですな、妬み嫉みは渦巻いておりやすが、敵意という程の事はありやせん……あとは、エロいこと考えてる奴らばっかりでごぜーますよ」
いいから、なんかくれ、と口を、ぱくぱく、と開閉する卑しいエルフに、御用猫は内心、感嘆の息を漏らすのだ。
げすげすげす、と卑しい笑いをみせる卑しいエルフは、花吹団の公演を見越して店を構えた、目鼻のきく屋台の方をを指差している。開演まではまだ一時間はあるのだが、すでに劇場前には、長蛇の列が出来上がっているのだ。
「ああ……確かに欲望は渦巻いてそうだな」
列を作る老若男女は、皆興奮した様子で、今年の初舞台は誰が目玉だ、とか、今年の衣装は誰それの手によるものだとか、熱い会話を繰り広げていた。
ふと、思い立った御用猫は、じっ、とチャムパグンの方を見つめる。この卑しいエルフに人の感情が読めるものなのか、確かめようと思ったのだ。
「何ですか、視姦ですか、やめてください、私の貧相なぼでーに欲情して……おい、しろよ、哀れみはよせ」
御用猫は、縋り付いて体重をかけてくる卑しいエルフを抱え上げる。どうやら、彼女には念話以外に、感情を読み取る力もありそうだ。
「もう少し食って肉を付けろ……いや、というか、なんでそんな食ってんのに太らないんだよ、お前らは」
二人も抱えているというのに、この子エルフどもは、なんとも軽いのだ。しかし、彼女らが太る程に食べさせれば、御用猫とて破産してしまいかねないだろう。
「まぁ良いか、とりあえず肉食おうぜ」
「うぃ、たべる」
「なら、あすこの屋台ですわ、鳥足と、豚足もありますわよ、上物でごぜーますよ」
「ごめんなさい、豚足ですか、大好きです、わくわくしてきました、早く行きましょう」
足を止めた御用猫は、振り返らずに、そのまま眉を寄せる。
「……合体、なんて」
ぴたり、と背中に張り付いてきた大柄な女を振り払うと、御用猫は走り始めたのだが。
結局、その屋台からは、全ての肉が消え去る事になったのだ。