花吹雪 7
花吹団の公演は、日に二度行われる。昼の部では「小花組」と呼ばれる、若手有望株を集めた演目が披露され、花組の本隊は、夜の部からの出番なのだ。
小花組からの昇格は、愛好家からの手紙や贈り物の量、そして、公演毎に張り出される投票版への書き込みを考慮して行われる。この、今までに無い仕組みは、クロスロード人の心を捉え、花吹団の知名度上昇に大きく貢献していたのだが、伝統ある劇団からは、当然に、下品で浅ましい人気取りだと批判もされているのだ。
「ですが、今まで遠い存在であった演者達との距離感は、これにより一気に縮まったのです、格式に拘り、観客にすら作法仕来りを求める従来の演劇とは違い、庶民の娯楽として定着しつつあるのです、また、演者を目指す者も当然に増えました、長い目で見たならば、業界の活性化にも繋がるでしょう、これは全て創設者であるファング様達と、それを全面的に支援したサルバット公爵様の」
「……なに、サクラは花吹団に入りたかったの? 」
「はあぁっ!?」
古着屋の中で、素っ頓狂な声を上げたサクラの口を、フィオーレが素早く押さえる。リチャードもそうであるが、最近では、皆サクラの取り扱いに慣れてきたようだ。
(少々、雑になっている気もするが……まぁ、それ程に気安い間柄、ということだろうか)
一匹猫の彼には、彼女らの友情は、何とも眩しく、そして羨ましく見えるのだ。御用猫とて、仲の良い人間はいくらでもいるのだが、こうして年若い頃からの親友となると、長い人生において大切な、得難きものであろう。
「……若先生」
御用猫が、仲睦まじい二人を、微笑ましく眺めていると、採寸を終えたのだろうか、リチャード少年が現れた。
「おう、済んだか? なら行くか」
「……いえ、しかし、僕には、これ、の必要性が、よく分からないのですが」
少年の表情は、何とも微妙なものである。不満、というよりも、苦悩に満ちた顔つきであろうか。
「これ、も何も、お前も随分と背が伸びてるみたいだし、きちんと測っておかなければ、服が合わないだろう? 」
「いえ、それは理解しているのですが……若先生、ここは、女性服しか扱っていないような気が……」
「おし、行くか、フィオーレにも世話になるな、後で一着、贈呈させてくれないか? 」
「ふふ、ありがとうございます、ですが、それはリリィアドーネ様に悪いですわ」
「そうか? サクラと揃いで普段着でもあれば、なにかと」
「ゴヨウさまの、せっかくのお心遣いですもの、無碍にはできませんわね」
「……なんですか、なんだか、仲よさそうですね、というか、最近フィオーレは何かと挑戦的ですよね、そうですか、ああそうですか、分かりましたとも」
楽しげに話しながら退店する三人に、取り残された形のリチャード少年は、朝から胃の腑に溜まる嫌な予感が、今まさに、確信に変わるところであったのだ。
「ぐうっ……これは、まさか、これ程の美形とは……ちょっとちょっと、アタシ、聞いてないんだけど」
わざとらしく胸を押さえたイスミは、テーブルに残りの手をついて俯いた。少々上気した頬の理由は、先程まで小花組の片付けを手伝っていた、というばかりではあるまい。
「ううん、惜しい……惜しいな、リチャード君と言ったかい……いや、裏の世界には、そういった呪いもある、と聞いた事が……ううん」
ファング女史の方は、何やら、冗談といった様子でも無さそうである。身の危険を覚えたものか、リチャード少年は、御用猫の背後に回り込むのだ。
(何だか、懐かしいな、こいつを親父の所に連れて行った時は、こんなだったな)
もう三年も経つだろうか、御用猫は、初めて少年と出会った頃の事を思い出し、思わず頬を弛めるのだ。
「わ、若先生、そろそろ、お話を始めましょう、夜の部までに、段取りを決めてしまわないと! 」
珍しくも、慌てた様子のリチャード少年である。御用猫は、それもそうかと、椅子を引いて腰を落ち着ける。
花吹団が西町の拠点としている、この中規模の劇場は、サルバット公爵が私費で買い取ったものであった。元は、それなりに伝統ある歌劇団の持ち物であったのだが、公爵が資材を投じて後援していたその歌劇団は、座長と劇場支配人の、長年にわたる金銭の使い込みが発覚して解体された。
その後、そこに所属していたファング女史と数人の主要人物が、公爵に直訴を行い、その熱意に打たれたサルバット公爵が、全面的な支援を約束した、という経緯がある。
「公爵様には、感謝しているのだよ、今の私達があるのも、全て、あの方のおかげなのだからね……もちろん、だからと言って、イスミを特別扱いなど、しないつもりだよ」
「えー、嘘ばっかりー、ファングさん、アタシの事は特別扱いしてるでしょー、ちょっと厳しすぎなんですけど、お稽古の量が人の倍なんですけどー」
その、形の良いくちばしを尖らせ、イスミが抗議する、しかし、表情には不満は無さそうだ。
「ふふ、それだけ期待しているという事さ……私だって、そろそろ引退して、女の幸せのひとつも、掴みたい頃なのだからね」
「そ、そんな、まだ早いと思います! 早いと思います、あぁ、でも、ファング様には、幸せになって欲しくもあり、あぁ、どうしよう、どうしましょうゴヨウさん! 」
「フィオーレ」
がっし、とサクラを拘束した彼女に向け、全員が親指を立てる。いや、クラリッサという少女だけは、この流れに乗り切れ無いのか、不思議そうな表情を見せるばかりであったが。
最初は、なぜこの少女が同席しているのかと、疑問に思った御用猫であったのだが、彼女はサルバット公爵家の雇った、イスミの世話役でもあるのだという。しかし、その可愛らしい外見がファング女史の目にとまり、試しに女優をさせてみたところ、意外な才能と人気を得たというのだ。
「とりあえず、あんた達は普段通りにしてくれて構わない、むしろ、これからは、あまり公に接触しないでおくからな、繋ぎ方は任せてくれ、今日の公演には、観客席にサクラとフィオーレを配置しておく、劇場の造りは大体把握してるから、俺は外側から人の出入りを確認する」
「了解しました、ならば、僕は裏口の方を見ておきます」
リチャード少年が頷いた、いつもながらの気の利きようである。
しかし。
「いや、お前には、内側を見張って貰おうかな」
「……客席の方には、二人が居ますから、通路か、それとも、裏方ですかね、そうですね、内部の人間の可能性も……」
御用猫は、ぽん、とリチャードの肩に手を載せた。この少年は、まことに、気の利く男であるのだ、もう既に、理解しているだろうか。
自らの運命を。
「……とりあえず、着替えようか」
御用猫の見せた笑顔は、実に爽やかなものであった。
ここは、劇場なのだ。
衣装ならば、いくらでもあるだろう。