腕くらべ 9
「それで」
不意に声をかけられ、顔を上げた拍子に、啜られ途中に踊った饂飩の尾が、フィオーレの鼻先を撫でる。
「……リリィが、何だって? 」
笑いながら御用猫が問いかけると、羞恥のせいか赤くなった鼻の頭をハンカチで拭い、彼女は箸を置く。
饂飩というものを、初めて口にしたらしいフィオーレであったが、麺の啜り方を教えてやると、少し、はしたない、と、最初は遠慮していたものの、直ぐに音と飛沫を抑えながら食べる、こつ、を身に付けていた。
なかなかに素質がある。
「いえ、それが、ダラーン伯爵と手合いをしたと耳にしまして……私はてっきり、ゴヨウ様が、婚約に異議を申し立てての、決闘を行ったのかとばかり」
うんうん、と、頷く御用猫に、疑問を抱いたのか、首を傾げながらも、要件を伝えてきた。
「何でだよ、いや、そもそも、リリィの件は後から知ったのだしな」
そうですか、と、何やら考え始めたフィオーレである。いや、再び箸を取った、単に食事を再開しただけか。
「でもよぉ、センセ、いくら「串刺し王女」とはいえ、さ「三スター」相手に、必ず勝てるとは言えないだろ? どうすんのよ」
つるつる、と、慣れた箸づかいで饂飩を完食したウォルレンが、指揮棒の様に箸を振り回す。
「どうもしねぇよ、どうにかなる相手でもなし」
確かに、少々、納得のゆかぬ手段で敗北したのだが、もし、まともに遣り合ったとしても、御用猫に勝ちの目は無かったであろう。突きの一つで充分に理解出来た、ダラーン伯爵は、その肩書きに恥じぬ遣い手でもあったのだ。
「闇討ち、で良いんじゃね? 猫の先生、そーゆーの、得意じゃん」
「黒雀」
饂飩を口から生やしたまま、ぴっ、と、黒雀が箸を立てる、いや、箸では無い、何処から取り出したものか、暗器針だ。
いつぞやの心的外傷を呼び起こされたのだろうか、ケインと、何故かウォルレンまでもが、青い顔で謝罪してくる。
「野良猫と無法者は違います、理由も無く人様を襲うのは、筋が通りません、分かりましたか」
黒雀の頭を撫でながら、聖職者の様な顔付きで説法すると、良い返事を返しながら、二人は何度も頷いた。
そう、すじ、が通らぬのだ。
手合いで不覚を取った腹いせに、ダラーンを襲うなどと、野良猫の矜持が許さぬのだ、金を貰って仕事にする分だけ、そこらの闇討ち屋の方が、まだ、ましだろう。
「……リリィアドーネ様、が、理由には、なりませんか? 」
「ならないな、なったとしても、手合いの相手を騙し討ちして、リリィを勝たせるのか? それこそ、あいつが何て言うか」
テーブルに肘を乗せて頬杖をつくと、御用猫は反対側の手を軽く振る。
フィオーレも、それは分かっているのだろう、それ以上反論はしなかった。その代わりに、丼に口を付けて、一気に汁を飲み干すと、鼻息を荒げ。
「ゴヨウ様、稽古に行きましょう! 私、何やら無性に身体を動かしたい気分ですわ! 」
もう、苦笑する他に無い御用猫は、手拭いで彼女の口元を拭いてやると、黒雀を連れて、ロシナン子の厩舎へ向かうのだった。
彼にしては珍しくも、確かに、少々、身体を動かしたい気分であったのだ。