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お姫様は愛の中

 塔の最上階には、黒い靄が今にも溢れ出しそうなほどに満ち満ちている。うねり、とぐろを巻くその靄の真ん中に、黒き魔女が立っていた。

 階段を上りきった姫君をみとめると、黒き魔女は美しい唇を歪めて笑う。


「運よく、呪いは避けられたみたいね。つまらないわ、せっかく用意してあげたのに」


 姫君は王冠を捧げ持ち、黙って黒き魔女を見つめる。


「さあ、王冠を渡しなさい。それとも、もっと酷い呪いをかけてやろうか」


 姫君は黙ったまま、黒き魔女に近づいた。黒い靄も気にせずに足を進め、王冠を差しだす。黒い靄は王冠を恐れるかのように、さっと引いて道を開けた。

 黒き魔女は真っ白な両手を伸ばした。姫君はその手に、そっと王冠を渡す。黒き魔女の頬がピクリと動き、弾けるように笑いだした。


「あっはははははは! 自分かわいさに力を差しだしたわね」


 高笑いを続けながら、黒き魔女は王冠をかぶる。美しい黒髪に、金の冠が映えた。


「私がなにをしたいか、教えてあげる約束だったわね」


 黒き魔女が冷たい視線を姫君に向けた。


「世界中に呪いを撒き散らして、ズタズタにしてやるのよ」


「いいえ、あなたはそんなことを望んではいないわ」


 黒き魔女の眉がぴくりと動く。


「あなたが本当に望んでいるのは、そんなことじゃない」


「なにを言っているの。せっかく教えてあげたのに、つまらない子」


 苦々し気な表情で黒き魔女は姫君に指を付きつける。


「知ったようなことを言う、そのうるさい口を塞いであげようか」


 黒き魔女の指先から、するすると、細く黒い靄が吹きだす。その靄が姫君の首を取りまいて、じょじょに輪を縮めていく。首を絞めようとしているようなその動きにも、姫君は怯えはしなかった。


「王冠の封印を解きなさい」


 姫君は顔を上げたまま、静かに涙をこぼした。頬を流れ落ちる金色に光る雫を両手で受け止める。その光を恐れるように、姫君に巻き付いていた黒い靄は、黒き魔女の手許に戻った。


 姫君は祈るように両手を掲げ、黒き魔女に近づいていく。黒き魔女は美しい笑みを浮かべて膝を折る。その姿はまるで、神の恩寵を冠に受けようとする女王のように気高い。

 姫君は王冠に金色の雫を垂らす。金の光は王冠をさらに輝かせた。光を戴いた黒き魔女は、目も眩むほどに美しい。


「上出来よ」


 黒き魔女がゆっくりと背を伸ばす。


「お姫様、あなたのおかげで、これから世界は終わりを迎えるのよ」


「いいえ、あなたはそんなことはしないわ、デュー・レフレクスィオン」


 黒き魔女が飛び退る。


「なぜ、その名前を! あのくそばばあから聞いたのか!」


「いいえ、ナーナは黙っていたわ。大切なあなたの名前を、抱きしめたままでいたわ」


「では、どこで盗んできたの」


 黒き魔女はじりじりと後ずさりながら、姫君との間に黒い靄で壁を作っていく。


「あなたが私に教えてくれた。あなたを包む黒い靄の中で。あなたは私を愛してくれると言ったわ、デュー」


「そんな馬鹿なことあるわけないでしょう。正直に白状しなさい、だれが私の名前を……」


「デュー、私はイーリア。イーリア・シエン・アフェクシオン。あなたを愛するものよ」


 姫君は両手を差し伸べ、黒き魔女に歩み寄る。


「来ないで!」


 黒い靄が姫君に襲いかかった。だが、姫君は足を止めない。真っ黒な靄の中に歩み入り、自ら呪いを受けた。


 体を二つに引き裂かれるような痛み、手足が千切れそうな寒さ、心臓を抉りとられそうなほどの熱、そして、だれにも名前を呼んでもらえない孤独。黒き魔女が身にまとっていたものすべてを、イーリアは引き取った。


 今や、イーリアの髪は漆黒に変わり、世界を憎もうとする心が沸き上がってきた。


 これが、憎悪。これが、破壊への欲望。これが、快楽。


 イーリアはその衝動に身を任せた。体がぶるぶると震えるほどの高揚感。今ならなんでもできる。だが、欲しいものも、したいことも、なにもなかった。

 ただ、黒い思いが広がるだけだ。


 目を開けると、世界は真っ赤だった。その血にまみれたような世界の真ん中に、黒き魔女が立っていた。

 たった、一人きりで。

 なにも持たず、全てに脅えて、世界から逃げ出すこともできずに。


 イーリアは両手を差し伸ばす。


「デュー、愛しているわ」


 呪いはその一言で解けた。


 わだかまっていた黒い靄が竜巻のように吹きあがる。

 轟音をたてて塔の天井を破り、青空の彼方まで、黒い尾を引いて強大な力が飛び去った。

 そこに残ったのは、ただ何者でもない女性たち、イーリアとデューだけだった。


「デュー、あなたから奪う人はもういない。私が持っているすべてをあげる。私の名前をあなたにあげるわ。だから、私の名前を呼んで」


 静寂が二人の間を満たす。それはとても心安らぐ、穏やかな時だった。

 デューの唇が静かに引き上げられた。微笑のような形のその唇から音が漏れでる。


「イーリ……」


「イーリア姫!」


 階段を駆ける足音がしたかと思う間もなく、イザが最上階に駆け上ってきた。


「ご無事ですか!」


 デューはぴたりと口を閉じると、きつい目でイーリアを睨んだ。


「だれが、あんたの名前なんか呼ぶものか」


 かぶっていた王冠を床に投げつける。


「覚えていなさい! 絶対に許さないからね!」


 デューが片手を高くあげると、塔の壁がガラガラと崩れだした。


「お姫様!」


 イザに続いて駆けつけたノワールが姫君を抱いて石の破片からかばう。剥き出しになった床と階段だけが残った塔に、真っ黒な塊がぶつかるように飛んできた。

 デューはその塊、カラスの群れに包まれる。


「幸せなお姫様。だいっきらいよ!」


 そう言い残して、デューは飛び去っていく。カラスたちは口々に「黒き魔女様が帰還なさる」と騒ぎながら羽ばたいていった。


 すべてが去った塔の残骸には、黒い靄からこぼれ落ちた黒い石が残された。姫君はその石を、そっと拾う。

 石はしっとりと柔らかかった。黒い靄に包まれていたデュー・レフレクスィオンの涙が凝ったものだということが、姫君にはわかった。


「後を追うかね、お姫様」


 おっとりと階段を上ってきたメルキゼデクが尋ねる。姫君は微笑んで首を横に振る。


「いいえ、大丈夫。彼女はもう、世界を欲したりしないわ。本当に欲しいものを、彼女は思い出したのだから」


 カラスたちの姿が見えなくなるまで、姫君はじっと見つめていた。朝日がきらりと姫君の目元で光る。


「さあ、行きましょう! ぐずぐずしてはいられないわ!」


 元気よく振り返った姫君に、ノワールが尋ねる。


「行くって、どこへ?」


「ネコになってしまった盗賊たちを元に戻してあげなくては。馬も返してあげなくちゃね。それからミーアを迎えに行って、ダニエルさんに借りた服のお礼もしなくちゃいけないでしょう。それから……」


 メルキゼデクが笑って言う。


「そんなに一度に色々はできないよ。とにかく塔を下りようか。みんなが待っている」


「ええ、そうね」


 姫君は差しだされたイザの手を取って階段に足をかけた。


 塔を下りきって、最後にもう一度、空を振り仰ぐ。

 どこまでも澄んだ青い空は、温かな日差しにあふれ、春のそよ風が気持ち良く吹き渡っていた。




     おしまい

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