お姫様は陳情中
リベカはメルキゼデクを見上げる。
「メルキゼデク様、他に陛下をお助けする方法はないのですか?」
「愛するものが心をこめて名前を呼ぶ。その方法しか我々は知らないのですよ」
リベカは無意識にヘンリー王子の腕をぎゅっと締め上げた。ヘンリー王子が悲鳴を上げてもリベカは気づかない。
「そんな……、王子殿下が薄情なせいで国王陛下がこのお姿のままでいらっしゃらなければならないなんて……」
ヘンリー王子はリベカの肩を力いっぱい押して、なんとかその手から逃れることができた。
「他にいるだろう、だれか愛人だとか」
「国王陛下はそのような乱れた関係をもつようなことは、なさいません!」
リベカの剣幕に押されてヘンリー王子は黙ってしまった。
「ああ、おかわいそうなダニエル陛下……」
国王の目蓋がぴくりと動いた。メルキゼデクが目を見開く。
「リベカ殿、もう一度、国王のお名前を」
リベカは不思議そうに瞬きをしつつ、もう一度言った。
「ダニエル陛下……?」
うつろだった国王の瞳がしっかりとした光を帯びた。きょろりと目が動き、ヘンリー王子を見、メルキゼデクを見、リベカを見た。
「リベカ……? なにごとだ」
「陛下……、良かった……!」
国王はふらふらと立ち上がって、泣き崩れたリベカの肩を抱き寄せた。
「なにを泣く。またヘンリーがなにかやらかしたのか?」
「いいえ、いいえ。ヘンリー殿下はなにもできませんでした」
ヘンリーが憤慨して口を開こうとしたのを、ノワールが睨んで止める。メルキゼデクがリベカのために説明した。
「陛下は黒き魔女に呪われ、魅了されておられたのです。その呪いをリベカ殿が解いたのです」
「なんと。黒き魔女がヘンリーに伴われてやって来たところまでは覚えておるが……。その後、儂は呪われていたのか。して、どうやって呪いを解いたのか」
「リベカが愛を……」
「メルキゼデク様!」
リベカがメルキゼデクの口を両手でふさぐ。あまりの勢いの激しさに、メルキゼデクはもんどりうって倒れた。
「きゃあ! メルキゼデク様、申し訳ございません!」
慌ててメルキゼデクを助け起こすリベカを、国王は微笑まし気に見つめる。
「相変わらずの粗忽ぶりだな。少し落ち着かねば、嫁のもらいてがないぞ」
メルキゼデクに肩を貸しながら、リベカは小さく「はい……」と頷いた。
「王様、リベカは王様のことを……」
ノワールが言おうとした言葉を姫君が遮る。
「ポートモリス国王陛下。お久しゅうございます。アスレイト国王の娘、イーリア・シエン・アフェクシオンでございます」
国王の視線がゆるゆると動き、姫君の顔に視点が定まる。
「おお。イーリア姫。そうだ、婚礼の朝、かどわかされたという話であったが……」
「私はだれにも攫われてなどおりませんでした。ただ、黒き魔女に名前を奪われていたのです。今はもう名前を取り戻し、この通り無事でここにおります」
「そうか。それは良かった。では、ヘンリーとの婚姻は……」
姫君は強く首を左右に振った。
「今はそのような時ではございません。ポートモリスとアスレイトの間で戦争が始まろうとしているのです」
国王は、なにを言われたか分からないといった表情だ。
「戦争などと、なんのことだろうか。我が国と姫の国は友好国ではないか」
「黒き魔女がこの国に現れ、多くの人に魅了の呪いをかけたのです。陛下もその呪いにかかっていらしたのです。恐らく、開戦の指示を出されたのは、陛下御自身ではないかと」
国王は目を見開いた。
「そんな馬鹿な。まかり間違っても私は、そのような決断はいたさぬ」
ぐるりと首を回して、国王はヘンリー王子に目をやった。
「どうなのだ、ヘンリー。私はそのようなことをしたのか?」
「はい。なさいましたよ。黒き魔女の魅力に取りつかれて、言うことをすべて聞き入れました」
拗ねた子どものような口調のヘンリー王子の顔を、穴が開きそうなほど見つめてから、国王はメルキゼデクに尋ねた。
「私が呪われてから、どれくらいの日がたっている? 宣戦布告してから何日目だ? まさかもう戦の端緒が開かれたということは……」
「大丈夫です、陛下。戦は未然に防げております。アスレイトは交戦など望んでおりませんし、呪いのことも知っています。また、ハギルの国王、ヨキ殿が呪いに操られ戦に向おうとするポートモリスの兵士たちを牽制してくれております」
国王の目が丸く開かれる。
「ハギルの王が他国に味方するなど、なにかの間違いではないのか?」
「間違いではございません。今はハギルも一丸となり黒き魔女と戦うかまえでございます」
ふうっと大きな息を吐いて国王が背もたれに背を預ける。
「私の知らぬ間に、ずいぶんと黒き魔女が暴れてくれたとみえる。メルキゼデクよ。私は今一番に、なにをすべきだと思う?」
「たっぷりと休養を、と申し上げたいのですが、まずは戦線撤退の指令をお出しください。すべての国民が呪われているわけではございません。戦争をやめると国王陛下がおっしゃれば、泣いている民の心も戻って参りましょう」
ポートモリス国王は頷いて、よろよろと立ち上がった。リベカがあわてて国王の背中を支える。国王はリベカに微笑みかけてから、ゆっくりと歩き出した。
「すぐに触れを出そう。前線まで早馬を出し、呪いに憑りつかれていないものを探し、戦を止めよう」
歩みはゆっくりだが、確かな威厳を感じさせる。国王が執務の間に入るのを、姫君はじっと見つめた。遠く故郷に思いを馳せ、わが父王の背中を思った。