お姫様は寂しがり中
その晩は姫君の目の完治を目指すため、大樹の中でゆっくりと過ごすことになった。
ミーアが居らず、イザが居らず、居間はがらんと広く感じた。なにやら肌寒いような気もして、姫君は自分の体をぎゅっと抱いた。
「お姫様、寒いの?」
ノワールがお茶の入ったカップを置いて立ち上がる。姫君はそっと笑って首を横に振る。
「寒いのではないの。寂しいのよ。前はここに五人で座っていたでしょう。今は三人。なんだか風が吹き抜けているみたいな気がしない?」
ノワールは床に膝をつくと、姫君の膝に頭を乗せた。
「俺が猫だったら、お姫様に抱かれて温めてあげられるのに」
姫君は優しくノワールの頭を撫でる。
「ありがとう、ノワール。あなたが一緒にいてくれて本当によかったわ。私がどれほど心強いかわかる?」
大人しく撫でられながら、ノワールは寂し気に微笑んだ。
「お姫様は俺のことを親友だって、ずっと言ってくれてたもんな」
「そうよ、私の大好きな親友。これからも、ずっと側にいてね」
「うん。……ずっと側にいるよ」
ノワールは目を瞑り、姫君の膝に顔をうずめた。
翌朝、ぱっちりと目覚めた姫君は、ノワールとメルキゼデクを叩き起こして、元気よく外へ出た。空はすっきりと晴れて、なにもかもうまくいきそうに感じられた。
だが、通りに出ると、呪いが解けないまま、ぼんやりと歩いている人が何人もいた。姫君は今にも駆け出してしまいそうだった。ノワールが姫君の手を、ぎゅっと握る。
「だめだよ、お姫様。王子に会って、王子の呪いを解く。戦争をやめさせて、それからゆっくり、どうやってみんなの呪いを解くか考えよう」
姫君はしょんぼりしたまま頷いた。
メルキゼデクは二重の門には近づかず、街はずれの城壁側の倉庫街にやってきた。城と貴族たちの邸宅を守っている一つ目の城壁は高く堅牢で、よじ登ることもできそうにない。
「メルキゼデク、どこへ行くの?」
姫君が尋ねると、メルキゼデクは楽しそうに「秘密の場所だよ」と答えた。
一棟の倉庫に向かって歩いていく。姫君は、その倉庫の扉に刻印されているのがポートモリス国の紋章であることに気づいた。
「王室の倉庫?」
「そう。珍しいだろう、街中にあるなんてね。中身はなんだと思う?」
姫君は首をかしげて考えたが、「わからないわ」とすぐに降参した。
「ノワールくんはどうだね」
「猫にとって倉庫の中にあるかどうか興味があるのは、ネズミだけだよ」
メルキゼデクは楽しそうに笑う。
「なるほど。この倉庫にはネズミはいないかもしれないね」
話しながらメルキゼデクは倉庫の横手の通路に入っていく。突き当りには城壁がある。
「ここはね、空っぽなんだよ」
「空っぽ。これからなにかを入れるのかしら」
姫君が言うと、メルキゼデクは「ご名答」と答える。
「なにかあった時に、王侯貴族が避難してくる場所なんだよ」
石積みの城壁の下部、石と地面が接する場所に、一つだけ小さな石がぽつりと嵌まっている。
メルキゼデクはその石をグッと押し込んだ。立ち上がり、来た道を戻る。
「なあ、メルキゼデク。今、なにをしたんだよ」
「道を開けたのだよ。これから城に向かうよ」
倉庫の正面に立つと、メルキゼデクは扉に手を触れ、なにかぶつぶつと唱えだした。触れている部分から真っ黒なものが湧きだし、紋章を黒々と染めていく。そこから黒が滲みだし、扉全体を黒く染めた。
「さあ、行こうか」
メルキゼデクが陽気に言って、大きな扉についている金属の環を握って引っぱった。ギイと軋みをたてて扉が開く。
「お帰り、メルキゼデク。会いたかったよ」
扉の先には、ヘンリー王子が立っていた。