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お姫様は解呪中

「彼はノワール。黒猫です。黒き魔女の呪いを受けて人の姿に変えられました」


 黒い靄がするするとノワールの口に吸い込まれ、ノワールは足から順に人の姿に変わっていった。人々はしっかりとノワールの変身を見届けた。


「黒き魔女の呪いは強力です。でも、解くことができるの」


 女の子が「どうやって?」と尋ねる。姫君は優しく微笑む。


「名前を呼ぶの。愛をこめて。そうすれば呪いは解けます」


「そんな簡単なことで、恐ろしい呪いが解ける? 信じられないよ。あんた、黒き魔女の手先なんじゃないのかい? もっと恐ろしいことを企んでるんじゃないのかい?」


 姫君を睨み据える中年の女性に、優しい声をかける老婆がいた。


「おまえ、小さいころからメルキゼデク先生にお世話になりっぱなしだっていうのに、先生の仲間が信用できないの?」


 女性は言葉を飲んでメルキゼデクを見た。メルキゼデクは微笑みかけてやる。


「……メルキゼデク先生がいいっていうなら、信じるよ」


「大丈夫。彼女の言うことは本当だよ。さあ、行こう。愛するものを取り戻しに」


 メルキゼデクに引き連れられて、みんなはぞろぞろと城門に向かった。城門にたむろしている鎧を着せられた貧民街の人たちは、群衆が近づいて行っても、なんの反応も示さない。


「あ! にいちゃん!」


 幼い女の子が駆けだして、一人の若い兵士に抱きつく。


「にいちゃん! にいちゃん!」


 一生懸命、兄の鎧の端っこを握って引っぱるが、兵士はうつろな目で宙を見つめるばかりだ。


「ばか。にいちゃんっていうのは名前じゃないの。にいちゃんの名前は、ラザロっていうの」


 ぴくりと若い兵士のまぶたが動いた。


「ラザロ」


 幼子が呼ぶと、ラザロはふらふらと体を揺らす。


「ラザロ!」


「ラザロ、しっかりして!」


 姉妹は必死に兄の名を呼ぶ。だが、ラザロの瞳は茫洋としたまま、姉妹を見つめることはない。


「なんで? にいちゃん、帰って来るんじゃなかったの!」


 幼子は姫君の足をぽかぽかと叩く。姫君は途方に暮れてメルキゼデクを見た。

 メルキゼデクは他の人たちの様子を見てみた。だれも彼も、あと一息というところで家族の意識を取り戻させることができずにいる。


「黒き魔女の呪いが強すぎるのだろうか。ナーナが思っていたよりも、ずっと強い呪いなのかもしれん」


「そんな……。どうしたら……」


 姫君はしゃがんで幼子を抱きしめる。幼子はいやいやと首を振っているが、逃げようとはしない。


「にいちゃん、にいちゃあん!」


 とうとう泣き出した幼子の頭を撫でつつ、姫君はラザロを見上げた。すぐそばに愛する妹たちがいるのに、そのことに気づけない。このままでは永遠に家族をなくし、自分をなくし、ただ黒き魔女の命じるまま動くだけの操り人形になってしまう。

 どうにかそれを止められないだろうか。考えてみても、妙案は浮かばない。どうして自分はこんなに無力なのだろう。


 姫君は思わず立ち上がり、ラザロの両手を取った。


「ラザロ、思い出して! あなたの妹たちのこと、愛されていること!」


 だが、ラザロはぼんやりと、どこか定まらない視線を動かすだけだ。妹たちが叫ぶ。


「ラザロ! しっかりして! 戦争になんかいっちゃいやだよ!」


「にいちゃあん! にいちゃあん!」


 あちらこちらから、愛する家族を呼ぶ悲痛な声がする。黒き魔女の呪いが人々を悲しませている。なぜこんなに苦しまなければならないのか。なぜこんなに愛することは辛いのか。


「ラザロ……、お願い、戻ってきて」


 俯いた姫君の目から涙が一粒こぼれた。

 ラザロの手に落ちた涙は金色に光り輝く。メルキゼデクが目を見開いた。


「これが、光輝の涙か……!」


 金色の光はラザロの手から全身へ広がっていく。


「にいちゃん……」


「ラザロ……?」


 姉妹の声に、ラザロはゆっくりと首を回した。


「レア、ラケル? どうしたんだ、そんな泣きそうな顔をして。だれかにいじめられたのか?」


 レアとラケルの表情が、ぱっと明るくなる。


「にいちゃあん!」


「良かった! もとに戻ったあ!」


 二人の姉妹に抱きつかれて、ラザロはぽかんとした表情で立ち尽くす。姫君もなにが起きたかわからず、ぽかんとしている。


「光輝の涙の力だろうね」


 メルキゼデクが髭を撫でながら言う。


「黒き魔女を封印できるほどの力を持つ涙だと聞いているよ」


 姫君は自分の涙を指で掬いとる。光り輝くその涙は、どこか甘い香りを発していた。


「この涙で、みんなの呪いが解けるのかしら」


「やってみる価値はあるだろう」


 姫君は小走りに近くの兵士に近づいた。彼の母親らしい女性が「ヤコブ!」と呼び続けている。未だ乾かない涙を指にとって、姫君はヤコブの手に触れる。光輝の涙は光を増して、ヤコブを包みこんだ。


「……あれ、母ちゃん? どうしたんだよ、泣いてるのか?」


 姫君は次々と兵士たちの手に触れて歩いた。だが、涙はすぐに乾いてしまう。あくびをしても出てくるのはわずかばかりの雫だ。

 なんとか泣かなければならない。姫君は今までの辛いことを思い返そうとした。


 幼いころに病床の母から遠ざけられ、長い間会えなかったこと。ダンスの特訓で三日間眠れなかったこと。高い熱にうなされて悪夢を見続けたこと。

 だが、辛かったはずのその思い出たちは、今となっては気楽な思い出話になっている。母は病から回復し姫君を抱きしめてくれた。特訓は辛かったが今ではどんな曲でも踊れる。悪夢も覚めてみれば怖いことなどなにもなかった。


 姫君は自分がどれだけ恵まれた人生を歩んできたのか、痛いほど思い知った。だが、今はそれが疎ましくも思える。

 黒き魔女に呪われたこと、遠く旅したこと。それも辛かったが、仲間ができ、様々なことを知り、とても成長できたと思う。


 はっと顔を上げる。知りたくなかったこともあることを、姫君は思い出した。

 人は裏切る。人はだます。そんな人を、自分は信じきることができなかった。自分は弱い。自分は汚い。自分は人を本当には愛せない。


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