お姫様は疑問の中
ノワールが姫君の前に立ちはだかり、口から黒い靄をイザに吹きかける。
横跳びに靄をさけたイザの足にメルキゼデクが蔓を伸ばす。イザは蔓を短剣で切り落とし、再び姫君に向かい合った。
「イザ、私のことがわからないの? 私よ、イーリアよ」
やはり姫君の言葉は届かず、イザは突き進んできた。横合いからノワールが体当たりしようと飛び出したが、イザはさっと避けて体勢を立て直した。
メルキゼデクは姫君から離れ、黒き魔女に躍りかかった。ドレスの袖を握り、思い切り引っぱる。倒れそうになった黒き魔女は「イザ!」と大声で呼んだ。
瞬時にイザは動きを変え、黒き魔女の側に飛びより、抱きとめた。黒き魔女は真っ赤な目をさらに怒りに燃やして姫君たちを睨みつけた。
「よくもやってくれたわね。このお礼はきちんと返すわ。苦しみを味わうといい!」
黒き魔女は黒い靄となり、イザを包みこんで消えた。同時に、ナーナの家もなくなった。
「イザが……、消えてしまったわ」
姫君は呆然と立ち尽くす。ノワールもメルキゼデクも途方にくれた。
しばらくして、一番に動き出したのは姫君だ。
「黒き魔女を追いましょう」
ノワールが尋ねる。
「追うって、どこに行ったかわからないよ」
「ナーナの家に行くのよ。きっと彼女はなにか知っているわ」
メルキゼデクが同意して頷く。
「ナーナは黒き魔女と関係があるはず。急ぎ、ハギルに戻ろう」
三人は駆け出し、全速力で崖を下りた。姫君が馬に呼びかけると、すぐに戻ってきてくれた。メルキゼデクが二頭の馬を操り、ノワールはお姫様を抱きしめて馬を走らせる。
ハギルについたころには日もとっぷりと暮れていた。
「夜は魔物が徘徊しやすい。朝まで待った方がいいやもしれぬよ」
メルキゼデクの言葉に、姫君は首を横に振る。
「こうしている間にも、イザがだれかを傷つけているかもしれない。早く黒き魔女を追わなくては」
姫君はずんずんと森に分け入っていく。ノワールが姫君の腕を取って、前に出る。
「なにかあったら、すぐに逃げて。俺が魔物を足止めする」
姫君が口を開こうとしたとき、耳の中にナーナの声が聞こえた。
「魔物はいないよ。真っ直ぐうちにおいで」
「ナーナ! 教えてほしいことがあるの」
「知ってるよ。さあ、おいで」
ナーナの声はノワールにもメルキゼデクにも聞こえていたようで、三人は顔を見合わせて頷きあった。
確かに魔物に出会うことも、魔物の臭いを嗅ぐこともなく、無事にナーナの家にたどり着いた。
ドアの上にはランプが提げられ、赤々と暖かな光を放っている。
ノワールが先に立ってドアを開けた。
「待ってたよ、お帰り」
ナーナが優しく言葉をかける。姫君はナーナに駆けよろうとしたが、ノワールに止められてしまった。ノワールは牙を剥きだして身を縮め、ナーナに飛び掛かろうと身がまえる。
「おやおや。そんなに気色ばんで。ハンナが起きるからやめておくれ」
ナーナの後ろに置かれた毛皮の敷物の上に、もう来ないと約束したはずのハンナがぐっすりと眠っていた。
ノワールは警戒しながらも構えを解いた。
「ハンナが人質か」
ノワールの背を姫君が撫でた。
「ノワール、大丈夫よ。この方は魔物を追い払ってくださったじゃない。メルキゼデクのために薬湯も煎じてくださった。それにナーナはハンナのことを心から愛しているわ。ノワールもそれを知っているでしょう」
その言葉に、ノワールは全身をこわばらせていた力を抜いた。