お姫様は発見中
「なにかを隠せそうなもの、隠せそうなもの……」
ぶつぶつ言いながら部屋をうろつく姫君の邪魔にならないようにと、他の三人は部屋の隅によけた。
数多くある瓶や壺を片っ端から覗きこんでいる姫君に、メルキゼデクが話しかける。
「自分に属するものを探すんだよ。その瓶やらなにやらはお姫様の属するものかな?」
姫君は手にしたジャムの瓶を棚に戻した。
「ちがうと思うわ。私に属したものって、どういう意味かしら」
「ノワールくんを例にすると、猫の属したもの、夜の闇や狭いところ、キャットミントなどだろうね」
ノワールは深く頷いている。姫君は「そうなのね」と呟いて考え込んだ。
自分は花や物語の本が好きだ。暮らしている場所はお城。どちらかと言えば昼に活動することが多い。そのようなものを改めて探してみる。
天井から吊るされたドライハーブを丹念に探る。棚に置いてある数冊の絵本のページをめくる。春の野原が織り込まれたタペストリーを触ってみる。
「だめだわ、ない」
自分はなにに属しているのだろう。イザは騎士団に属している。メルキゼデクはビャクシンだ。自分はなに?
ふと、部屋の隅のゆりかごが目に入った。そうだ、私はなにも知らない。なににも属していない、生まれたての赤ん坊と同じだ。この旅で、それを何度も感じた。
ゆりかごに駆けよって、赤ん坊を覆うためのレースの掛布を剥ぎとった。そこに、懐かしいなにかがあった。
「あったわ……」
イザもノワールもメルキゼデクもやってきて、ゆりかごの中を覗き込む。
「なにもないよ、お姫様」
ノワールが言うと、姫君はゆりかごから、見えないなにかをそっと持ち上げて、抱きしめた。光がふわりと広がって、姫君を包みこむ。
姫君は目をつぶり、光が体の隅々まで行き渡るのを感じた。体中が光って、心が鈴の音のような美しい響きをたてはじめた。
その音こそ、姫君の名前だった。姫君は静かに目を開けた。
「私はイーリア・シエン・アフェクシオン。神に愛された子どもです」
イザが雷に打たれたかのように、ビクリと身を震わせた。目が大きく見開かれる。ゆるゆると姫君に視線を移したイザは唇を震わせた。
「イーリア姫……!」
胸の底から湧いたような声で姫君の名前を呼ぶ。にこりと笑う姫君の前に、片膝をついて深く頭を垂れた。
「数々のご無礼を、なんとお詫びすれば良いか……」
「なにも無礼なことなどないわ。イザはとても頼もしい仲間だわ」
イザが顔を上げ、口を開こうとしたとき。
「くだらない友情ごっこは、そこまでにしてくださる?」
胸に突き刺さるかのような冷たい声が背後から聞こえた。皆が一斉に振りかえる。
そこには真っ黒なドレスに真っ黒な髪、抜けるように白い肌、そして真っ赤な目を持つ美しい女性が立っていた。
「黒き魔女!」
姫君が思わず叫んだ。黒き魔女は姫君を馬鹿にしたように鼻で笑う。
「たかが名前を取り戻したくらいで有頂天になって。見苦しいわ」
「私の名前は大切なものだもの。喜んでなにが悪いの?」
黒き魔女が眉を吊り上げる。
「人の家を散々、踏み荒らしておいて、よくもそんな大それた態度をとれるものだわ」
姫君はしょんぼりと肩を落とした。
「ごめんなさい。勝手に入ったことは謝るわ。でも、あなたはお願いしても名前を返してはくれないと思ったものだから」
黒き魔女は額に手を当てて、悲し気な表情になる。
「ああ、いつもそう。人間は皆、私を性悪のように言うの。そうやって何度いやな思いをさせられてきたことか」
「お姫様、こんなやつの言うことを聞いてもしょうがないよ。悪だくみしかしないに決まってる」
ノワールの言葉に姫君の心が揺れた。黒き魔女を信じたい気持ちがあるが、信用できない人も世の中にはいるのかもしれないと思い始めている。
迷っていると、黒き魔女がにっこりと笑った。
「そうだわ、こうしましょう。私は戦争をやめてあげる」
「え?」
「そのかわり、私は、あなたのお友達の騎士に抱きしめてもらいたいわ。とても好きなタイプなの」
「まあ。どうしましょう、イザ。黒き魔女を抱きしめてあげるというのは」
イザは姫君に騎士流の礼をもって、賛同した。
「姫君のため、祖国のためにどんなことでも致します」
「あら、素敵な騎士の忠誠ね。ますます好みだわ。さあ、こちらに来て」
黒き魔女が妖艶な笑みを浮かべてイザに手を差し伸べる。イザは注意深く黒き魔女に近づき、そっと両手で黒き魔女を囲い込んだ。
「もっと、ぎゅっと抱きしめて」
言われたとおりにしっかりと胸に抱きしめる。しなやかな黒き魔女の体はすっぽりとイザの腕の中におさまった。
「ふふふ、素敵。忠誠心、力強さ、そして、愛する思い。全部、欲しいわ」
黒き魔女は爪先立つとイザに深いキスをした。イザは驚いて体を引き、黒き魔女から離れる。だが、遅すぎた。イザの口の中に黒い靄が入っていくのをみんなが見た。イザは黒い靄を吐きだそうと咳をしているが、わずかばかりも出てこない。
黒き魔女が手を伸ばす。
「さあ、イザ。私の騎士よ。私に忠誠を誓いなさい」
イザの瞳から輝きが消え、まどろんでいるような表情になった。
「イザ、だめ!」
姫君の声が聞こえていないかのように、イザは黒き魔女に近づいていく。ノワールがイザに駆けよろうとすると、目の前に黒い靄の壁ができた。壁は薄く、向こうが透けて見えたが、確かな障壁となってノワールを寄せ付けない。
メルキゼデクが精霊術で植物の蔓を生み出し、黒い靄に向けて伸ばしたが、靄に触れた植物は見る間に黒ずみ腐り落ちた。
「さあ、誓って」
黒き魔女が言うと、イザは片膝をついて黒き魔女の手を取った。
「我が命と剣をあなたに捧げ、あなたの盾となりましょう」
イザは黒き魔女の手の甲に唇を落とした。黒き魔女がくすくすと笑う。その笑いは次第に大きくなった。
「あはははは! いいわ、イザ。私のために戦ってちょうだい。さあ、行って」
イザは短剣を抜くと、姫君たちに向かってかまえた。
「目を覚まして、イザ!」
姫君の声はイザに届かない。黒き魔女が薄膜の靄を払うと、イザは姫君に向かって短剣を突き出した。