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お姫様は乗馬中

 城の馬場側の門前に五人の騎士が、それぞれ馬を引き、集まっていた。その中にイザの姿を見とめて、姫君は笑顔になり駆け寄った。


「イザ、私と一緒に行ってくれるの?」


 姫君をじろりと睨んでからイザは顔をそらした。


「お前を逃がさぬよう監視するのが私の役目だ」


「まあ。監視しなければならないのに、目を背けていてはいけないのではない?」


「うるさいな」


 イザは姫君に向かって口を開きかけたが、その視線が姫君の後ろに動くと口を閉じてしまった。なにを見ているのだろうかと姫君が振り返ると、黒猫が一目散に駆け寄ってきているところだった。


「ノワール! 無事だったのね!」


 姫君が両手を広げるとノワールは姫君の胸に飛びついた。ぎゅっと猫を抱きしめて背中を撫でてやりながら姫君はイザに話しかけた。


「あなたが言った通り、ノワールは逃げることができていたみたい……。どうしたの、イザ?」


 イザはノワールから目を離さないようにしながら、じりじりと後ずさっている。他の騎士が呆れ口調で「まだ猫なんかが怖いのか」と言っているが、イザの耳には入っていないようだ。


「まあ、イザったら。子どもの頃のままなのね。ノワールは引っかいたりしないわ、大丈夫よ」


 姫君が言うとノワールは甘えた声で鳴いた。しかしその声はイザにとっては猛獣の唸りにでも聞こえたものか、びくりと震えて飛びすさった。


「イザ、情けないぞ。その女はお前が乗せろ。女の猫も一緒にだ」


 隊長である口ひげを生やした騎士に言われてイザは真っ青になった。


「私がですか」


「いい機会だ、猫恐怖症を克服しろ」


 そう言って隊長が馬にまたがると、他の騎士たちも後にならった。イザだけが動けないまま立ち尽くす。


「早くしろ!」


 隊長に怒鳴られて、ようやくイザは動き出した。だが、ぎくしゃくとした歩き方で視線はノワールから離れることなく、騎士の白い制服が似合わないと思うほど子どもっぽい脅えた表情になっていた。

 姫君はくすくす笑いながらノワールを両腕でしっかりと抱きしめる。


「ノワールはこうやって私がしっかり抱いておくから、怖くないわよ」


 大人しくされるがままのノワールは喉を鳴らしながら姫君の胸に額をすり寄せている。イザは姫君の顔とノワールの尻尾を見比べていたが、覚悟を決めたらしく姫君を横座りに馬に乗せて自分も騎乗した。その間も視線は絶対に猫の顔には向けなかった。姫君を抱き込むようにして手綱を取ったが、そうするとノワールの後頭部が腕すれすれの位置になってしまい、顔色はますます青ざめた。


「出発する」


 隊長を先頭に、馬は列をなして門を出ていく。衛兵や使用人が見送る中、真っ青になったイザを真ん中に隊列は城を後にした。




 城の周りには貴族や金持ちの屋敷が並んでいる。どの屋敷もぐるりを囲っているのは石造りの高い塀で中の様子は見えない。道幅は広く、馬車が二台ゆうゆうと行き会える。姫君も貴族との付き合いの都合上、この辺りまでは外出したことがある。今日はそれよりも遠くへいけるのだと思うと、わくわくして踊りだしたいくらいだった。


「ねえ、イザ。街ってどんな感じなの? 国民の大半が街で暮らしているんでしょう? とても賑やかなんじゃないかしら。どんなふうに暮らしているのか、とっても知りたいわ。ねえ、イザ?」


 姫君はイザを振り仰いでみたが、イザは真っ直ぐに遠くを見ていて心はここにないようだった。顔色はますます悪く、今や蒼白と言えた。


「無駄だぜ、お姫様。こいつ、すっかり怖気づいてる」


 姫君の胸元から声がした。若い男性の声に聞こえるが、同時にニャーという鳴き声もする。


「ちょっと考えれば、俺みたいに賢い猫が人間を引っかいたりしないって、わかりそうなもんなのにな」


「まあ、ノワール! あなたもしゃべれるようになったの?」


 姫君はノワールを抱き上げ、目と目を合わせた。イザがのけぞり、その視線がさらに遠くへ向かう。


「逆だよ、俺が人の言葉をしゃべれるようになったんじゃない。お姫様が動物の言葉を理解できるようになったんだ。それよりお姫様。イザの目の前から俺をどけてやらないと、こいつ、今にも落馬しそうだぞ」


 見上げると、イザはぶるぶると震えて卒倒しそうな様子だ。姫君はノワールを膝に下ろし、できるだけイザには見えないようにと姿勢を変えた。


「まったく、でかいのは図体だけで情けない男だよな。よくこんなのが騎士になんかなれたもんだ」


「あら、そんなことないわ。イザはとっても優秀だって聞いているもの」


「お姫様、声が大きいぜ。猫と話してるなんて『私は普通の人間じゃありません、怪しんでください』って宣伝してるようなもんだ。口を動かさずに俺だけに聞こえるくらいの声で話した方がいい」


 姫君は言われたとおりにしようとしたが、口はどうしても動いてしまうし、声をひそめると石畳を歩く馬のひづめの音でかき消されて、ノワールが耳を震わせ聞こえないと合図を送ってくる。

 仕方なく背中を丸めてできるだけノワールに顔を近づけてみたところ、なんとか会話を続けることができた。


「ねえ、ノワール。人間は猫としゃべると怪しいの?」


 ノワールが頭を上げて姫君の鼻に鼻をすり寄せて返事をする。


「のんびりしてるよ、まったく。お姫様は動物と話す人間を見たことがあるかい?」


「ないわ。でもそれは私があまり動物と出合うことがなかったからじゃないかしら。広い世界には動物とおしゃべりできる人もきっといると思うわ」


「いいか、はっきりさせておこう。普通の人間は動物とは話せないんだ」


 姫君はちょっと首をかしげた。


「私は普通じゃないのかしら」


「そうだよ。呪われてるだろ」


「そうね。呪われている状態は普通じゃないわ。だから動物と話ができるのかしら。だったら呪われるのも、悪いことばかりじゃないってことね」


 ノワールがため息をついた。猫のため息を初めて聞いた姫君は、感心してノワールを見つめる。


「お姫様は、どうしてそんなにのんきかねえ。呪いで良いことなんて一つもないぜ。結婚だってできなくなっちゃったじゃないか」


「あっ!」


 姫君は小さく叫んで顔を上げた。


「そうだわ、ヘンリー王子様なら私のことをわかってくれるかもしれない。ねえ、イザ! 隣国へ行ってちょうだい! そうしたら私がだれかわかるかもしれない」


 イザは相変わらず、ひたすらに遠くを見つめているだけで返事もなければ、聞こえているのかどうかすらわからないほど反応もない。姫君は困って前を行く隊長に呼びかけた。


「隊長様、進路を変更してください」


 姫君が大声で呼ばわると、隊長は振り返りもしないまま首を横に振った。返事はそれだけ。姫君はがっかりして、もう一度イザの顔を見た。


「イザ、本当に私がだれか、わからないの? 私のことを忘れちゃったの? 幼いころからずっと一緒だったのに」


 言葉は返ってこなかったが、今度はイザの耳に届いたようで表情が険しくなっている。まったく知らない人間が嘘をついているのだとしか思っていないことがありありと読み取れる。

姫君は自分の身になにが起きたのか、もう一度考えた。

 黒き魔女らしい女性に呪いをかけられた。その呪いのせいで皆が自分のことを忘れた。


「いいえ、違うわ。ノワールは私のことをわかってくれた」


 姫君は腕の中の若い猫をじっと見つめる。ノワールは姫君の腕を枕に目をつぶっていた。


「ノワール、私はだれ?」


 片目だけをぱちりと開けてノワールが答える。


「俺は答えを知っている。だが、お姫様は自分で取り戻さなけりゃならない。そうしないと呪いは解けないんだ」


「取り戻す? 私はいったい、なにを取られたの?」


「名前さ」


「名前……、私の名前」


 だれに聞かれてもどうしても思い出せない名前は、どうやら盗まれたらしい。と、言われても、名前を盗むという行為にどんな意味があるのか姫君にはわからなかった。


「名前がないと、どうして困るのかしら」


「さあね。それも自分で考えた方がいいんじゃないか? 名前がなくて困るなんてのは人間だけだろ」


「そう、そうなのね」


 ノワールは目をつぶってしまい、姫君は顔を伏せて考え込んだが、答えは見つかりそうもなかった。


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