お姫様は祭礼中3
「彼女を一人にするなといったのは、あなただろう、メルキゼデク。なぜ邪魔をするんだ」
「ここは、ノワールくんに行ってもらおう」
「男が忌避されるなら、戦える私が行った方が……」
「なにをなにを。忘れたのかね、ノワールくんは猫だよ」
言われて見下ろすと、ノワールは口から吐いた靄を上手に丸めて腹の下に隠し、普通の猫のふりをしていた。
「さあ、ノワールくん、お姫様を守っておくれ」
言われずとも、という勢いでノワールは駆けだし、祭司長の後を追う。ピタリと祭司長の後ろについて、ゆうゆうと歩いているノワールに気づいた姫君が驚いて目を丸くした。
「どうかしましたか」
祭司長に問われても姫君は首を横に振っただけで平静な様子に戻った。通りすがった周囲の人々は祭司長の後ろをついて歩く黒猫を興味深げに見ていく。だれかがなにか言わないかとイザはひやひやして見守ったが、祭司長の足を止めるものはなく、無事にノワールは女性たちの支度部屋にたどり着き、床下にもぐりこんだ。
「これで、とりあえずは安心だね」
メルキゼデクののんびりした口調にイザが反発する。
「近くに付いてはいるが、床下ではなにかあった時にすぐに助けることができない。やはり、なんとしても止めるべきだったのでは……」
「女性は女性だけになると多弁になるものだよ。お姫様がなにか聞きこんできてくれるだろう。それに、あの部屋の中にいるのは若い女性だけなのだろうから、なにがあるということもない」
イザは納得できかねるといった表情ながらも、黙り込んだ。
待つほどもなく、女性たちは支度部屋から出てきた。ワッと歓声があがり、人々が駆けよる。人の輪が邪魔になって姫君がどこにいるのか見ることができない。
イザは駆け出して人ごみに近づいた。高い上背が役に立ち、娘たちの一番後ろに立っている姫君を見つけることができた。
ぴたりとイザの動きが止まった。
姫君は襟元が広く開いた黒いドレスをまとっている。光沢のある黒いドレスだと、姫君の白い肌がいっそう映える。結い上げた髪は黒い石のついたリボンで飾られている。首筋にかかる金色の後れ毛は鳥の羽毛のように柔らかそうだ。
ドレスが黒いからこそ、姫君の輝きが引きたてられる。その美しさは星さえもかなわないものと見えた。
イザがぼうっと姫君を見つめ続けていると、人の輪の中から何人かの男性が進み出て、姫君に手を差し伸べた。イザは慌てて人垣に割って入ろうとしたが、祭りで浮かれた人たちの熱気に押されて、なかなか前に進めない。
もたもたしているうちに、どこからか現れたノワールが姫君の手を取った。目を見交わし微笑みあう二人を、イザは不思議な焦燥感を抱きながら見ていた。
黒い柱の方から音楽が聞こえてくる。人々は、あるものは娘の手を取り、あるものは皆で踊りながら柱の方へ戻っていく。その一番後ろをゆったりと、姫君の手を引いてノワールが歩いてきた。
「柱の周りを踊って回るんだってさ。神の花嫁と踊れたら金が儲かるんだって言ってたぜ」
イザの後からついてきたメルキゼデクが笑顔で姫君の前に進み出る。
「お姫様、このじじいと一曲、踊っていただけませんかな」
姫君が伸ばそうとした手を、ノワールが握る。両手ともノワールにとらわれて、姫君は困ったような笑顔を浮かべた。
「行こう、お姫様」
だれにも触らせないようにと、しっかりと姫君の腰に手を回し、ノワールはさっさと歩いていく。
「さあ、置いてけぼりにされないように、私達もいこうか、イザくん」
メルキゼデクの言葉が聞こえているのかいないのか、イザの目は姫君の後ろ姿に釘付けだった。
神の花嫁たちは柱の周りを踊りながら、パートナーを次々と変えていく。三歩進んでは手を放し、別の人の手を取る。娘と触れ合えた人々は嬉しそうに他の娘の元へも駆けていく。
姫君の周りにも人が群がってきたが、ノワールは絶対に触らせないと頑張っていた。そのうち曲が変わり、スローテンポのものになると、娘たちは自分から一人の男性を選んで踊りだした。
「どうやら、この踊りはお見合いの意味もありそうだねえ」
メルキゼデクの言葉に、イザがやっと姫君から目を離した。
「お見合い?」
「男女が知り合って仲良くなるには、祭はもってこいだからね。世界各地から人が集まるこの日ならば、なおさら良い機会と言えるのだろう」
イザは踊っている娘たちに目をやる。だれもみな幸せそうに微笑んで、パートナーをうっとりと見つめている。
突然、イザは駆け出した。メルキゼデクが目を大きく開く。
「おお、若い若い。がんばれよ、若者たち」
のんきな声を背中に聞きながら、イザは姫君とノワールの前に立ちはだかった。
「よお、イザ。どうしたんだ、顔が変だぞ」
ノワールがふざけて言うのを聞き流して、イザは姫君を見つめた。姫君は小首をかしげてイザを見上げる。
「わ、私と……」
そう言って、イザは続きの言葉を忘れてしまったかのように黙り込んだ。