お姫様はお祈り中
黒い衣をまとったものたちの中から何人かが動きだし、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。武器を持ってはいないようだが油断はできないと、イザは皆をかばうため、一人だけ馬を数歩前へ進めた。
メルキゼデクはいつでも散開して逃げられるように手綱をノワールに手渡す。ノワールは黙って受けとり、馬の首を撫でて頼りにしていると伝えた。
近づいてきていたものたちが、ぴたりと足を止めた。先頭に立っているものが大きく両手を開く。
「ようこそ、神の御許へ! はるばるの巡礼、お疲れ様です」
他のものがそろって「お疲れ様です!」と唱和して、拍手で一行を迎えた。あっけにとられたイザが動けないでいる間にメルキゼデクが前へ進む。
「いやはや、あたたかい歓迎ありがとうございます。突然のことにもかかわらず、お出迎え頂けるとは」
先頭に立つ恰幅のいい禿頭の男性がにこやかに言う。
「一年でもっとも大切な祭礼に拝しようという同士を歓待せずに、だれを歓待しましょうか。さあさあ、まずは黒き神にご挨拶を!」
馬から下りたメルキゼデクにならって、皆も下りる。
「馬はあちらの木に。後ほど馬房に案内しましょう」
男性に従って、黒衣の集団に周りを取りまかれる。いつ、黒き神の信徒でないことがバレて通り押さえられるかとひやひやしながら一行は進んでいった。
大きな黒い柱の方へ歩いていくと、黒衣の人たちがかなりの人数、集まっていることが見えてきた。アスレイトの城下町、その下町に匹敵するほどの人数がいそうだ。
黒い柱の周りには、これも黒く塗られた木製のがっしりとした台が何台も置いてある。どうやら祭壇らしく、台の四隅に火がたかれている。
数人の人が、柱の周りを回りながら台の前にかしずき、深く頭を下げている。それをすべての台の前で行う。
「ささ、あなたがたも」
男性に背を押されてメルキゼデクが人の輪に入り、見真似て頭を下げる。三人も後に続いて同じように黒い柱の周りをぐるりと回った。
大きな柱はどんな素材でできているのか見当もつかない。木ではない。石でもなさそうだ。なめらかで透明感があるが、光を反射することはなく、どこまでも黒い。さわるとどんな感触なのか想像もつかない。
拝礼を終えた一行に、男性が声をかけた。
「あらためて、ようこそ、神の御許へ。私は祭司長のピネハスです。見たところ、あなたは魔術師のようですが」
「はい、わしは長いこと魔術師をやっておりますじゃ。ポートモリスの隅で薬師の真似事をしておりますです。この二人は弟子でしてな」
イザとノワールは顔を見合わせて戸惑いながらも小さく頭を下げた。
「ほうほう。それは、はるばるようこそ。して、そちらの女性は?」
「彼女のことはよくわからんのです」
ピネハスが眉を顰める。
「わからない、とは? 神の信徒であるようですが」
姫君は胸の黒い石をぎゅっと握る。その様子を見たピネハスが姫君に尋ねる。
「口がきけないのですか?」
姫君は黙っている。メルキゼデクが助け舟を出す。
「彼女は自分のことを忘れてしまっておるのです。なにもわからんのですじゃ」
「そうですか、それは大変でしょう。いや、でも大丈夫。神に祈りが通じれば、すぐに思い出しますよ。そのためにここに来たのでしょう」
「ええ、ええ。そうなんですじゃ」
そうやって話している間にも、あちらこちらから黒衣の人が集まってきて、今や一つの街が形成できそうなほどの人数が柱の周りに立っている。
ざわめく人々の表情は明るい。
「そろそろ祭祀が始まる時間です。どうぞ、よくお祈りなさい。神はきっと聞き入れてくださいますよ」
ピネハスはそう言って黒い柱の方へ去って行った。