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お姫様は黙考中

 洞窟がはっきり見えだしたころ、メルキゼデクが唐突に笑い出した。


「なに、どうしたの」


 ノワールが尋ねてもメルキゼデクは笑い続ける。まるで笑いキノコを食べたかのような様子を心配して、姫君が声をかけた。


「メルキゼデク、大丈夫? 意識はある?」


「なに、ハハハハ、なんともない、ハハハハハ」


 腹を抱えて笑い続けていたメルキゼデクは、咳き込んでようやく笑い止んだ。


「はー、苦しい」


「メルキゼデク、お水を飲む? それともお薬が必要かしら」


「いやいや、ご心配めさるな。なに、ちょっとひどい冗談を聞いただけだよ」


「冗談?」


 姫君はぐるりと辺りを見回したが、見えるのは岩だけで、人の姿はおろか動物のかげもない。姫君はますます心配になったが、イザが平然と「遠見か」と呟いた。

 咳が止まったメルキゼデクが「その通り」と答える。


「遠見できるものがメッセージを送ってきたんだよ。歓迎してくれるそうだ」


 ノワールが尋ねる。


「冗談っていうのは、どんな?」


「いやいや、ビャクシンの内輪ネタでね。飛んでいる鳥を……ぷっ」


 思い出して、またゲラゲラと笑い出したメルキゼデクを放っておいて、ビャクシンの笑いに興味のないイザは無言で洞窟に向かって進んだ。

 洞窟に近づくと、何人もの人が両手を大きく振って出迎えてくれた。中の一人、メルキゼデクのように白髪白髭の老人が一歩進み出て、ニヤリと笑う。


「そうそう、こんな話もある。湖にすんでいる亀が……」


「もういい、もう冗談は勘弁してくれ、腹が痛いよ」


 老人は破顔して両手を大きく広げた。


「ようこそ、メルキゼデク。イザ、ノワール、そして名前をなくしたお姫様」


「なぜ私たちのことを……、あ、遠見されたのでしたね」


「さよう。わしはクレオパ。ここで一番の年寄りじゃよ」


 クレオパの隣に老女が進み出る。


「あたしはデボラ。このじいさんの連れ合いだよ。みんなよく来たね。あたしたちは雪に閉ざされて退屈しっぱなしだったんだよ。さあさ、中に入っておくれよ。外の話を聞かせておくれ」


 デボラにぐいぐいと腕を引かれて姫君は素直についていく。

 洞窟内は広くて暖かく、快適だった。壁面にいくつも大きな横穴が開いていて、奥に深く通路が続いている。火の気もないのに適度な明るさがあるのは精霊術のおかげだろう。


 出迎えてくれた人たちはてんでに動き回っている。横穴に駆け込でイスを取って来るもの、岩棚に置かれた薬缶に香草を入れているもの、とにかく歓迎のムードが賑々しくて、姫君の心は躍った。

 洞窟の奥は天井が高くなっていて、どこからか光が差し入っていた。その広場に用意されたイスに腰かける前に、メルキゼデクが腰をかがめる独特のお辞儀をした。


「歓迎、感謝する」


 クレオパは礼儀正しいメルキゼデクの姿を笑い飛ばす。


「堅苦しいのはやめておくれ。面白くてしかたない」


 メルキゼデクは苦笑しながらイスに座る。


「さて。外の話をご所望ということだが、遠見のできるクレオパ殿の知らない話があろうか」


 メルキゼデクが口を閉じたところに茶碗が運ばれてきた。香りの良いお湯は無色で、口に含むと少しだけ苦みがある。口内がさっぱりとして、喉から胃までじんわりと温まった。


「一番に聞きたいのは黒き魔女のことじゃな。わしの遠見では彼女の姿はまったく見えん。わしも衰えたもんじゃよ」


 デボラが横から口を出す。


「本当にねえ。こんなヨボヨボじいさんになっちゃって、あたしは悲しいよ」


「そんなこと言うから、ほら、涙が出てきたじゃないか」


「それは鼻水だよ」


 二人は声を上げて笑う。メルキゼデクは笑いをこらえているが、姫君にはどこが面白かったのかわからない。ノワールがこっそりと姫君に耳打ちした。


「これもビャクシンの内輪ネタってやつかな」


「きっとそうなのよね。楽しそうでうらやましいわ」


 イザも会話に加わる。


「どちらかというと、彼らの笑いがわからないことにホッとしている」


「あら、イザは冗談が大好きだったと思っていたけれど」


 むっつりと口を閉じたイザを、ノワールがニヤニヤと横目で見ながら小声で呟く。


「騎士団に入隊した日だよな、隊長の目の前で噴きだして……」


「なぜ、お前がそんなことを知っている!」


「ネコは自由な生き物だからなあ。どこに潜んでるか、わからないぜえ」


 からかわれているとわかっても反駁しようとしたイザは、周りに集まってきたビャクシンたちの期待の目に気づいて口をつぐんだ。なにか面白いことを言うのではないかと思われているなかで、苦い思い出について語る愚はおかさないと姿勢を正す。


「黒き魔女のことだが」


 笑いをなんとか治めたメルキゼデクが、コホンと空咳してから話しだした。


「ポートモリスを操りアスレイトに攻め入ろうとしているのはご存知か」


「うむ。それは見えた。しかし、いったい、どうやったのかがわからんのじゃ」


「呪いを撒き散らしている。片っ端から、魅了の呪いをな。こちらの二人も呪いを受けたのだが」


 姫君とノワールに目を向けたクレオパは「なるほど」と頷く。


「黒き魔女の呪いを見たのは初めてじゃ。対魔戦争の時には、われわれは魔物から逃げるために隠遁しておったからのう」


 姫君は首をかしげて尋ねた。


「退魔戦争とは黒き魔女の魔法と戦ったのだと聞いていたのですが、魔物とも戦う必要があったのですか?」


「うむ。お姫様の国、アスレイトの近隣にまでは魔物ははびこらなかっただろうが、ここは黒き神の住まうところに通じる道に近いからのう。わんさか出おった」


「黒き神の住まうところ。私たちはそこに行きたいと思ったのですが、どうやって行けばいいのでしょうか」


 姫君の言葉に、クレオパは目を丸くした。


「なにを言うやら。人の行けるところではないよ」


「魔物がいるからですか?」


「それだけじゃない。人が生きるのに必要なものがなにもないのじゃ。光も水も空気さえも。ただ暗黒があるだけじゃ」


 ノワールが面白がって聞く。


「人が行けないのに、なんでそんなにくわしいの」


「もちろん、遠見したからじゃ」


「あ、そっか。じゃあ、黒き神っていうのも見えたの?」


 クレオパは静かに首を横に振る。


「いいや。神というのは見えるものじゃない。ただ『ある』ものじゃよ」


「よくわかんないな。人間は見えないものを拝んでるの?」


「そうじゃよ」


「でも、城の教会には大きな石像があったぜ」


 クレオパは深く頷く。


「人は目に見えないものを信じることが苦手なのじゃ。神も、愛も、優しさも、形を持たねば、ないのと同じ」


 黙ってお茶を飲んでいた姫君は小首をかしげた。


「目に見えないものでも、感じることはあると思うのですが。香りや風や、愛もそうではありませんか」


 クレオパは嬉しそうに微笑んで無言で頷く。デボラが皆のカップにお茶を足してくれた。


 クレオパの答えは頷きだけだったが、それはとても深いもので、姫君は形のない気持ちをクレオパが示してくれたことを感じた。


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