お姫様は悩み中
翌朝、ヨキは早速、隊を組んで出発した。山越えをしてアスレイトとポートモリスの国境に近づくのだと言う。
「奇襲だ。戦は情報がものを言う。俺が出兵したことを知られる前に忍び寄り、牽制する」
そう言って姫君にもう一度「戦は止める」と約束していった。
ヨキを見送った姫君はコルバンの世話係になったサラという女性のためにコルバンの言葉を翻訳していた。
「私は芝が好き。森にはあまり生えないから、なかなか食べられなくて」
サラはおそるおそる館の裏へコルバンを連れて行った。
「芝! 食べていいの?」
サラは無言で頷く。コルバンは駆けて行ってさっそく芝を食べ始めた。
「草を食べてる……」
「どうしてそんなに驚くの?」
姫君が尋ねると、サラは姫君に耳打ちした。
「魔物は肉を食べるでしょう。なんでこいつは草を食べるんですか」
「こいつじゃないわ、コルバンです。コルバンは植物しか食べません。人間を襲ったりもしません。怖くないわ」
サラは姫君の言うことをまったく信用していないのだと、はっきりわかる不審げな表情をしていた。姫君はコルバンのために言葉を尽くしてサラを説得しようとしたが、最後まで、サラはコルバンに触れようとはしなかった。
旅支度を終えたイザが、コルバンと別れを惜しんでいる姫君を迎えにやって来た。
「馬を借りられることになった。王が、君のためにかなりの額のコインを置いていったが。いったい、なにがあったのだ」
「ヨキに求婚されたの。もしかして、結納金なのかしら」
イザは苦いものを飲み込んだ時のような顔をした。
「それは……。求婚を受けるのか?」
「わからないわ。とりあえず、今は前に進まないといけないもの。ここに留まることはできない」
イザは変わらず妙な表情のまま「そうか」と呟いて先に経って歩きだした。
「結納金の可能性があるなら、金は受け取らない方がいいだろう」
またぽつりと呟く。姫君はイザの背中に尋ねてみた。
「イザはヨキとヘンリー王子、どちらと結婚したいと思う?」
振り返ったイザは眉根が寄り、一見、怒っているのかと思うような表情をしている。だが、姫君はその顔は笑いをこらえているのだということをよく知っていた。
「私はどちらとも結婚したくはないが」
「聞き方を間違えたわ、ごめんなさい。どちらと結婚すべきだと思う?」
笑いをこらえていたので上機嫌なのかと思ったが、イザはむっつりと口をつぐんだ。
「イザ?」
「私には関係ないことだ。君が本心から愛せる男を選べばいいだろう」
「本心から愛せる……。ねえ、イザ」
呼んでもイザは返事をしないが、姫君はかまわずに、また尋ねる。
「イザはだれかを愛したことがある?」
姫君を見るイザの瞳が揺れた。いつかどこかで見たことがあるような、懐かしいまなざしだ。姫君が名前を忘れてからこの方、見ることがなかった。
イザはその瞳で姫君を見つめたまま「わからない」と小さく呟いた。