お姫様は無口中
「そう。それでいいよ。ああ、起きたね」
メルキゼデクが目を開けてぼんやりと辺りを見回した。まだ意識がはっきりしていないようで、うたた寝しているかのような表情だ。ノワールが心配げに尋ねる。
「メルキゼデク、大丈夫か? 本当に怪我は治ったのか?」
「怪我……? はて、いったいなんのことだろうか」
イザも心配顔をしている。
「メルキゼデクは記憶がなくなっているみたいだが、怪我の後遺症だろうか」
ナーナに尋ねると、にっこりと優しく言う。
「いいや、寝ぼけているだけだよ。すぐにシャンとするからね。もう下ろしてやっても大丈夫だろう」
イザは立ち止まり、そっとメルキゼデクを立たせた。少しふらついたが、メルキゼデクは骨折したことなど嘘のように真っ直ぐに立っている。
「良かったね、おじいちゃん。ナーナが治してくれたんだよ」
メルキゼデクはよくわかっていない様子だが、ナーナに頭を下げる。
「なにやら世話になったようで申し訳ない。助けてくれたのなら、ありがとう」
「いいの、いいの。困ったときはお互い様よ。ほら、もう森がきれる。あとは真っ直ぐ進むだけだよ」
ナーナが指さす先には平らな道が見えていた。
「ハンナ、魔物の怖さがわかっただろう。もうここへ来たらだめだよ」
ハンナは黙ってナーナを見上げた。その瞳は悲し気に潤んでいて、今にも泣きだしそうだ。
「でも、ナーナ。私が来ないとナーナは一人ぼっちになっちゃうよ」
ナーナは優しく笑う。
「私は一人には慣れてる。ずうっと一人だったんだ。今さら、なんてことないよ」
「でも、私が寂しいの。ナーナに会えなかったら、すごく寂しい」
ハンナの頭に手を乗せて、ナーナは祈りの言葉を呟く。
「天なる神よ、いと高きところより恵みを降らし、この者に垂れたまえ」
ナーナの声は深く心に染み入るようだった。ハンナは目を閉じてその声をしっかりと聞いていた。いつも心の中にナーナを感じられるように、その声を刻みつけているかのようだ。
目を開いたハンナはナーナの両手を握って笑顔を見せる。
「さよなら、ナーナ」
「ああ。元気でね」
ナーナは静かに森の奥に戻っていった。
泣きそうだったハンナは元気を取り戻したように見せようと、ピョンと飛び上がった。
「よし! 帰ろう!」
姫君の手を引いて歩きだそうとして、ハンナはふと姫君を見上げた。
「お姉ちゃん、具合でも悪いの? ずっと静かだけど」
姫君は黙ったまま胸の黒い石に触れてみせた。それを見ていたノワールが吹きだす。
「黙っているのはシャクティ―キーに行ってからでいいんだぜ」
「まあ、そうなの? ずっと黙っていた方がいいのかと思ったわ。上手に嘘をつけるかわからないもの」
メルキゼデクがはっきりとした、いつもの口調で言う。
「どんな言葉にも過ちがあり、嘘がある。一つのものを見て、あるものは白だと言い、あるものは黒だと言う。そのどちらも嘘で、どちらも正しいことさえあるのだ。沈黙が最良の選択である時も少なくはない」
話しながらメルキゼデクは街に向かって歩き出した。
「だが、今は話をして欲しいね。いったい、私はどうなっていたのかね?」
イザがサポートしようとするかのように、メルキゼデクの隣を歩きながら説明する。
「魔物から攻撃を受けた時に負傷して、先ほどのナーナに治療してもらったのだ。骨がずいぶんひどく折れていた」
「骨?」
メルキゼデクは歩きながら腕をぐるぐる回した。
「どこもなんともないが」
ハンナが小走りにメルキゼデクに追いついて手を握る。
「ナーナはすごいのよ。私が怪我をした時もあっという間に治してくれたの。まるでおとぎ話の魔法みたいに!」
「ふーむ。それは興味深い。ぜひまた会ってみたいものだ」
ハンナが目を輝かせる。
「その時は私も連れて行ってね! 約束だからね!」
メルキゼデクは笑顔で頷いてやった。