お姫様は説得中
ふっとナーナが視線をそらした時には、姫君は額に汗をかいていた。
「今のが、会話だと思うかい?」
ナーナに尋ねられて姫君は俯いて首を横に振った。二人のやり取りを黙って聞いていたノワールが言う。
「ヨキは魔物と会話したいんじゃなくて、こき使いたいんだろ。だったら命令を聞けばそれでいいんじゃない?」
姫君は俯いたまま首を横に振る。
「それではだめ。それでは魔物は人間に対して憎しみを抱くだけだわ」
「もともと魔物なんてのは人間が嫌いでしょうがないんじゃない?」
「わからないわ。私は魔物のことをなにも知らないのだもの」
ノワールは今度はナーナに尋ねる。
「おばあちゃんは、どう思う? 魔物は人間と会話したいと思ってる?」
「いいや」
ナーナは静かに目を瞑った。
「やつらは人間のことを弱々しいオモチャとしか思っていないよ。この世界とは違うところからやってきたものたちだ。生きているという感覚すら、この世界の生き物とは全然違うんだ」
「この世界とは違うところって、どこですか?」
姫君の問いを予想していたかのようにナーナはすぐに答えた。
「黒き神の世界だよ。忘れられた力の神。強大で強欲な神さ」
「黒き神……、もしかして黒き魔女もそこから来たのかしら」
「魔女も魔物も同じもの。同じ力で生かされている。黒き神の作った世界を己の中に抱えて、それを糧にして生きているんだよ」
腕組みをして考え込んでいたイザが聞く。
「己の中に、糧……、それでは、ものを食べることはしないのだろうか」
「食べる必要はないね」
「だが、先ほどの魔物は、そこの白い……」
獣と言おうとして戸惑ったらしいイザに「コルバンよ」と姫君がささやく。
「コルバンを捕らえようとしていた。食べようとしていたのではないのだろうか」
コルバンが鼻からフンっと大きな息を吐いてイザを睨みつけた。
「嫌なやつ! 鹿なんか魔物のエサにくれてやれとでも言いたいの?」
「そんなことは言っていないわ、コルバン。イザの言い方が悪かったのなら謝るわ」
姫君の言葉にうろたえたイザが早々に頭を下げる。
「言葉が悪かったのなら申し訳ない」
「まあ……、いいけど。魔物はどうせ鹿を食べたりしないからね。あいつらは獲物をなぶり殺しにして、踏みつぶして楽しむだけ」
コルバンの言葉を訳すかのようにナーナが語る。
「魔物はなにも食べない。水も飲まない。ただ、暇つぶしがしたいだけなんだよ。魔物にとって人間は虫けらも同然だよ」
「それでも、試してみたいのです。もしかしたらすべての魔物がそうではないかもしれない」
ナーナが首をひねって姫君に向かう。
「あんたは、どうしてそんなに魔物と仲良くなりたいのかね」
「戦争を止めるためです。ハギルの王、ヨキが魔物を欲しているの。魔物と言葉を交わして、共にヨキのところに行ってくれたら、ヨキが戦争を止めてくれる約束なの」
「戦争? このご時世にかい。だれになんの得があるのかね」
「黒き魔女の策略なんです」
「……黒き魔女が関わっているのかね」
「ええ。ポートモリスを呪いで自分のものにして、アスレイト王国と戦争をさせようとしているんです。アスレイトにある自分の魔力を取り戻すために。止めなければ大変なことになるわ」
ナーナはふうっと大きなため息を吐いた。